2018年6月20日水曜日

雨でしたが…

父を病院に送っているとドシャブリになった(°0°)
こんな雨の日は電車に乗って図書館などに行くのだけど
強い余震があると帰宅困難者になるので、
小降りになるのを待ってリハビリ散歩に出かけました。

胸病むゆえ真赤な夏の花を好く母にやさしく欺されていし
(『寺山修司全歌集』沖積舎 昭和58年)
特等席を見つけたな(o゜▽゜)o
蓮の葉に雨の音ある旅の夕ぐれ
(『山頭火著作集Ⅰ あの山越えて』大山澄太編/潮文社 昭和47年)
(紫の上)
消えとまるほどやは経(ふ)べきたまさかに 蓮(はちす)の露(つゆ)のかかるばかりを

蓮にかかった露が残るあいだだけでも生きていられるかしら。
たまたまその露が消えずにいるような、それだけの命なのに
(『源氏物語 第四巻』大塚ひかり訳 ちくま文庫 2009年 )
(いつはり)のなき世なりせばいかばかり人の言(こと)の葉(は)うれしからまし  よみ人しらず

『古今集』巻14恋4。
ちょっと恋歌とは思えない歌だが、それは「世」「人」の意味が
現代ではよほど抽象化してしまったためである。
平安時代には「世」を男女関係、「人」を意中の人の意で使うことが普通だった。
偽りというものが男女間になかったら、どんなにあなたのお約束も嬉しいことでしょう。
男の心変わりに疑いをもち始めた女の歌だが、
「世」や「人」の語を現代風に読んでも通じるのは面白い。
(『新編折々のうた』大岡信 朝日新聞社 1983年)
  山梔子(くちなし)や築地(ついじ)の崩れ咲きかくし  麦水

 くちなしは梅雨の花。
強い香りをただよわせる純白六弁の大型の花がうす暗い庭の隅に咲いているのを見ると、梅雨のうっとうしさを忘れさせる。
 くちなし「口無し」、熟しても実が口を開かないからいうので、
『古今集』俳諧歌に「山吹の花色衣主や誰れ問へど答へず口なしにして」(素性法師)。
実を黄色の染料にした。
 古い家をかこむ土塀がひとところくずれ、そこからくちなしの白い花がのぞいている。
素直で印象鮮明な美観。
金沢あたりの武家屋敷の景か。
(『日々の俳句』沢木欣一 求龍堂 昭和58年)
  蕺草(どくだみ)の群れたる花もあはれにて朝な夕なにさ霧がながる  斎藤茂吉

 ドクダミは日陰の雑草で、梅雨のころになると町中でも、民家の北側でよく目につく。
近くを通っただけで悪臭が鼻をつき、きらわれものだが、
近ごろは車の排気ガスのほうがひどい。
ドクダミ科の多年草で群れて咲くが、町中でも野辺でも霧が流れている中に、
ほの白い十字の花が浮かぶさまは、どうやら哀れを誘う。
照葉樹林帯を故郷とする雑草で、中国では揚子江以南に分布する。
日本には本州以南に分布し、北海道にはほとんどない。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
薔薇苑の薔薇ことごとく黝(くろず)みてまひるの空にをはる夢なる
(『明石海人歌集』村井 紀編 岩波文庫 2012年)
ネジバナ(捩花 ラン科)

捩花のまことねぢれてゐたるかな  草間時彦
(『くさぐさの花』高橋治 朝日新聞社 1987年)
  白雨(ゆうだち)や赤子泣出す離れ家  野 角

 夕立の降っている中の離れ家で赤ン坊が泣いている、といだけのことであるが、
もう少し補っていえば、夕立のためにおびえたとも取れるし、
夕立が俄(にわか)に降って来たため、
母親が赤ン坊を置いて立上がった、それで泣出したとも解せられる。
 「離れ家」は離亭でなしに、ぽつんと一軒離れて建っている家の意であろう。
闇の夜や子供泣出す蛍舟」という凡兆の句を思い出す。
(『古句を観る』柴田宵曲 岩波文庫 1985年)
青空の雨傘さして会いに行くはねた毛先を弾ませながら
(『歌集 空を鳴らして』山本夏子 現代短歌社 2017年)
雨音にめざめてより降りつづく雨
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)
百日紅うつつに白く咲きさかり母のねむりは死にまぎれおり  松阪 弘
(『昭和萬葉集 巻十九 戦後日本の総括 昭和49年』講談社 昭和55年)
子に先立たれカンナ咲く
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)
ハシボソガラスは何を見つけたのだろう…?
食べ物ではないみたい…
玩具にして遊ぶのかな?

●本当は黒くない?
 カラスの漢字は、二つあります。
烏と鴉です。
個人的には後者が好きですが、前者もよく使われます。
この「烏」という漢字、「鳥」から横棒が一本抜けた形になっています。
「鳥」の成り立ちからすると、棒一本は鳥の目を表していて、
カラスは目の部分が体色と同じなので、そこがないということのようです。
 そこから考えられるように、カラスは黒一色というイメージがあるかもしれませんが、実際はそうでもありません。
体の部位によって色が違うことがわかります。
背中には緑あるいは紫のような色がついています。
ハトのところでも出てきましたが、これは構造色と呼ばれるものです。
 あるものに色がついているというのは、その色に見える光を跳ね返しているからです。
太陽の光は、いろんな波長の光を含んでいます。
その光が当たって、ある物質が青く見えるのは、
その物質が黄や赤や緑を吸収して青い色に見える波長を跳ね返しているからです。
多くの波長を吸収すると、跳ね返す光がないので黒く見えます。
いろんな波長を適当な方向に跳ね返すと白く見え、
すべての光を正しい角度で跳ね返すと、鏡になります(鏡面反射といいます)。
(…略…)
(『身近な鳥の生活図鑑』三上修 ちくま新書 2015年)