2018年6月13日水曜日

梅雨らしくないような…

青空が広がっていて日向は暑いですが、風が涼しくて梅雨とは思えなかったです。

歌かくと蓮の葉をれば藕糸(いと)のなかに小さきこゑする何のささやき
    (鉄幹梟庵晶子の君達と住の江に遊びける時)
(『山川登美子歌集』)

ぐうし【藕糸】
(「藕」は蓮または蓮の根)蓮の茎または根茎にある繊維。はすのいと。
(『広辞苑 第六版』)
  朝な朝な草刈りに行く河岸に合歓の花咲きて夏は来にけり  結城哀草果

 ネムノキは原野や河岸など日当たりよく、開けた場所を好んで野生する。
七月から八月にかけて花が咲き、ちょうど草刈り時期である。
日暮れごろ、ぼたん刷毛を散らしたような淡紅色の花が咲き乱れている様子は、
夢でも見ているような思いがする。
離れて眺めると風情のある花である。
樹皮はタンニンを含み、漢方では合歓皮(ごうかんぴ)と称し、
打ぼく症、うがい薬に用いる。
材は軟らかくて粘り強いので、斧や鎌などの農具の柄にする。
(『あめつちの詩』草川 俊 日本経済評論社 昭和58年)
ガラス器に紫陽花を挿しこのゆふべわが双眸は水恋ふるなり
(『栗木京子歌集』)
夏日照る墓地いちめんに落ちたまる山桃の実の強く匂へり  空 喜志子
(『昭和萬葉集 巻二十 昭和五十年の回顧 昭和50年』講談社 昭和55年)
梅雨の間と思へば空よりしずくかな
(『石牟礼道子全句集 泣きながら原』2015年)
雫が落ちてきたのではありません(^_-)
メジロの水浴びです(^^ )
でも、連れがいなかったのですぐに終わりました。
コシアキトンボが止まっているのですが
なんか休んでいるというよりもしがみついているみたい(*´∀`*)
こちらはのんびりと休んでいました。
コオニヤンマ(サナエトンボ科)かな?
ナミテントウ(テントウムシ科)とテントウムシの幼虫

凌霄や花を垂れたる蔓の花  籾山梓月
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
顔をみるとメスのようです。
クマバチのオスとメスの見分け方」(動画)
昭和23(1948)年6月13日夜半に太宰治が山崎富栄と玉川上水に入水(39歳)しました。
春の句ですが、

  追憶のぜひもなきわれ春の鳥  太宰 治

 何かとゴシップの多かった人気作家である。
心中未遂事件などを起こし、それを素材の小説を書くから、本人はますます傷ついてゆく。
これは作家の宿命か。
ふと自身の境遇に思いを致しての作である。
 過ぎ去ったことを思いしのぶのはやむを得ないことなのだ、と一種諦観(ていかん)の境地もみえる。
そんな傷心の彼をやさしく慰めてくれるのは春の鳥だったのだ。
季語を生かしながら、太宰文学の世界を集約して見せる秀句だと思う。
俳句にはほとんど興味を示さず昭和6、7年ころのものが数十句と書簡の中に書いた句くらいしか遺(のこ)っていない。
今朝は初雪ああ誰もゐないのだ
幇間(ほうかん)の道化窶(やつ)れ水(みづ)つ洟(ぱな)
乱れ咲く乙女心の野菊かな」など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)

太宰治の生涯~略年譜~」(太宰ミュージアム)
この藪の野苺の実はゆくさくさ吾のみ食みて今日なくなりぬ  仲 宗角
(『昭和萬葉集 巻十六 万国博と70年安保 昭和45年~46年』講談社 昭和55年)
カンナと一体になっているのはベニシジミ(シジミチョウ科
今朝の父の一枚です(^_^)v