2018年6月30日土曜日

無風で蒸し暑い(^0^;)

今朝は、曇り空のはずでしたが
時おりギラギラする日ざしがあって
風もなく蒸し暑かった(゜o゜;)

巻第三 334 大伴旅人(たびと)
忘れ草 我が紐(ひも)に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため

萱草(わすれぐさ)を下紐に付けました。
香具山の聳(そび)えるふるさと明日香をいっそのこと忘れようと思って。

若者が恋忘れに用いた萱草(わすれぐさ)を持ち出して下紐につけるという点に、
老人の情痴を装った若干の演技性が感じられる。
◇忘れ草 萱草(かんぞう)。夏から秋にかけて黄赤色の花をつけるユリ科の多年草。
中国で憂(うれ)いを忘れさせる草と信じられていた。
(『萬葉集(一)旧版』青木生子他 校注 新潮社 昭和51年)
巻第十三 3289
御佩(みはかし)を 剣の池の 蓮葉(はちすは)に 渟(たま)れる水の 行方(ゆくへ)無み 
わがする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝
(いね)そと 母聞(きこ)せども 
わが情
(こころ)清隅(きよすみ)の池の 池の底 われは忍(しの)びず 
ただに逢ふまでに


御佩よ、剣の池の蓮の葉に溜っている水のように、行方も知らずあなたを思っている時に、
逢おうといって逢ったあなただのに、寝てはいけないとお母さんはおっしゃるけれども、
私の心は清くすんで、清隅の池の底のようには、じっと堪えられそもない。
直接お逢いするまでは。

御佩を―身に帯びる物。「を」は詠嘆。剣の形容。剣の池は応神朝に開さく、皇極紀三年に蓮の開花の記事がある。
蓮葉に渟れる水の―葉に丸く凝って散らない水を心情に重ねる。これからどうしたらよいか判らぬ心持。
逢ふべし―強い勧誘。
な寝そ―「な…そ」は禁止。
母聞せども―イフの敬語。「われは忍びず」に続く。共寝してはいけないといわれても我慢できない。
上の「べし」の強調が働きかけ、下の「ただに逢ふ」(共寝する)と呼応する。
清隅―清隅は一途さの比喩。池は所在地に諸説。
池の底―池の底にじっと水が湛えられる様をシノブに接続。
(『万葉集(三)』中西進 講談社文庫 1981年)
巻第十三 3290
  反 歌
(いにしへ)の神の時(みよ)より逢ひけらし今の心も常(つね)思ほえず

昔の神の時代から、恋人同士は恋に堪えがたく、逢っていたらしい。
今の代の人の心も、尋常には思っていられない。

逢ひけらし―長歌をうける。忍びず→逢ひけらし。
常思ほえず―普段と変わりなくは思われない。
これも長歌の「忍びず」のいいかえ。ツネは不変。
(『万葉集(三)』中西進 講談社文庫 1981年)
木槿(むくげ)は初秋の季語なんだけど、
暑いこの時期に健気に咲いているで夏の季語が相応しいなと思うのですが…
公園の説明板には

韓国の国花・無窮花
夏から秋にかけて、白、赤などの花が次から次へと沢山咲くことや、
生命力が強いことなど、国の繁栄を表すものとして、
国民に愛され、国花とされています。
タイワンウチワヤンマだと思いますが、
田んぼの虫を朝ご飯にしていましたp(^-^)q
紫陽花はしめりに花の軟かさ
(『松瀬靑々全句集 下巻』松瀬靑々全句集編集委員会 邑書林 平成18年)
くちなしの一片解けし馨(かをり)かな  久保より江
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
アゲハ(アゲハチョウ科)
6月30日は夏越祓(なごしのはらえ)

出水(いでみづ)の加茂(かも)に橋なし夏祓(なつはらへ)
(『蕪村俳句集』尾形 仂 校注 岩波文庫 1989年)
ハシボソガラスが口をポカンと開けて
何かに見とれているのかな…
それとも暑さに参っているのかな…(^^ )
(ねじ)り花、箱根空木(うつぎ)に山吹草、コップの中の野の花揺るる
(『道浦母都子全歌集』河出書房新社 2005年)
泰山木の花梅雨空に君臨す  長尾朝子
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
暑き旅はじまる駅の夾竹桃  大橋櫻坡子(大阪)
(『ふるさと大歳時記5 近畿ふるさと大歳時記』角川書店 平成5年)
罌粟(けし)の花萎(しを)るるまでは鞍に挿しひとり愛(め)でゆく暑き日の戦旅(たび)  伊藤桂一
  「戦旅」の2字で(たび)
(『昭和萬葉集 巻五 大陸の戦火 15年~16年』講談社 昭和54年)
今朝の父の一枚です(^-^)
画像を見ながら父と話していたのは
今年は母が好きだったネジバナがたくさん咲いているね!
父の写真にはモンシロチョウがネジバナを訪れていました(^_^)v

ネジバナのねじれる方向について」(日本植物生理学会)