まるで梅雨が明けたような雲一つない青空になり、
気温もグングン上がりました(^0^;)
「ことし初の猛暑日 1週間は厳しい暑さ 熱中症に注意を」
コスギゴケ(スギゴケ科)
葉は青みがかった白緑色で高さ2~3cm。
葉は乾くとくるくると強く巻縮し、まるで違う姿になります。
平地で見られるのはほとんどこのコスギゴケで、
わりあい日当たりのより土手や半日陰の土の上などを好みます。
蒴(さく)には毛の生えた帽があり、白っぽい円筒形でよく目立ちます。
(『ときめくコケ図鑑』田中 美穂著 、伊沢 正名写真 山と渓谷社 2014年)
合歓(ねむ)の木ぞひともとまじれる杉山の茂みがあひに花のほのけく
(『若山牧水歌集』若山喜志子選者 岩波文庫 1936年)
蓮葉(はちすば)の上を契りの限りにて 宗祗(そうぎ)
恋の約束の究極は、極楽の蓮の上にともに生ずることにある。
そんなうれしい契りの恋ならば、死ぬ薬を得て早く往生したいものである。
(『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』
金子金治郎、暉峻康隆、中村俊定 注解 小学館 昭和49年)
ネズミモチ(モクセイ科)
果実をネズミの糞に例え、
葉の質感がモチノキの仲間に似ていることから名づけられたそうです。
梅雨(つゆ)ばれの照日(てりび)にかげのところなし草の青野は風にそよぎつ 岡 麓
(『昭和萬葉集 巻二 軍靴の響き――満州事変 6年~8年』講談社 昭和55年)
どくだみの白妙(しろたえ)梅雨の一日昏(く)る 橋本多佳子(たかこ)
作者は東京都生まれの俳人。
白妙は、カジノキ(クワ科の落葉高木)の木の皮の繊維で織った布のことで、
その色が白いからいう。転じて白い色のこと。
ドクダミの白妙に似た花が目にさわやかに映っているうちに、
うっとうしい梅雨の一日も暮れてしまった。
「どくだみや真昼の闇に白十字」(川端茅舍)の句と一脈通ずるところのある句である。
臭気の成分は揮発性のものが大部分で、加熱すると消えうせる。
茹でて水に晒したり、てんぷらなどにして食べる。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
梅雨あがる淡き光に散らむとし花はおびただしき言葉を持てり
(『新編 中城ふみ子歌集』菱川善夫編 平凡社 2004年)
昨日、ネジバナを紹介した中に
「ネジバナの根性は相当ねじ曲がっているのだ」なんてありましたが、
EテレのサイエンスZERO「寄生生物が世界を変える!」で、
(再放送:6月30日(土)午前11時00分~ )
寄生虫を役立てようとする研究が紹介されていました。
ネジバナの知恵に学ぶ研究だなと思いましたよ(^_-)
己が貌(かほ)ふと見わすれし物怖(おそ)れ紫陽花の花の黄なるをにくむ
(『明石海人歌集』村井 紀編 岩波文庫 2012年)
下町(したまち)の十方(じゆつぽう)音や梅雨晴間(つゆはれま) 石塚友二(ともじ)
五月晴れである。
最近では、梅雨のくる前の五月に見られる心地よい晴天を「さつきばれ」というが、
俳句の季題にいう五月晴れは梅雨晴れのことである。
(…略…)
その梅雨がきれて、さっと青空が顔を出した。
人間の動きもあわただしさを増してくる。
とたんに活気づいてくるのだ。
あっちからもこっちからも、いろんな物音がひびいてくる。
とくに下町の横町は景気がいい。
人々は声をかけあって、通りすぎる。
工場の音、自動車の音……。
しかしこれも、ほんのちょっとの間だけである。
すぐにうっとうしい雨はやってくる。
半日くらいもてばいいほうである。
そんな様子がこの句には出ている。
ちょっとした梅雨の晴間を、それっとばかり動き出した下町の光景が、まるで目に見えるようである。
(…略…)
(『俳句日暦・一人一句366』石 寒太 右文書院 昭和56年)
人生は解約出来ず蝸牛 水月りの
かたつむりは日本だけでも700種以上が知られている。
一カ所にいて移動する範囲が狭いから、地方ごとに異なる種類が多く発生したわけだ。
それに比べて人間はどうか。
自由に行動できて個性が発揮できるはずなのに、
日本人はだんだん画一的になり、平均化してしまった、とよく言われる。
その先にどんな未来があるのだろうか。
みんな一様に望むことは健康で長生きすること。
そんな人生なら御破算にして出直したいが、解除できない契約のごとき人生と思っての作か。
人生について古来さまざまな考え方がある。
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」は徳川家康のことば。
封建時代ならそんな人生観もあるだろうが、
民主主義の世の中でも儘(まま)ならないのが人生だと悲観的な一句だ。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
地震から1週間経ち次第に落着いてきたかなと思ってしまいますが
「大阪北部地震 2つの断層が同時に動き発生か」
というニュースもあるのでまだまだ安心できません!