2018年6月11日月曜日

雲のきれまから

どんよりとした梅雨空でした。
田植えは終わったようです。
稲のそばに落ちているのは…
真すぐに合歓の花落つ池の上  星野立子
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
ショウジョウトンボ♂は、この場所がお気に入りのようです。
ビロードモウズイカ ( ゴマノハグサ科)
〔解説〕
この花を見かけたら、ぜひ草全体を触ってみてください。
もう本当にびっくりするぐらい毛だらけなのです。
そして、それはまるで化繊の布の手触りそのもので(しかも安物の化繊の!)、
一度触ると
「この花は本当に植物なの?ひょっとすると、草全体化繊でできた作り物なのではいか…?」、
真剣にそう疑ってしまいぐらいそっくりな手触りです。
草丈は1~2メートル、道ばたや空き地などでよく見かけます。
●分布:帰化植物(地中海沿岸原産)
●花期:8月~9月
日当たりがよくなった場所ですぐ芽生えるため、種子は地中で待っています。
100年間も待ち続けるものもいるそうです。
(『花のおもしろフィールド図鑑(夏)』)
ヒメジャノメ(タテハチョウ科ジャノメチョウ亜科)
毎年悩んでいますが…ハマカンゾウだと思うけど…(・・?
仲よく並んで飛んでいるみたいですが
コシアキトンボ♂が互いを牽制しあっていました。
コフキトンボの止まっている先にクモのように見えますが、
羽化したあとの脱け殻のようです。
白いアジサイのようですが(^^ゞ

紫陽花の末一色と成にけり

[訳]紫陽花の花の最後の一色となってしまったなあ。
[解]色を変えて咲き続けた紫陽花が全ての色彩を失ったことへの感嘆。
最後の一色までみつめるのも稀有(けう)なこと。
(『一茶句集 現代語訳付き』)
ムシトリナデシコ(ナデシコ科

ムシトリナデシコは、もともと観賞用でしたが、今では河原や道端で見かけます。
ムシトリと名がついていますが、食虫植物ではありません。
しかし、茎から出る粘液で茎を登ってくる昆虫を捕らえます。
何のために捕らえるかというと、花の蜜や花粉を、
受粉に効率的でないアリなどの昆虫にとられないために、
花まで来られないようにしていると考えられています。
(『観察する目が変わる 植物学入門』)
一方、エニシダ(マメ科)にはアリがやってきていました(^。^)

「自作品解説」
  胡麻と見しが動く蟻なり痛快なり  島津司郎 

 退院余後のことである。
食物は一日三十数種を口にすることが好ましく、
その中でも特に豆、穀、木の実、種子の類いわゆる生命を秘めるものは特に良い、
年齢的に動物性のタンパク及油脂類の制限はきびしいが、
それは胡麻を食することで充分であると指導をうけた。
 田舎の事である。
そこらにたくさんある野草や庭でとれた野菜の煮びたし、
うどん、そば、少量の漬物、塩気の少い味噌汁、等々……、
なんでも胡麻を振りかけて食べる生活をつづけている。
胡麻の香ばしい香(かお)りを抜きにする毎日の食事はないとう生活である。
胡麻の生命、いのちを私がもらうのである。
 そのようなある日の食卓で、胡麻が一粒落ちている、
手をのばして拾おうと思った瞬間それが動いた、「蟻」である。
蟻にも通じる人間の心の気配、正に生命、いのちである。痛快である。
以来の私の生活は即身作物(さぶつ)を念頭におく毎日を送っております。
(『現代俳句を読む―合評と自解―』著者代表 金子兜太 飯塚書店 1985年)
るり色の石榴(ざくろ)の花のきわだちて日本列島梅雨(つゆ)に入りたり  山崎方代
(『昭和萬葉集 巻二十 昭和五十年の回顧 昭和50年』講談社 昭和55年)

るり色の石榴をみてみたいな…(・・?
今日、注文した本にヒントがあるみたいだけど…
雲のきれまから青空が見えました(^。^)

少しなら歩けて朝の光を入れる
(『住宅顕信 句集 未完成』)
むすぼれし心もとけつおほどかに泰山木(たいさんぼく)のにほふ夕ぐれ  佐佐木信綱
(『現代の短歌』)

むすぼれる【結ぼれる】(自下一)
〔結んで解けない状態になる意〕「ゆううつな状態になる」意の老人語。
(『新明解国語辞典<第四版>』)

おほどか おっとりしていさま。のんびりしているさま。
(『岩波古語辞典(旧版)』)
モンキチョウが空を見上げて休憩していました。
蓮の葉を見るとまっ黒になるほど虫がついています。
スズメが駆除活動に来てくれましたp(^-^)q
駆除してくれているのはアブラムシかな?
  昼がほやどちらの露も間に合はず  横井也有(やゆう)

夏の真昼、昼顔の花が咲いているので、これに露が添えられたら、
花の風情(ふぜい)もいっそう増すことだろうと思うが、
それには朝露も夕露も時間的にぐあいが悪くて、間に合わない、の意。
理屈っぽい句であるが、昼顔から朝露・夕露を連想することで、
朝顔や夕顔の面影(おもかげ)をも感じ、それとの比較のうえで昼顔の素朴さが思い浮かべられる。
当時非常に有名になった句で、也有の代表作とされていた。
季語は「昼がほ」で夏。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
     栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)