歩いている時は雨に会わなかったけど帰り道に雨が降り出した…
クローバーのこまかき青よ落としたるかげもしみいる今日の思いよ
(『歌集 方代』)
雨雲、やりきれない思いが雫しだした
(『住宅顕信 句集 未完成』)
梅雨の日はけぢめのなくて日暮るるを葉を閉ぢてなほ合歓(ねむ)の花咲く 斎藤栄子
(『昭和萬葉集 巻二十 昭和五十年の回顧 昭和50年』講談社 昭和55年)
白蓮のつぼみ折り取り頬によせてこもる香を嗅ぐ前髪のきみ
(『山川登美子歌集』)
番傘の軽るさ明るさ薔薇の雨 中村汀女
(『図説俳句大歳時記 夏』角川書店 昭和39年)
紫陽花の小弁の花を摘むごとく呼び出され君と逢ひし日のあり
(『栗木京子歌集』)
サルビア ファリナセア( Salvia farinacea シソ科)
ブルーもキレイだなと思うのだけど、サルビアと言えば母と一緒に見ていた赤いサルビアが好きだな…
天気が悪いのでツバメたちが低空飛行をしていました。
燕(つばくろ)に雨はななめに降るものか 成瀬(なるせ)正(まさ)とし
毎年燕がやってくるたびに、悲しい思い出に胸をしめつけられる。
私の無二の親友、佐々木伸行君が亡くなったのがこのころである。
詩才もあり、あらゆる面で万能な彼も、癌という病気には勝てなかった。
三0そこそこの若さでこの世を去っていった。
私が「あかときの虚空のかなた燕来る 寒太」という句をたむけて、彼を送ってから、今年で六度目の春が来た。
町なかを低くとびかう燕の姿を見かけると、名実ともにもう初夏である。
季語は「燕」。
ぬれ燕を詠んでいる。
あの葬儀の日も雨の日であった。
この句を読んで、ふと遠くなりつつある、友の葬式を思い出したのである。
「雨はななめに降るものか」という「か」は疑問とともに詠嘆をふくんだ「か」である。
細く斜めに降る雨は、絹のように細かい、こぬか雨。
風に吹かれて横ぶりに落ちている。
雨にぬれながら、ひるがえっている燕のすがたが映されている。
ひとつの写生画のようである。
「降るものか」で単なる写生を脱して主観があらわれた。
成瀬正としは、昭和5年9月3日、東京生まれ。
国文学者、成瀬正勝は父。
十代のころより、高浜虚子、高浜年尾、星野立子、池内たけしについて作句。
昭和36年「ホトトギス」同人。「遠山」主宰。
(『俳句日暦・一人一句366』石 寒太 右文書院 昭和56年)
ばゝ達やおどけ咄(ばなし)で田を植る
[訳]婆々たちよ、おどけ咄をしながら田を植えている。
[解]早乙女が田植えをする、あるいは神事としての田植えは、
都人が想像上で作り上げた風流で、現実的ではない。
田舎では、老婆たちがおどけ話をしながら、たくましく田植えする。
鄙(ひな)ぶりの「風流」は、少々下ネタの入ったおどけ話。
(『一茶句集 現代語訳付き』)
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時間まで廊下で本を読みながら待っていると、
以前お世話になったN先生とお会いしました。
大学病院から戻ってこられたそうです。
初めに下肢のストレッチをしてもらいました。
終了後、30分間トレッドミルで歩行しながら
パルスオキシメーターで酸素飽和度や心拍数を測りました。
歩行距離は2.09kmで消費カロリーは126kcalでした。
いつも携帯の万歩計でも測っていますが
歩行距離はほとんど一緒ですが、消費カロリーは半分以下の測定になります。
トレッドミルでは、斜度を少し上げているので消費カロリーは高くなります。
歩きながら理学療法士のNさんと話ながら歩いています。
と言うのも、話しができるレベルで歩けるのが無理をしないですむからです。
森田童子さんが4月24日に心不全で亡くなったのですね。
1952年1月15日生まれだから一級上になる。
最近、西城秀樹さんなどよく知った方が亡くなっていくので淋しいです。