2018年6月24日日曜日

雨が止んだと思ったら暑い(^0^;)

朝方はまだ降っていましたが、
しばらくすると雨が止んでくれたのでリハビリ散歩に出かけました。

モッコク
 葉は枝先につき、その柄は赤みをおびる。
秋に実が熟し、割れて中からカキ色の種を出すと、メジロやヒヨドリが食べにやって来る。
地面に落ちた種は人通りがなくなった頃に、キジバトがきれいに食べてくれる。
毎日、通っているところなのに気がつかなかったな…(°0°)
● ● ● ●
ネジバナの種子はあまりにも小さいので発芽に必要な栄養分さえ持ち合わせていないのだ。
そこでネジバナの種子は恐るべき戦略を考え出した。
ネジバナの種子はラン菌というカビの仲間を呼び寄せ、驚くことに自らの体に寄生させてしまうのである。
そして種子のなかに入りこんだ菌糸から逆に栄養分を吸収して発芽する。
さらにはラン菌を分解して完全に吸収して生長の栄養分にしてしまう。
一歩間違えば逆に菌に侵されてしまう。
まさに「肉を切らせて骨を断つ」ぎりぎりの作戦である。
不意を突かれたラン菌にとっては、甘い誘い誘われてキャッチセールスにでもあったような思いだろう。
見かけのかわいらしさだまされてはいけない。
ネジバナの根性は相当ねじ曲がっているのだ。
(『身近な雑草の愉快な生きかた』稲垣栄洋、 三上 修 ちくま文庫 2011年)
  梅雨のふる溝川ぞひに今日見ればざくろの咲ける家居明るし  扇畑忠雄(おうぎばたただお)

 作者は旅順生まれの歌人で、本籍広島県。家居は住居に同じ。
細い流れのつづいている溝川のあたりに梅雨が降りしきっているが、
今日気がついて見ると、赤いザクロの花が咲いている家のまわりが明るいという、
町中の風景歌である。
梅雨の底のかすかな溝川のひびきから目を上げると、
ザクロの赤みがぽっかりと、灯を点したように明るい。
梅雨のひとときの心のなごむ点景である。
ザクロの樹皮は除虫駆除剤、果皮と根皮は下痢などの薬にした。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
昨夜も体に感じる余震がありました。
地震に注意 熱中症にも注意

  余震雑詠
わがむすめ六(む)つになれるがいたいたしなゐにおびえて瘦の見えたる
  (なゐ=地震)
(『若山牧水歌集』若山喜志子選者 岩波文庫 1936年)
一時、葉の下で雨をしのいでいたのかな(^^ )

雨音、夜の池深く落ちる
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)
新日本風土記「沖縄のうた」(再放送は6月29日午前8時~)で
皇太子時代の1975年7月沖縄訪問を期に
天皇陛下が詠まれた琉歌が紹介されていました。

花よおしやげゆん (花を捧げます)
人知らぬ魂    
(人知れず亡くなった多くの人の魂に)
戦ないらぬ世よ  
(戦争のない世を)
肝に願て
     (心から願って)
(番組を聞きながら転記しましたが、間違えているかも知れません。
ご覧になっていないかたは、再放送をご覧ください)
‘ピース(Peace)’
フランスの大育種家メイアンによって作られたこのバラは
第二次世界大戦の終結を記念し、アメリカ人によってこの名がつけられました。
また、1948年に横浜で開かれたバラ展にサンフランシスコから空輸され、
日本のバラブームを引き起こすきっかけとなりました。
(バラ園の説明板より)
ユリズイセンはアルストロメリアの仲間の原種になるそうです。
花言葉は「夢 童心」だそうです(^-^)
ヤブミョウガ(ツユクサ科)
ヤマトシジミ♂(シジミチョウ科)
てふよてふよ花といふはなのさくかぎり汝(なが)いたらざる所なきかな  香川景樹
(てふよ「てふよ」はくの字点

文化2年9月。
遺稿に「帰りくるにあざみ姫百合など咲きまじりたる山のおくはわすれて都の野辺おもひいでらる」。
▽花という花が咲いている限り蝶の飛んでゆかない所はない。  
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
    高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)