2022年8月2日火曜日

危険な暑さが続きます…

今朝も暑い…(-_-;)
それでもほんの少し風が吹いてくれて空からのプレゼントだとホッとする。
この公園を歩いているのは、木陰があるから。
退院してしばらく河川敷を自転車や徒歩でリハビリ散歩をしていた時期があります。
でも、木陰がほとんどない河川敷は、夏は無理だなと思いこの公園を歩くことにしました。

各地で猛暑日 埼玉や静岡で39度の危険な暑さ 熱中症に厳重警戒」(NHK)
11年前に心筋梗塞を発症(7月31日)
誕生日の2日に肺炎が見つかり人工呼吸器に繋がりました。
すごい誕生日プレゼントになりました(^^;
8日後にマスクが外された時にボコッというような
なんとも言えない音がしたのを覚えています。
人工呼吸につながっている間、いろんな夢や幻覚を見ました。
心臓が上半分壊死した状態で
いつ突然死してもおかしくないと言われていましたが
なんとか11年生きています。
岩波書店の月刊雑誌 『世界』の表紙をあけると阿部海太さんの「民話採光」が描かれています。
8月号には

民話採光8  
 絵は夜闇に抜け出でて


絵というものは時に描き手の想像を超えた何かを宿すことがある。
絵が大好きで、とりわけ好きな猫の絵ばかりを描いていた子供が、絵を描きながら旅しようととひとり出立する。
宿無しの子はある空き寺に泊まるが、そこは化け物が出ると噂の寺だった。
そうとは知らぬまま、子はここでも猫の絵を描き、御堂の隅から隅まで貼り付けた後で眠りにつく。
翌朝目を覚ますと、老いた化け鼠が一匹嚙み殺されていて、絵の猫の口には血がついていたと。
不可知の世界に通ずる絵と夜闇。
それに触れ得る子供と動物。
巡り合わせが物語を育む。(阿部海太)

参考:
「信濃の民話」編集委員会・石崎直義他編
日本の民話10 信濃・越中篇』(未来社)
「絵にかいた猫の手がら」
(『世界 2022年8月号』岩波書店)
絵にかいた猫の手がら」(「越中むかしものがたり」ToyamaCityFM)で朗読を聞くことができます。

[新版]日本の民話 35 越中の民話 第一集』は、
図書館になかったので展開が違いますが

富山県の民話 県別ふるさとの民話31』より
絵ネコとネズミ<むかし話・井波町>」を転記します( ..)φ
 絵ネコとネズミ<むかし話・井波町>

 むかし、ある山寺に、絵の好きな小僧がおったと。
 小僧はお経をよむのがきらいで、ひまさえあれば、絵ばかりかいておった。
小僧のかく絵は、きまってネコじゃった。
 おしょうは、まい日、
「お経をおぼえんのなら、寺からおいだしてしまうぞ。」
と、しかりつけるが、小僧はすこしもいうことをきかず、あいかわらずネコの絵をかきつづけとった。
(『富山県の民話 県別ふるさとの民話31』日本児童文学者協会編 偕成社 1982年)
 小僧のかいたネコの絵は、つもりつもって、天じょうにとどくまでになった。
それを見たおしょうは、とうとうおこって、
「おまえ、その絵をもって、どこへなりといってしまえ。」
というて、小僧をおいだしてしもうた。
 小僧は、しかたがないので、じぶんのかきためたネコの絵を、だいじにふろしきにつつんで、せなかにせおうて、寺をでていった。
 どこへいくあてもない小僧が、山道をあるいておるうちに、みじかい秋の日は、どっぷりとくれてしもうた。
小僧が、どこかとまるところはないかと、山道をあるいておると、山の中に一けんの古寺があった。
まわりに草がぼうぼうとしげり、やねもやぶれ、ずいぶんとあれはてた寺じゃ。
小僧は、
(しかたがない。ここにとめてもらおう。)
とおもうて、戸をトントンたたいたが、人のおるようすはない。
中へはいってみると、どこもかしこもクモの巣だらけで、いろりには、火をたいたあともない。
 それもそのはず。
このあき寺は、夜中になるとばけもんがでてきて、どんなものでも食いころしてしまうので、ながいあいだ、だれもすんでおらんかったのや。
 そんなことをしらない小僧は、ここで夜をあかそうと、クモの巣だらけの本尊(ほんぞん)さんに手をあわせて、
「今夜の宿を、たのんます。」
と、おがんだ。
それから、ふろしきづつみをといて、いままでかいたネコの絵を、みんな本堂のかべやはしらにはりつけた。
 三毛ネコ、黒ネコ、白ネコ。子ネコに親ネコ。
どの絵も、いきいきとかかれておって、いまにも絵の中から、ニャオンとないてとびだすかとおもうほどや。
 やがて、小僧は、ひるまのつかれで、ネコの絵にかこまれて、ねむってしもうた。
 ま夜中になった。
と、とつぜん、ガタガタともの音がした。
小僧が目をさますと、本堂の中に月の光がさしこんで、絵の中のネコの目ん玉が、みんな青くぺかぺかひかっておった。
 小僧は、おとろしいのをがまんして、また目をつぶった。
  ドタバタ ドタバタ
  ドタン バタン
  チュッ チュッ
  ウウッ ウウッ
 おとろしい音に、小僧がとびおきると、本堂の中を、子犬ほどもあるばけネズミが、かけずりまわり、それをたくさんのネコが、おいかけておった。
小僧が、ふと見ると、絵の中のネコは一ぴきもおらず、どの絵も、まっ白な紙になっておった。
 ばけネズミとネコたちは、とうとう、とっくみあいのあらそいになった。
夜あけちかくになって、からだじゅうネコにかみつかれたばけネズミは、ついにいきたえて、あたりは、もとのようにしずかになったと。
 小僧は、まんじりともせずに一夜をあかした。
朝になってみると、絵の中のネコは、なにもなかったように、もとのすがたのまんま、おさまっておったと。
 そののち、小僧は、ばけネズミのいなくなったこの寺の住職になり、まい日、すきなネコの絵をかいて、一生をおくったということや。
ぱっちり。
  <再話・稗田菫平(ひえだきんぺい)
解説 「絵ネコとネズミ

 絵や彫刻にえがかれた動物がぬけだす話は伝説に多く、日本全国にあります。
県下では魚津市桃源寺(うおづしとうげんじ)の龍の彫刻、福野町安居寺(ふくのまちあんごじ)の絵馬(えま)などが有名です。
この話は昔話となっていますが、寺と彫刻の多い井波町(いなみまち)で採集されました。
(『富山県の民話 県別ふるさとの民話31』日本児童文学者協会編 偕成社 1982年)

石清水八幡宮には左甚五郎作と伝わっている「目貫きの猿」が知られています。
石清水八幡宮の昇殿参拝」(八幡まるごとナビ)
今朝の父の一枚です(^^)/

庭に来る鳥と湖の鳥と  大原富枝
 人なつこいキジバト

 私の手帖には「庭に来る鳥」として、キジバト、ムクドリ、ヒヨドリ、キビタキ、シジュウカラ、スズメ、ウグイス、オナガ、ドバト、メジロ、ツグミ、カラス、などと記してある。
 ツグミやジョウビタキは冬になってから来る。
春とはいわず年中いて、一番人なつっこいのはキジバトである。
しかしキジバトが庭に来はじめたのは、たしか二十年くらい前からである。
最初に見つけたとき、私は雌のキジかと思っておどろいて声をあげたものである。
軽井沢の家でキジの雄や雌やひなをよく見ていたので、あっと思ったが、よっくみるとキジバトであった。
一日中庭で遊んでいて、庭の大きな木の上にあちらこちらに巣を営む。
葉のかげになっていてなかなか見えないが、今年と昨年は、私の二階の寝室の窓からすぐそばに見えるざくろの樹の上に営巣したので、まるで手にとるように巣の中の状態がよくわかった。
 昨年はざくろの枝の分かれた頂上のあたりに営巣していた。
ところがある朝、カラスに襲われて、卵を一つ奪われ、営巣をやめてしまった。
キジバトは春と秋の二回、営巣すること、一回に必ず卵を二個産んであたためること。
それは雌雄の一番(つがい)のキジバトに育つのだ、ということなどを、私は庭に来る彼らから実際に教えられた。
自然の妙のすばらしさは、人間の知恵に及ばないものがある。
…つづく…
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)