今朝も青空が広がっていました。
昨日よりも暑さを感じますが、時おり吹く風が心地よかったです(^_^)v
梅雨(つゆ)に入るその日雨ふり火の如き柘榴(ざくろ)の花もしめりてありぬ 金子薫園
梅雨の季節を待ちかねていたようにザクロの花が咲く。
たまたま入梅の日に降った雨の中に開く赤い花は、
しめりながらも火のように鮮やかである。
六月に入ると、町なかの塀や垣根越しに、
濃緑の中のザクロの花が目につくようになる。
生家の酒蔵の前に一本のザクロがあり、
梅雨の晴れ間には酒蔵の白壁を背景にして、
赤い花が燃えるように咲き誇っていた。
この赤い花の乱舞する光景は、幼い日の追憶として、六月がくると思い出す。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
ハスは、多数の美しい花弁があり、香りも良いことから観賞用としてよく栽培されています。
花の中心に目を向けてみると、ふくらんでいる部分があることがわかります。
これは花葉が生じる茎の先端部が肥大して、雌しべを包み込んでいるのです。
茎の先端部の花葉をつける部分は「花托(かたく あるいは花床 かしょう)」と呼ばれ、
花の軸になっている部分です。
(『観察する目が変わる 植物学入門』矢野興一 ベレ出版 2012年)
合歓(ねむ)の花眠り初(そ)めたる日暮れ道ねもごろに病友とわかれたりけり 小川正子
ねもごろに=ねんごろに。ていねいに。
(『昭和萬葉集 巻三 二・二六事件―軍国主義の台頭 9年~11年』 講談社 昭和54年)
別名「イワイノキ(祝いの木)」(^。^)
ハシボソガラスは気のせいか可愛く見える(^^ )
冬の句ですが(^^ゞ
昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかった、
またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである
自嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか
(『山頭火著作集Ⅳ 草木塔』潮文社 昭和46年)
梔子(くちなし)の花
6月~7月に白い大きな花が強い芳香を放って咲く。
アカネ科の常緑低木で庭木として人気がある。
「梔子の実」は秋の季語なので、花であることがわかるように詠む。
口なしの花はや文の褪せるごと 中村草田男
(『季語辞典』文 関淳子 パイインターナショナル 2012年)
エゾミソハギ ミソハギ科
ミソハギとエゾミソハギは変わった花をつけることで有名です。
それは雄しべと雌しべの長さが花によって違い、
長いもの、短いもの、中ぐらいのものの3種類のパターンがあるのです。
これは自家受粉を防ぐためのしくみなのです。
●分布:北海道、本州、四国、九州
●花期:7月~8月
(『花のおもしろフィールド図鑑(夏)』ピッキオ編著 実業之日本社 2001年)
雨のなき空へのうぜん咲きのぼる 長谷川素逝
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
ネジバナ(ラン科)を撮していると…
ハムシの仲間だと思うのですが(オオアカマルノミハムシ?)
ベニシジミ(シジミチョウ科)がハルジオンの蜜を吸っていました。
昆虫の口器は、かつて付属肢という体節ごとにあった原始的な足が変形してできたものです。
チョウの口はよくストロー状と形容されていますが、
たしかに機能的にはストローのように使って花の蜜を吸っています。
ところが、実際には長い2本の顎(あご)のようなものが重なり合っていて、
液体の表面張力を利用して吸い上げています。
昆虫の呼吸は、口ではなく気門という穴から行っていて、
人間の呼吸のように口から空気が出入りすることはありません。
したがって、空気の圧力の差を利用して飲み物を吸い上げることはできません。
チョウがえさを取る様子をよく観察すると、2本の口器を巧みに使っている様子がわかります。
(『昆虫の雑学事典』阿達直樹/日本実業出版社 2007年)
「チョウの口器」
ほとんどの花托は短いのですが、大きな花をつけるモクレン科のコブシやタイサンボクのように、
花托が伸びて棒状に長いものもあります。
厳密にいうと、モクレン科の仲間に見られる軸状の花托は「花軸(かじく)」と呼び、
キク科のように多数の花をつける平たく広がったものは花床と呼び分けています。
(『観察する目が変わる 植物学入門』矢野興一 ベレ出版 2012年)
クマバチ♀(コシブトハナバチ科)
母バチは子どもが成虫になるまでいっしょに巣でくらし世話をするそうです。
「クマバチの巣作り」(動画)
今朝の父の一枚です。
リュウキュウアサガオが一輪だけ咲いているのを見つけました。
花言葉の一つに「愛情の絆」があるそうです。
録画予約して見ている番組に「ドキュメント72時間」があります。
「百貨店 化粧品フロアの女たち」(再放送6月23日 土曜日 午前11時25分~)
を初めは、見た後にすぐ消すつもりだったのですが、
最後の方に登場された86歳のお姑さんとお嫁さんの姿に感動しました。
わずか5分間ほどだったのですが、今までの苦労がきざまれた皺が美しかった。
お姑さんが可愛くて、見守るお嫁さんの優しい眼差しが素敵でした。
先日亡くなった叔母さんのことを思い出したりして目がかすんでしまいました。
早乙女(さおとめ)のうきぐさつきし笠(かさ)を抱(だ)き 中村若沙(じゃくさ)
六月は田植えの月である。
梅雨時の田植えの風景はまさに農村そのもの。
黒々とした田に、浅緑の苗がそよ風になびく風景は、美しい。
農耕日本の象徴であった。
弥生時代にはじまったわが国の稲作は、田に直接種を播く直播法であった。
むかしは田植え唄や田植えばやしによって、
田の神に豊作を祈りながら着かざった早乙女(さおとめ)が手ぶりよい踊り歌で神をもてなし、
一株一株感謝をささげながら植えていった。
田植えが終われば、さなぶりの祭りで、田植えがつつがなく終わったことを神につげた。
いまはどうだろう。
ついに昭和40年ころから田植機が開発され、手植えの十分の一の時間で、
しかも一~二人の家族労働だけで田植えをすますことができるようになった。
もはや田植えは、のどかな農村風景ではなさそうである。
芭蕉の句に「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」がある。
那須の遊行柳での作である。
季語は「早乙女」。
この句、田植えを終わった早乙女……。
その早乙女の笠に、まだ浮草がついたままにある。
田植えが終わった安堵感と、労働のあとの心地よさが読者に伝わって来る。
ほのぼのとした句である。
中村若沙は、明治27年2月15日~昭和53年2月28日。84歳。
岡崎生まれ。大正11年「山茶花」に参加。
21年「いそな」主宰。
(『俳句日暦・一人一句366』石 寒太 右文書院 昭和56年)