樹木のありがたさを感じながら毎日歩いていますが
「アマゾンの都市 10年で気温4度上昇 森林伐採など影響か」
「猛暑日の観測点ことし最多に あすも危険な暑さに厳重注意」
世間(よのなか)を
何(なに)に喩へむ
朝開(あさびら)き
漕(こ)ぎ去(い)にし船(ふね)の
跡(あと)なきごとし
巻三・351 沙弥満誓(さみまんぜい)
世の中を
何に喩えたらいいだろうか
それは 朝早く港を
漕ぎ出ていった船の航跡が
何も残っていないようなものだ
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
――歌の作者は僧侶・沙弥満誓。
無常観を表す船のイメージは、後世の歌人たちをも魅了し、
このイメージは繰り返し詠まれるようになりました。
選者 アレックス・カー(東洋文化研究家、著述家)
静かな海の、船がどこかへ行ってしまった後、
何にもないというイメージがきれいですね。
いろいろなことをしていると、心配もあるし、イライラすることもあります。
もちろん嬉しさ、楽しさ、いいこともありますが、
ここでは、そういうのを全部乗り越えた後、何もないと詠んでいる。
非常に純粋でピュアな世界です。
私くらいの歳になると、やっぱりあこがれですね。
万葉時代から今にいたるまで、
私たちは「世の中」についていろいろ言いながら生きつづけている。
この歌は「世の中」で始まりますが、「世の外」というか、別次元で終わる。
そこにはムーブメントがあります。
仏教的に言うと、此岸(しがん)・彼岸(ひがん)という意味合いの歌ではないかと思います。
こちらは世の中だけど、向こうへ漕いでどこかへ行ってしまったのが、世の外(笑)。
さまざまな表現があるでしょうが、極楽浄土とか天国とでもいう意味でしょうね。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
――徳島県東祖谷(ひがしいや)。
アメリカ生まれのアレックスさんは、
35年前、この土地に惹かれて、庵(いおり)を構えました。
東洋文化を研究するかたわら、日本の自然や民家の保護活動をするアレックスさん。
ここには日本の原風景があると言います。
アレックス・カー
万葉は一種の原点です。
原始的なものだと思います。
いろいろなものが霧の彼方から見えてくる。
そして、それが初めて言葉になってくる。
人間と海とが、まだ密接な時代であったと思いますね。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
「アレックスと篪庵(ちいおり)」
タイワンウチワヤンマは温暖化にともなって北上してきたので
暑さには強そうですp(^-^)q
キチョウが草影に隠れているのは暑さを避けるためかな?
手水が狭そう…五右衛門風呂かな(*´∀`*)
ヒヨドリが「スッキリシタ!」なんて(^。^)
朝から気温が高くてお尻を上げていました(オベリスク姿勢)。
前に紹介した「驚き赤トンボの逆立ち」ではアカトンボの話でしたが
黒いチョウトンボも体温調整をします。
クマゼミは体が大きく、硬い地面でも穴を掘れることから、
西日本を中心に優占種(*)となっており、関東地方にも勢力を広げつつあります。
これには最近の温暖化の影響もありますが、
樹木の移動という人為的な影響もあるようです。
東京の公園に植える樹木(とくに大木)を離れた土地から移植すれば、
根の周りの大量の土と一緒にセミの幼虫も移動してしまいます。
たとえば九州から東京に樹木が運ばれた場合、
九州で多く発生しているクマゼミが移動してしまうのです。
こうして羽化したクマゼミも、次の世代の幼虫は冬の気温が低いと越冬できませんが、
最近は冬の気温が高くなり、関東地方でも定着できるようになっています。
(…略…)
(*)優占種
ある地域において、生息している個体数がもっとも多い種のこと。
植物ではもっとも広い面積を占める種のことを指す場合が多いが、
動物の場合は個体数が多いものを指す。
「この地域のキャベツ畑ではモンシロチョウの幼虫が優占している」といった使い方をする。
(『観察する目が変わる昆虫学入門』野村昌史 ベレ出版 2013年) 黄色い実が落ちていたので見上げると…
ギンナンを見ていると
〝やまと尼寺 精進日記「神無月 おかげさまで 実りの秋」〟
(2017年10月29日放送)を思い出しました(^^ )
書籍版の『やまと尼寺 精進日記 』もいいですよ(^_^)v
さやに咲く芙蓉の朝はたふとかり 五十崎古郷(いかざきこきよう)
心が花において、花が心において詠まれた端正な俳句だ。
<さや>は、明、清の漢字が当てられ、清くはっきりしたさまをいう。
それも澄みきった冷たさで、近寄りがたい美しさともいえようか。
芙蓉(ふよう)は美人薄命とたとえられる花で、朝に開花し夕べにしぼむ。
その短命を惜しむのは自身が病弱のせいでもあろう。
師を思慕した「歳月や亡師さながら芙蓉に病む」の石田波郷の句もある。
花咲く朝はかげがえのないひと時であった。
古郷と波郷は師弟関係にあった。
古郷は波郷の才能を見込み、水原秋桜子に指導を託して松山から東京へと送り出す。
このとき同じ松山出身の中村草田男をライバル視して、
「あんた、お負けなな。どんなことがあっても、
あの草田男には完全に勝っておしまいな。」
と古郷は願っていたのではないか、と草田男自身が書いているのがおもしろい。
1896~1935 愛媛県生まれ。「馬酔木」同人。句集『五十崎古郷』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
Q.カマキリと目があうのは、なぜ?
A.目があっているわけではない。光の角度で黒い点が見えている。
カマキリの大きな眼を、複眼という。
複眼は小さな個眼の集まりで、形を見るより、動きをとらえるのに適している。
カマキリの眼をのぞきこむと、複眼の中に黒い点があるのがわかるだろう。
しかも見る角度を変えると、顔は動かないのに、
まるで目があうように黒い点だけが動く。
だが、けっしてカマキリがこちらをにらんでいるわけではない。
カマキリの意思で瞳を動かしているのではないため、
この黒い点を偽瞳孔(ぎどうこう)という。
この現象は、バッタやチョウなどでも見られる。
偽瞳孔はなぜできるのか
ストローを個眼に見立てて、偽瞳孔のしくみを考えたい。
個眼の奥にちらばっている黒い色素の代わりに背景を暗くし、
束ねたストローを上からのぞきこんでみよう。
光が奥へと吸収される、視線と平行なストローだけが黒く見えるだろう。
これが、偽瞳孔ができる理由だと考えられる。
(『昆虫の不思議』三枝博幸監修・伊沢尚著 ナツメ社 2006年)
クマゼミのカップルに出会いましたが、
虫取りの子どもが来ているのにな…
「クマゼミの羽化」(動画)
「この地域のキャベツ畑ではモンシロチョウの幼虫が優占している」といった使い方をする。
(『観察する目が変わる昆虫学入門』野村昌史 ベレ出版 2013年) 黄色い実が落ちていたので見上げると…
ギンナンを見ていると
〝やまと尼寺 精進日記「神無月 おかげさまで 実りの秋」〟
(2017年10月29日放送)を思い出しました(^^ )
書籍版の『やまと尼寺 精進日記 』もいいですよ(^_^)v
さやに咲く芙蓉の朝はたふとかり 五十崎古郷(いかざきこきよう)
心が花において、花が心において詠まれた端正な俳句だ。
<さや>は、明、清の漢字が当てられ、清くはっきりしたさまをいう。
それも澄みきった冷たさで、近寄りがたい美しさともいえようか。
芙蓉(ふよう)は美人薄命とたとえられる花で、朝に開花し夕べにしぼむ。
その短命を惜しむのは自身が病弱のせいでもあろう。
師を思慕した「歳月や亡師さながら芙蓉に病む」の石田波郷の句もある。
花咲く朝はかげがえのないひと時であった。
古郷と波郷は師弟関係にあった。
古郷は波郷の才能を見込み、水原秋桜子に指導を託して松山から東京へと送り出す。
このとき同じ松山出身の中村草田男をライバル視して、
「あんた、お負けなな。どんなことがあっても、
あの草田男には完全に勝っておしまいな。」
と古郷は願っていたのではないか、と草田男自身が書いているのがおもしろい。
1896~1935 愛媛県生まれ。「馬酔木」同人。句集『五十崎古郷』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
Q.カマキリと目があうのは、なぜ?
A.目があっているわけではない。光の角度で黒い点が見えている。
カマキリの大きな眼を、複眼という。
複眼は小さな個眼の集まりで、形を見るより、動きをとらえるのに適している。
カマキリの眼をのぞきこむと、複眼の中に黒い点があるのがわかるだろう。
しかも見る角度を変えると、顔は動かないのに、
まるで目があうように黒い点だけが動く。
だが、けっしてカマキリがこちらをにらんでいるわけではない。
カマキリの意思で瞳を動かしているのではないため、
この黒い点を偽瞳孔(ぎどうこう)という。
この現象は、バッタやチョウなどでも見られる。
偽瞳孔はなぜできるのか
ストローを個眼に見立てて、偽瞳孔のしくみを考えたい。
個眼の奥にちらばっている黒い色素の代わりに背景を暗くし、
束ねたストローを上からのぞきこんでみよう。
光が奥へと吸収される、視線と平行なストローだけが黒く見えるだろう。
これが、偽瞳孔ができる理由だと考えられる。
(『昆虫の不思議』三枝博幸監修・伊沢尚著 ナツメ社 2006年)
クマゼミのカップルに出会いましたが、
虫取りの子どもが来ているのにな…
「クマゼミの羽化」(動画)
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m