2018年6月21日木曜日

夏至になりました

雨が止んでくれました。
地震の被害が大きかったところは雨が止んでくれたからといって安心できません。
地震発生後 周辺活断層に新たにひずみか 専門家指摘

今日は、「夏至」。

夏至も亦梅雨の隠微に倣ふなり  相生垣瓜人
(『図説俳句大歳時記 夏』角川書店 昭和39年)
離別(さら)れたる身を踏込(ふんご)んで田植哉  与謝蕪村

田植は村の共同作業となっている。
離別された女が、今日は先夫の家の田植の手伝いにやってきた。
恥ずかしいやら、憎いやら、複雑な気持を押しきって泥田の中に足を踏み入れる、との句意。
あわれな農村女性の姿を描いたものであるが、「離別れたる身」における表現の要約、
「踏込んで」に圧縮された心理の屈折はみごとである。
小説的構想の句は他にもあるが、これなどは比較的初期の作である。
季語は「田植」。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
     栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
  紫陽花や朝の水音二階より  桜井博道(はくどう)

 作家の吉村昭氏に同行して長崎へ取材に出かけた。
シーボルトの旧居に紫陽花の一株が咲いていた。
紫陽花は学名をオタクサというが、
このオタクサとはシーボルトの愛人の遊女・お滝から、
シーボルトが名付けたものであることを知った。
シーボルトは今から150年ほど前に長崎の出島で高野長英、青木昆陽、二宮敬作など
多くの蘭学者を養成したドイツの医学者で、日本の植物研究にも貢献している。
日本ではじめての蘭方医お稲は、シーボルトとお滝の間にできた子供である。
梅雨のころに咲くこの紫陽花は、手まり花とよばれるようにまりのような大型の花をつける。
色が白から淡緑、青、紫、淡紅色と七変化する。
三好達治は「淡くかなしきもののふるなり、紫陽花いろのもののふるなり」と
『乳母車』の詩でうたった。
梅雨のしとしと降るなかに、ひときわ鮮やかに咲く紫陽花はやはり梅雨の花である。
 季語は「紫陽花」。好きな一句である。
紫陽花がいきいきしている。
そして、朝餉の仕度をする。
その水の音が「二階」から聞こえてくるところが、すがすがしい。
博道の感性の効いた一句。
何もいっていなくて、いろんなことを語りかけてくれる句である。
 桜井博道、昭和6年1月2日、東京生まれ。「寒雷」同人。
(『俳句日暦・一人一句366』石 寒太 右文書院 昭和56年)
カエデの実は仲良し双子。
1個の花から翼果が2つでき、対になって枝につきます。
翼は花の直後に伸び出し、赤ちゃんの実も可愛いものです。
イロハカエデの実は2つが水平について竹とんぼを思わせます。
(『実とタネキャラクター図鑑』多田多恵子 誠文堂新光社 2017年)

なんですが、右の翼果は三つ子です(^。^)
前(4月22日)にも出会っているのですが、
その枝は剪定されたのか見当たりません。
(山陰道八国 丹波)
  谷(た)の小藪(やぶ)に雀とまる 止(と)めてとまらぬ色(いろ)の道

 上句「竹に雀は品(しな)よくとまる」の形で近世に流行した小歌。
「谷の小藪」の発想は、いかにも山国丹波の情景にふさわしく、
新『人国記』丹波にも「当国は四方山々にて、皆谷間(たにあひ)の人家なり。」とある。
一首は、「とまる」「とまらぬ」の語呂と、
自然の情景から一気に「色の道」に転じた機智の面白さが中心。
むろん酒席間の唄と思われる。
『田峰盆踊』に同歌があるほか、類歌も多い。
(『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』浅野建二 校注 岩波文庫 1984年)
ノカンゾウ(ワスレグサ科)

  事切れし子に哭(な)きつるその手して賜(た)びたる銭(ぜに)をふところしぬ  宇都野 研(うつの けん)

『宇都野研全集』(昭13)所収。
昭和13年61歳で没した愛知県生まれの歌人。
小児科医で東京本郷に病院を経営した。
窪田空穂に師事。
歌は科学者の観察眼と情熱家の心情がないあわされた一種独特のものである。
「医を業として」と詞書がある。
医者としての力を尽くしたが患者の病児は死んだ。
慟哭(どうこく)していた親は気をとり直して治療費を支払ってくれた。
医師として扱いにくい題材だが、作者は歌わずにはいられなかったのだ。
(『新編折々のうた』大岡信 朝日新聞社 1983年)
たましひのよろこびのごと宵闇の庭にくちなしの花暮れのこる  上田三四二(みよじ)
(『昭和萬葉集 巻十四 東京オリンピック 昭和39年~42年』講談社 昭和55年)
  どくだみの香にたつ土の薄暑さかな  西島麦南(ばくなん)

 作者は熊本県生まれの俳人。
薄暑は初夏のころ、やや暑さを覚えるようになった気候をいうが、また梅雨のころでもある。
土のむし熱さにあふられるように、ドクダミがにおい出しているという句の意。
うっとしい気分が漂う。
全草を乾燥したものは、民間薬として重宝されている。
火にあぶった葉を腫れ物や切り傷に貼る。
ドクダミの名は毒を矯める意味からである。
地上部を乾燥したものが、漢方でいう十薬(じゅうやく)である。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
何虫かな?觜でくわえたまま食べようとはしませんでした。
子育て中かな?
一度倒れたアカンサスが再び起きあがっているp(^-^)q
天道(てんと)虫指先くすぐりあっちへ飛んだ
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)
(『金槐和歌集』に)
1211年(建暦元)七月の
「洪水天を漫(ひた)す。土民(どみん)愁嘆せむ事を思ひて一人本尊に向かひ奉りていささか念を致す」
という詞書(ことばがき)のある、

  時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ

という歌が収められている。
この歌も、これまで述べたような実朝伝説と関連する。
 これらの話に現れているように、祈雨・止雨ともに験力を持ち、
しかも時に歌の才によって、これを達成しているという点で、やはり実朝とは常人ではなかった。
(『日本の歴史09 頼朝の天下草創』山本幸司 講談社学術文庫 2009年)
今朝、父が一番喜んだことは、ネジバナの群棲地を見つけたことですp(^-^)q

○ ○ ○ ○

夕食は、お気に入りのお店でいただきました。
食べながら父が話していたのは
地震で母や叔母の遺影は、倒れていたのに細長く一番安定の悪い花瓶が倒れなかった。
きっと母と叔母が支えてくれたんだと話していました。
僕が話していたのは、ブラタモリ「#97 有馬温泉」の中で
タモリさんが「有馬―高槻断層帯!」と話していましたが、
今回の震源地が有馬―高槻断層帯のようです。
また、「#37 京都・伏見」では慶長伏見地震(1596年9月5日)で
伏見指月城が倒壊したことが紹介されていました。
平成30年6月18日07時58分頃の大阪府北部の地震について」(気象庁)
有馬-高槻断層帯では、1596年に慶長伏見地震(M7.5)が発生したと推定されています。〟(9頁)
ただ番組の中でタモリさんが地球の歴史と人間の時間感覚の違いをよく言われています。
明日にも地震が起きるとは思えませんが、油断をした頃に起きるのが災害の常だと思います。
人間の知恵は、自然の前には無力だということを認めなければならないと思います。
“想定外”という言葉は、自然に対するおごり以外のなにものでもありません。
想定外を使う政治家は信用できません!