歩き始めるとポツポツと降ってきましたが、
止んでほしいなと思いながら歩いていると止んでくれました(^_^)v
象潟(きさかた)の雨なはらしそ合歓(ねぶ)の花
○芭蕉句「象潟や雨に西施がねぶの花」を念頭に置いての句作。
○中七下五「雨な降らしそ蝸牛」とも。
(『井月句集』)
ハス(蓮)はハチス(蜂巣)の略で、花托に果実の入る穴があいているのが、
蜂の巣に似ているところからきている。
スイレン科の多年草で、現在みられるものは、
古い時代に中国から渡来したものと考えられているという。
『古事記』に年老いた赤猪子が、ハスの盛りの美しさを羨む歌があるから、
渡来したのは、そのような伝説ができた以前のことであろう。
唐招提寺にはハスの品種が集められており、
鑑真が持参したと伝えられているものも残っている。
ハスの花は早朝開き午後閉じる。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
乱歩読む窓のガラスに蝸牛
(1994年 66歳)
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)
鮎は瀬に人は噂の淵に住む 佐藤春夫
谷崎潤一郎夫人との恋愛で、谷崎と夫人をはさんでの三角関係は、大いに世間の噂となった。
その傷心は
「せつなき恋をするゆゑに/月かげさむく身にぞ沁(し)む。/
もののあはれを知るゆゑに/水のひかりぞなげかるる。」などの詩になっている。
掲出句もせつなき恋を反映するものだろう。
室町時代の俗謡を換骨奪胎しての戯歌(ざれうた)風の一句である。
俳句は四十年間のおりおりの作を『能火野人(のうかやじん)十七音詩抄』(昭和39年4月刊)にまとめている。
題名の能火野人は作者の郷里、熊野(くまの)の字を分かったもので、春夫自身を指す。
158句を収録。
巻頭の叙に「ただ一介のアマチュアとしてこれを楽しめば足る。求むるところは他の悪意なき笑ひのみ。これ俳諧の本旨に非(あら)ずやと。」と記している。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)
紫陽花(あぢさゐ)は咲きつつ散れりめをとにて一途なりし日ぞ過ぎゆきぬ 森 比左志
めをと=夫婦。
(『昭和萬葉集 巻十七 日中国交回復 昭和47年』講談社 昭和55年)
イチジクは、漢字で「無花果」と書きます。
これは、一見すると、イチジクが花をつけずに、丸い実のようなものをつけるからです。
この丸い実を縦に割ってみると、壺に似た形をしています。
中には多数の小さな白色の粒のようなものがあり、この1つぶ1つぶが花で、
それを包んでいる多肉質の壺状のものが花托です。
イチジクの実は、多肉質に肥大した花托の中に包まれた多数の花からできています。
このような多花果(複合果)は「イチジク状果」と呼ばれ、偽果の1つです。
また、イチジクのように花序の軸が多肉化し、
中央がくぼんで壺状になっている花序を「隠頭花序(いんとうかじょ イチジク状花序)」といいます。
ちなみに日本で栽培されているイチジクはメスの木だけなので、種子をつけません。
(『観察する目が変わる 植物学入門』)
ストレッチマンを連想しました(^-^)
コクチナシ(小梔子)
巻第十九(誹諧歌 はいかいか) 1012
山吹(やまぶき)の花色衣主(はないろ ごろも ぬし)や誰(たれ)問へど答へずくちなしにして 素性(そせい)法師
美しい山吹の花の黄色い衣、お前の持主はいったい誰なのかと尋ねても答えない。
なにしろ梔子(くちなし)の実で染めたものだから、口無しなので。
◎山吹の花を衣に見立てたもの。
「梔子(くちなし)」に「口無し」を掛ける。
(『古今和歌集』小町谷照彦 旺文社文庫 1982年)
梔子は染料として用いられてきました。
「支子色(くちなしいろ)」(染司よしおか工房だより)
ソテツ(ソテツ科)
琉球語(りうきうご)が日本方言の一つなる事實だにせめて人よ忘るな 芝生田 稔(しぼうた みのる)
(『現代の短歌』)
母が沖縄の言葉を聞くことはできても話すことがあまりできませんでした。
それは、戦時中に方言を使うと「方言札」を次の人が使うまで首からぶら下げさせられました。
「ことばQ&A」(国立国語研究所)
酉年の母は、鳥になって自由に飛び回っているかな(*^-^*)
こんなにもつばめはゆっくり飛べるのか子に飛び方を教えるときは
(『歌集 空を鳴らして』山本夏子 現代短歌社 2017年)
ヒメジャノメ(タテハチョウ科 ジャノメチョウ亜科)
緑陰に入り来て蝶は嘘ひとつつき来しごとく羽合はせたり
(『栗木京子歌集』)
ヒメイワダレソウ(姫岩垂草 クマツヅラ科)
地面に絨毯のように広がっていたのを見て母と何の花かなと話していたことがあります。まだ幼顔のスズメ
母は、チョンチョンとはねるスズメが好きで、
公園で出会うのを楽しみにしていました(^-^)
お母さんを呼んでいるみたいでした(^。^)
子雀の一尺飛んで親を見る 藤井紫影
雀の卵は四、五月ごろかえり、雛となり、巣立ってゆく。
かえって二週間ぐらいで羽根がそろうが、くちばしが黄色く、まだ充分に飛べないので、
巣立った後も親雀がいつも付きそって、虫を捕えて与えたり、猫にねらわれたりするのを守っている。
親雀が子雀をいたわるさまはいたれり尽くせり、過保護の趣さえある。
この句の子雀は可憐そのもの、やっと飛べるようになり、
親の見守る前で、一尺飛んで見せたのが、おかしく、ういういしい。
紫影は兵庫県洲本生まれ、本名乙男。四高、八高を経て京大教授、江戸文学の権威。
俳句は金沢在住中「北声会」を指導、門下に志田義秀。昭和20年、76歳で没。
(『日々の俳句』沢木欣一 求龍堂 昭和58年)
今朝も泰山木が匂っていました。
花を目の前で見ることができたので母がいつも楽しみにしていました。
今日は母の月命日です。
○ ○ ○ ○
夕食は姪も一緒に食べてくれることになり外食をしました。
姪が食べたいものはと聞くと、お昼にパスタ―を食べたということで
トンカツ屋さんに入りました。
先日も別のお店でカツを食べたのですが、
今回は大根おろしがたっぷりのった「おろしかつ定食」をいただきました。
このおろしかつは母もお気に入りでした(^_^)v
姪が食べたいものはと聞くと、お昼にパスタ―を食べたということで
トンカツ屋さんに入りました。
先日も別のお店でカツを食べたのですが、
今回は大根おろしがたっぷりのった「おろしかつ定食」をいただきました。
このおろしかつは母もお気に入りでした(^_^)v