2018年6月29日金曜日

雨と雨の合間に…

今日の天気は不安定でしたね…
出ようと思うと本降りになり、公園に着くと雨が止んでくれました。
空を見るといつ降り出してもおかしくない雲行き…

五月雨の晴れまいそぐや人の足
(『荷風俳句集』加藤郁乎編 岩波文庫 2013年)
(閑吟集)
庭の夏草茂らば茂れ 
道あればとて、訪(と)ふ人もな

庭の夏草よ、茂るなら道を隠すほど茂れ。
道があっても訪ねて来る人などないのだから。

人里離れて閑居する心境ということになるが、
もとは失恋して捨鉢になった状態の歌ではあるまいか。
隆達節草歌(夏)にも継承されている。
◇夏草 しばしば思いの深さにたとえられる。
参考 「あと絶えて人も分け来ぬ夏草のしげくも物を思ふ頃かな」(『新勅撰集』雑一)。
(『閑吟集 宗安小歌集』北川忠彦校注 新潮社 昭和57年)
  蓮(はす)の香(か)や水をはなるゝ茎(くき)二寸  蕪村

池の方から蓮の強いにおいがただよってくる。
見ると、蓮の花がちょうど水面を二寸ほど離れた茎の上に開いている、との句意。
強烈な蓮の花の香気に初夏のさわやかさを感じとった句であるが、
「水をはなるゝ茎二寸」は動かせない的確な表現である。
芭蕉にも「あけぼのや白魚しろきこと一寸」(野ざらし紀行)や
かれ芝やまだかげろふの一二寸」(曠野 あらの)などがあり、
蕪村もこれらの句を意識していたにちがいない。
季語は「蓮」。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
     栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
一寸は約3,03センチメートル。
なんかボトボトになった子どもに見える(^^ )
ハラビロカマキリの卵鞘(らんしょう)だと思うのですが
なんか孵化したような気配が見られないな…
紫陽花を萬葉人の見しものか
(『松瀬靑々全句集 下巻』松瀬靑々全句集編集委員会 邑書林 平成18年)
朝㒵(あさがほ)にうすきゆかりの木槿(むくげ)
(『蕪村俳句集』尾形 仂 校注 岩波文庫 1989年)
五月雨にぬれてやあかき花柘榴  野坡(やば)
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
スズメの子どもが朝ご飯を探していましたp(^-^)q
ヤブカンゾウ(ワスレグサ科)

  被忘戀
忍ぶやと人の心を見しほどにわするゝ草の花になりぬる   賀茂眞淵

○忍ぶやと―自分に対して積極的でないのは、こらえているのかと。
○人の心―恋人の心。
○わするゝ草―萱草。忘草。恋人から忘れられたことの比喩。
▽あの人が、自分に積極的でないのは、忍んでいるのかと思っていた間に、
結局、あの忘れ草の花のように、忘れられるということになってしまったよ。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
    高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
  落第の子の窓掩(おお)ひ灸花(やいとばな)  渡辺千枝子

 灸花は屁糞葛(へくそかずら)ともいい、雑草中の雑草。
茎も葉もいやな臭いがあるので、悪名がつけられた。
アカネ科の多年生蔓草で藪や垣にからまって旺盛に繁茂する。
この花は目立たない小さな筒型、灰白色で内側は紅紫色を帯び、葉のつけねに集まって咲く。
花を取って逆さに置くと、その形が灸をすえるときの艾(もぐさ)に似ているのでやいとばなの名がある。
早乙女花という美しい名もある。
 落第の子の窓を灸花がおおっているのは、いかにもみじめで痛々しい。
ありのままを突っぱなして詠んだところにかえって迫力がある。
受験難は現代日本の地獄である。
 作者は「馬酔木」同人。
(『日々の俳句』沢木欣一 求龍堂 昭和58年)
  田の畦(あぜ)の千草(ちぐさ)に交(ま)じるどくだみは水にうつりてま白く咲けり  結城哀草果

 田のあぜの雑草にまじって咲くドクダミが、
早苗のそろう田の水にいくつか、白い十字の花の影を映している。
早苗の縁とドクダミの白の対照がすがすがしい。
ドクダミの葉はハート型で、ソバやサツマイモの葉と似ている。
花弁のように見える白い四枚は総苞(ほう)で、
中心にある太く短い黄色の穂が、花弁と萼(がく)を欠いた小さな花の集まりである。
日陰の雑草とは言いながらも、少しは日の当たるような場所が好みのようである。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
茎のびて文字摺草となりにけり  五十嵐播水
(『くさぐさの花』高橋治/朝日新聞社 1987年)
ワスレグサ科の園芸品種かな(ヘメロカリス?)
薔薇摘む手青春はいまは欺かず  高橋鏡太郎
(『図説俳句大歳時記 夏』角川書店 昭和39年)

今、『俳人風狂列伝』(石川桂郎 中公文庫)を読んでいますが、
冒頭に登場するのが高橋鏡太郎。
ときは今天(あま)が下しる五月哉(さつきかな)   光秀

時は今、土岐(とき)の一族である自分が天下を治めるべき季節の五月となった。
〔本能寺の変を前にしての光秀の決意が「時は今」という初五の表現にもにじみ出ている〕
◇とき 土岐を掛ける。光秀は土岐氏の一族であった。
◇天が下しる 天下を治める。光秀の決意を示す。
(『連歌集 新潮日本古典集成』島津忠夫 新潮社 昭和54年)

本能寺の変は天正10年6月2日(1582年6月21日)(「本能寺の変」ウィキペディア)
なが雨や銀の帯ひく蝸牛
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)