2022年8月28日日曜日

汗の出方が違う…

朝起きたら天気予報をチェックしています。
最近、すぐチェックするのが「」。
公園を歩いている時、風があったので汗の出方が違いました(^^)v
時々、風が止まったり日差しが出ると汗がドッとでたけど…

発達して台風になるだろうなぁ…
日本の南海上の熱低 台風に発達して西日本から東海に接近か」(NHK)
自然科学分野の引用論文数 日本は過去最低の12位に後退」(NHK)
よく日本からノーベル賞受賞者が出ると、
日本はすごいと自慢する人たちがいますが
国・文科省の短期の成果を求める政策では
ノーベル賞の受賞者が、今後、出なくなると思うな!

専門家「人に投資していない」
永野博客員研究員
「博士号を取ってもなかなか就職できないのは日本だけで、社会で働けるようにして育てた人材がうまく活躍できるシステムにしないといけない。
産業界と大学の間の協力が今ほど求められるときはなく、博士号を取得する人を増やすとともに、その後の支援も含めて真剣に考える必要がある」
ブラタモリ「境港・米子~思わずゲゲゲ!“鳥取のしっぽ”は不思議だらけ!?~
この地方は、江戸時代後半には、綿花の生産量が全国で5番目だったそうです。
海にできた砂州からどうやって水を手に入れたのか?
「淡水レンズ」という不思議な現象を知りました。

風土や地形が水木しげるさんの人格形成に大きな影響を与えていることがわかります。
  おわりに

 まァ、いずれにしても時は過ぎ去り、今は多少老いてしまった。
 しかし、あの少年時代の奇妙なオドロキ、奇妙なケンカ、そして奇妙なスリル、わすれることができない。
 世界はオドロキに満ちており、ぼくはいつも、少年時代をなつかしく思い出す。 
(『のんのんばあとオレ』水木しげる ちくま文庫 1990年)
 ゲエテがいっておるように、少年時代には少年時代、中年には中年時代、老年には老年時代、それぞれ、その時に味わっておかなければならないものがある。
 たしかに、少年時代のぼくはなまけ学生であったお陰で、人の十倍ぐらい少年時代をたのしんだ。
 おかげで青年時代はそのせいかなんとなく苦しかったが。
 中年を過ぎてマンガ家になり、あの少年時代の奇妙な体験の数々が、有形無形にうまく役立ち、マンガ家としてめしが食えるようになった。
 新鮮な子供の時の、自然やみるものきくもののオドロキは、やはり子供の時に味わっておかなければならない大事なことかもしれない。
 いまの子供たちが学校とか塾などで勉強を強(し)いられ、自然とともにオドロクことを味わえないの不幸なことだ。
 ぼくはなんとなく自然が好きで、南方の土人と気が合うものだから、いつも出掛ける。
 最近は南方に家をたててもらって、いつも土人に(水木用語でいう土人という言葉は、土の人という意味で、差別語ではない)「お前いつ永住するのか」といわれている。
 彼等は少年が大きくなったような感じだから、ぼくと気が合うのだ。
 ぼくは南方の空気を吸うたびに、大きな大自然に抱かれた気持になるが、少年時代にこうした気分をゼヒ、日本の子供にも味わってもらいたいものだといつも思う。
(『のんのんばあとオレ』水木しげる ちくま文庫 1990年)
100分de名著「100分de水木しげる

佐野史郎さんが「屁力」と言っていた。
入院中のことをふり返り
「うんちと血とおしっこと屁だっていう。
これが一番大事なことなんだよ人間にとって」

私が、入院中、一番嬉しかったのは、トイレで排便できたことです。
『今昔物語集』に…
巻第二十八
 近衛(こんえ)の舎人(とねり)秦武員(はだのたけかず)(もの)を鳴(な)らせる語(こと) 第十

 今昔(いまはむかし)、左近(さこん)の将曹(しようそう)にて、秦の武員と云(いう)近衛舎人有けり。
 禅林寺(ぜんりんじ)の僧正(そうじよう)の御壇所(ごだんしよ)に参(まいり)たりければ、僧正、壺(つぼ)に召入(めしいれ)て物語などし給(たまい)けるに、武員、僧正の御前(まえ)に蹲(うずくまり)に久(ひさし)く候(さぶらい)ける間に、錯(あやまり)を糸高く鳴(なら)してけり。
僧正も此(これ)を聞き給ひ、御前に数(あま)た候ひける僧共此れを皆聞(きき)けれども、物き事なれば、僧正も物も不云(いわ)ず、僧共も各(おのおの)顔を守(まもる)
暫く有ける程に、武員、左右(そう)の手を披(ひろ)けて面(おもて)に覆(おおい)て、「哀れ、死(しな)ばや」と云ければ、其の音(こえ)に付(つき)てなむ、御前に居たりける僧共、皆咲(わら)ひ合(あい)たりけり。
其の咲(わら)ふ交(まぎ)れは、武員は立走(たちはしり)て逃て去にけり。
其の後、武員久く不参(まいら)ざりけり。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
 然(し)か有らむ事には、尚(なお)聞かむまゝに可咲(わらうべ)き也。
(ほ)ど経(へ)ぬれば中々(なかなか)き事にて有る也。
武員なればこそ、物可咲(おかし)く云ふ近衛舎人にて、然(さ)も「死なばや」とも云へ、不然(しから)ざらむ人は極(きわめ)て苦(にが)りて、此(と)も彼(かく)も否不云(えいわ)で居たらむは、極(いみじ)く糸惜(いとおしみ)なむかしとなむ人云けるとなむ語り伝へけると也。

禅林寺 京都市左京区に現存する永観堂の正称。
 欠字。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
六 滑稽は賢愚貴賤を問わず
 厳粛な場所で音高く鳴らしてしまった話


 今は昔、左の近衛府の役人で、四等官(しとうかん)の位にあった秦武員(はだのたけかず)という人がいた。
この武員が、真言宗の道場である禅林寺の住職をつとめる深覚(じんかく)僧正をお訪ねした時のことである。
僧正は彼を中庭に招き入れ、親しく話を交わした。
武員は、僧正の御座所の前の庭先にかしこまってうずくまり、その姿勢で長い間しゃがんでいた。
ところが、そのうちどういうはずみか、とてつもなく大きく響く一発を放ってしまった。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年)
 僧正はもちろんこれをお聞きになったし、その場に控えていた大勢の僧侶たちも皆この音を聞いたのだが、なんともきまりが悪いことなので、僧正も無言、侍っている僧たちもおかしさをこらえ互いに顔を見合わせていた。
その瞬間、武員はふいに左右の手を大きく広げてから顔をおおい、
「ああ、死んでしまいたい」
と言った。
その声を聞いて、僧正の御前にいた僧侶たちは全員、こらえきれずにどっと笑い声をあげた。
その笑い声にまぎれて武員は立ち上がるや、その場から走って逃げ去った。
この一件以後、武員は久しく僧正のところには姿を見せなかった。
 こういうしくじりは、聞いたその瞬間が一番滑稽でおかしいのだ。
黙ったままやり過ごして時間が経つと、むしろ恥ずかしいふるまいとして皆に記憶されてしまうものである。
武員は、もともと面白おかしい話をするのが得意な人だったので、とっさに「死んでしまいたい」などと言うことができたのだ。
そういう芸のない人だったら、きっとひどくきまり悪そうな顔のまま何も言えず坐っていることになったはずで、さぞ気の毒な図になっただろう、と人々が噂した、と、こうして今に語り伝えられている。
     (巻第二十八第十)
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年)
深覚(じんかく)
 禅林寺大僧正、石山大僧正などと号す。
天暦9年(955)生、長久4年(1043)没。
父は九条右大臣藤原師輔。
母は後醍醐天皇皇女、康子内親王。
治安3年(1023)に勧修寺長吏。
高徳験者の聞こえ高く、東寺長者に補し、大僧正に至る。
危篤に陥った教通を、碁を打って治したなど、洒脱な人柄をしのばせる逸話が多い。
御拾遺集初出。
(『後拾遺和歌集』久保田淳、平田喜信校柱 岩波文庫 2019年)


囲碁や双六、将棋はもともと占いや儀式に用いられていましたが、病気治療時に用いられていました。
7月3日に転記した小山聡子さんの「病気治療のための囲碁と双六」を参照してください。
今朝の父の一枚です(^^)/
先日、拾った栃の実を公園のある場所に埋めていました。

(とちのき)
 〇民間療法。
打ち身には、トチ水(トチの実を15度くらいの焼酎一升に10粒ほど削って入れ、一月ほどおいたもの)を用いる(北海道)。
ジフテリアにはトチを煎じた水とホオノキの虫を飲む(青森)。
トチの樹皮を乾燥させたものは、しもやけ、下痢止めに効く(青森・徳島)。
気管支炎で喉が腫れたら酒・トチ水で湿布する(北海道)。
リュウマチにはトチの実を煎じて飲む(岩手)。
神経痛にはトチの実の粉を焼酎で練り、これを貼る(岐阜)。
瘡ができたらトチの実の黒焼きを油で練ってつける(新潟)。
トチの実を煎じて飲めば食あたりに効く(岩手)。
トチの実と麦粉とを酢で練り合わせたものを骨折の塗布剤にする(青森)。
トチの実を炭焼きの竈の炭でまぶすと苦味が消える。これを餅にして食べると体がアルカリ性になり、マムシにかまれても大丈夫である(滋賀)。
じんましんにはトチの皮を煎じて飲む(山口)。
耳に膿をもった時はトチの粉を耳に入れるとよい(岐阜)。
トチの実を肌身離さず所持していると中風にかからない(石川)。
(『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 令和2年)