酷暑のど真ん中という暑さ(-_-;)
(2023年は8月8日が立秋)
それでも探すと銀杏がなっていました。
〝お盆前に 奈良の東大寺で3年ぶりに大仏の「お身拭い」〟(奈良NHK)
IDESコラム vol. 33「大仏は感染症対策?」(養成プログラム4期生 2018年12月21日) ルオーの陽揺れライン河秋立ちぬ 有馬ひろこ
立秋の日をライン河に遊んでの作。
前書に「ライン河五句」とあり「聖堂のサイドチャペルを廻る汗」などの作も。
日本にあって感じる立秋とは趣を異にする。
こうした海外俳句に対しては、わが国の風土や四季の変化の中で完成された伝統詩だから、気候風土の大いに異なる海外で作る俳句には問題があるという議論も絶えない。
日本の風土に対すると同じ感覚で作るなら単なる観光俳句になってしまう。
それは個人的な問題で、異国の風土を内面化して独自の視点で句作するなら新しい地平が拓(ひら)かれる。
ルオーはピカソやマチスたちとともに二十世紀を代表するフランスの画家。
中世、ルネッサンス以降における、真の意味での宗教画家といわれ、画面からは輝くようなきらめきが感じられる。
その感銘をラインの川面(かわづら)に重ね、異国での季節の移ろいを満喫している。
1929~ 東京生まれ。有馬朗人夫人。「天為」副主宰。
句集『ザビエル祭』『ルオーの陽』『自註有馬ひろこ集』
(『きょうの一句 名句・秀句365日』 村上護 新潮文庫 平成17年)
8月8日は立秋である。
暑い盛りに秋が始まる。
中国文化圏の暦は、気温の変化に先行する光の変化を目安にして季節を区分しているため、実際の寒暑と暦の季節の間にズレがあることは、立春の項で述べた。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年) しかし暑い盛りの中にも、そこはかとない「小さな秋」の感触はある。
たとえば、立秋がすぎるころになると、同じ時刻に見る街路樹の影が、一月ほど前よりも、ずっと長く伸び始めたことに気づく。
一番星の見える時刻も早くなる。
たとえば東京の場合、夏至のころ(6月22日ごろ)の日没時刻は午後7時であったが、立秋のころは午後6時40分であり、8月末には6時10分になる。
そのわずかな日暮れの早まりに人は太陽の衰えを感じる。
二十四節気は「季節点」であると同時に、期間である。
立秋の節気は、8月8日から、つぎの節気の処暑(8月23日)の前日までの15日間(年によって16日間)である。 それぞれの節気を三等分して、初候、二候、三候に分けたものが七十二候である。
「気」という字の意味を広辞苑で見ると、いろいろあるが、その中に「十五日間を一期とする呼び方。三分して、その一つを候と呼ぶ」とある。
ふだん使っている気候という言葉も、この「気」と「候」に由来するらしい。
中国の暦では、立秋の「気」の第三候(8月18~22日)の記事に「寒蟬(かんせん)鳴く」とある。
江戸時代に渋川春海(しぶかわ はるみ)が、中国伝来の二十四節気七十二候を日本(主として近畿地方)の気候に合わせて書き改め貞享暦(じょうきょうれき)にしたとき、この「寒蟬鳴く」は、処暑初候(8月23日~27日)に移されている。
いずれにしても8月下旬である。 その8月下旬に、季節をうたいあげるセミは、何ゼミだろうか。
広辞苑の初版では寒蟬(かんぜみ。かんせん)はヒグラシである。
諸橋博士の大漢和辞典でもヒグラシ。
別に、鳴かないセミの説もある。
ところが生物季節資料によれば、ヒグラシの初鳴日は意外に早く、横浜では平均日は7月21日である。
アブラゼミの7月27日よりも早いのである。 俳句歳時記ではセミは夏で、ヒグラシは秋である。
ヒグラシを寒蟬と呼ぶのは、涼しげなその鳴き声によるのであろうが、このセミは子供たちの夏休みが始まる前から鳴いている。
8月後半に鳴いて、夏休みの終末の近いことを知らせるのはツクツクボウシである。
ツクツクボウシの初鳴日の平均は宇都宮で8月9日、名古屋で8月18日である。
立秋のセミにふさわしい。
広辞苑の第二版では寒蟬は「秋の末に鳴く蟬。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か」と改訂されている。 立秋のころの、そこはかとない秋の気配を詠んだ和歌で有名なのは、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今集、藤原敏行)である。
しかし、この歌は、「秋立つ日よめる」と前書きがあり、この日から秋が始まる、という知識が先にあって、それに応じて、目にはさやかに見えぬ秋を感じている。
「秋立つや何に驚く陰陽師」(蕪村)の句にも、知識としての「立秋」がある。
その知識は、もちろん、中国伝来の二十四節気であり七十二候である。 ところが、中国には、日本と比較した場合に、暑い盛りの8月の上旬を立秋としても、さほどおかしくはない、気候学上の理由がある。
二十四節気は、黄河中流域の陜西(シェンシー)省あたりの古い郷土暦に由来するといわれている。
この方面の気候は、海に囲まれた島国の日本の気候にくらべると、大陸性が強い。
大陸では、気温の年較差、日較差が大きい。
また、太陽の光の変化と気温の変化との位相のズレが小さい。
これらはいずれも地面が海面に比べると、太陽の光の変化に対する応答が早いためである。
日本では月平均気温は、ほとんどの地点で、8月が年間で最も高い。
しかし大陸では7月である。
そして8月には太陽の衰えに応じて、気温が下がり始めているのである。
たとえば、陝西省の西安の月平均気温は、7月 29.7度、8月 28.6度である。 日本でも、海辺の都市と内陸の町とでは、8月の暑さの感じはずいぶんとちがう。
横浜と松本の8月の気候をくらべると、日中の気温は同じくらいに高いが、松本の方が乾いていて、カラリとした暑さである。
そして朝の気温は松本の方が4度も低い。
アルプスの見える町では、オオマツヨイグサの黄色の花をゆらせて吹く8月の夕風は、すでに初秋の風なのである。 8月に小さな秋を感じるもう一つの理由は、身体が暑さに慣れることである。
山登りをする時、二、三合目が一番苦しい。
身体が山道に慣れていないからである。
が、四合目あたりからは、自分のペースが決まってきて、息切れしなくなる。
暑さを山にたとえるならば、8月は急坂を登りつめたあとの尾根道で、吹く風を肌に快く感じるのであろう。
(倉嶋 厚)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
病気をする前、8月終わりに槍ヶ岳などからの帰りに昼間の電車に乗らず
夜行列車までの時間、松本でビールなどを飲んだあと
ベンチで横になっていると寒かったのを覚えています(^^ゞ