2022年8月9日火曜日

4回目のワクチン接種

夕方に集団接種を受けてきました。
警戒アラートがでるような暑さでは、体力を消耗するのでリハビリ散歩は中止しました。
明日も副反応が出ると思うのでおとなしくしています。
友だちの話を聞いていると、副反応のレベルは様々なのでどうなるか?

待っている間に読んでいたのが、図書館で借りた『ナガサキは語りつぐ
あとがきを読んでいると、『長崎原爆戦災誌』(全5巻)を中学生・高校生向けに編集したダイジェスト版だそうです。
当時の長崎市長本島等さんの「刊行によせて」を読むと、大阪の知事や市長との違いがわかります。

 刊行によせて

               長崎市長 本島 等

 1945年8月9日、長崎浦上(うらかみ)に、広島についで原子爆弾が落されました。
数千度の熱線、すさまじい爆風、死の放射線が地上に襲いかかり、すべての生物を焼きつくし、あらゆる物体を破壊し、長崎浦上は一瞬にして廃墟(はいきょ)の街と化しました。
そのとき長崎市民は、この兵器が地球人類を絶滅する悪魔の兵器であることを知りました。
 あの長崎原爆から46年がたちました。
原爆の被害の実相を世界につたえ、「長崎が世界における最後の被爆都市でなければならない」という熱望をこめて、この本をみなさんに贈ります。
 しかし、原爆はある日、偶然に落とされたものではありません。
なぜ原爆が落とされたのか、また原爆を人類の未来の教訓とするために、この本を読む方は、どうぞ次のことを心にとどめてください。

(1) なんのために原爆は造られたのでしょうか。
戦争になれば、個人も国家も完全に理性を失います。
アメリカは、太平洋戦争をふくむ第二次世界大戦に勝利を得て、戦後の世界で優位に立つために、無差別大量破壊兵器である原爆を造ったのです。
あの戦争がなかったら、核兵器は今日も世界に存在していなかったかも知れません。
(2) なぜ、日本、とくに長崎、広島に原爆は落とされたのでしょうか。
日本は、かつて朝鮮半島、中国をはじめアジア諸国を侵略し、計り知れない人びとの尊い生命を生活基盤を奪いました。
このことが、すでに始まっていた冷戦による対ソ戦略とともに、原爆を落とされた遠因ともなったのです。
長崎は400年も前から、長い鎖国の時代も日本において唯一の世界に開かれた平和な港町でありました。
しかし、日清・日露戦争のあと、とくに中国との十五年戦争のころから、戦争のための軍艦建造をはじめ、兵器生産の拠点となりました。
また、広島は、もっと早く、日本の主要軍需基地であり、一大軍都でした。
 原爆による無差別殺戮(さつりく)は、人道的立場から考えて絶対に許されない国際法違反の行為です。
しかしながら、過去の侵略に対する私どものきびしい反省がなければ、原爆反対の声は世界の人びとに届かないでしょう。
(3) 長崎・広島原爆の教訓はなんでしょうか。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争では核兵器使用の危険がありました。
いまや核兵器は質・量ともに高度化し、巨大化しています。
そして多くの国ぐにで核兵器開発がすすんでいます。
しかも核兵器がひとたび使用されれば、人類は滅亡することは明らかです。

 人類は、局地紛争をはじめ戦争をけっして起こしてはなりません。
核兵器を満載して自転する地球には、けっして平和はありえません。
核兵器廃絶こそ人類の第一の使命、世界平和への第一歩であることを、けっして忘れてはなりません。
        1991年7月
(『ナガサキは語りつぐ 長崎原爆戦災誌』長崎市編、長崎国際文化会館監修 岩波書店 1991年)

本島長崎市長 銃撃され重傷」(NHKアーカイブス 1990年1月18日)

我々は天皇の赤子だと教えて」(NHKアーカイブス あの人の戦争体験)

2007年4月17日には、伊藤一長市長が銃殺されるという事件が起きています。
長崎市長 選挙期間中に銃殺される」(NHKアーカイブス)