2022年8月27日土曜日

蒸し暑い日がつづき…

風ない日が続いて蒸し暑いけど
水道の水がちょっぴり冷たく感じる
空は雲が覆っていてなんか雷が鳴っているような…
耳が悪いので?だけど、早めに帰ることにしました。

関東甲信 28日にかけ大気不安定 雷を伴う激しい雨のおそれ」(NHK)
中国 記録的暑さで電力需給ひっ迫 集合住宅のエアコン使用制限」(NHK)
よそ事ではないと思う。
深刻な干ばつで農業への被害も出ているそうだから
中国からの食糧の輸入に頼っている日本にも影響は出てくると思う。

中国、熱波で干ばつが深刻化 人工降雨で水不足解消狙う」(BBC 8月18日)
人口降雨の研究は日本でも行われています。
渇水対策のための人工降雨・降雪に関する総合的研究」(文部科学省 中間評価)
 人工降雨で天気は変えられるのか!?

「この日だけは晴れてほしい!」。
行事や旅行などの予定日に、天気がよくなることを願うことは多いと思います。
てるてる坊主や晴れ女、晴れ男など、天気にまつわる文化や言い伝えもたくさんありますよね。
天気は自分たちが願うようにコントロールできるものなのでしょうか?
(『空のふしぎがすべてわかる! すごすぎる天気の図鑑』荒木健太郎 KADOKAWA 2021年)
 その答えは、「現代の技術では天気を変えることはできない」です。
人工降雨・人工降雪という技術は気象学の分野にもありますが、これは水資源確保を目的としたもので、天気を変えることはできていません。
「雨や雪を降らせるくらい水を含んでけどなかなか一歩を踏み出せない」という状態の雲に、ドライアイスなどをまいて背中を押してあげて、水をちょっとだけ吐き出させるのが人工降雨・人工降雪なのです。
 過去に雹(ひょう)や台風などをコントロールできないかという研究もありましたが、科学的に意味のある結果は得られていません。
夢のある技術ではありますが、いまの段階では天気予報をうまく使うのがよさそうです。

●2008年の北京オリンピック開会式で、中国政府が雨雲にミサイルを撃ち込んでヨウ化銀を散布し、晴れにすることに成功したと発表。
ただ、それが科学的に意味のあるものだったかどうかは、まだ検証されていないようだ。
(『空のふしぎがすべてわかる! すごすぎる天気の図鑑』荒木健太郎 KADOKAWA 2021年)

局地的な方法よりも地球全体の温暖化問題に取り組んだ方がいいと思うなぁ
昨日紹介した居酒屋「静」について

第5章≪裏寺町≫の空間文化誌
 4 戦後≪裏寺町≫の風景
 (2)柳小路の「静」


 柳小路の中ほどに酒場「静」がある。
古っぽい木造二階建て。
のれんをくぐって入ると、イスやテーブルが不愛想に置いてあって、奥に小座敷が二つ。
店内の壁といいガラス窓といい、落書きだらけである。
 客は学生さんばかりだ(「京に赤ちょうちんあり 裏寺町 安あがりの青春」『週刊朝日』1977年3月号)。
(『酒場の京都学』加藤政洋 ミネルヴァ書房 2020年)
 そして現在。

 柳小路の中ほどに「静」がある。
古い木造二階建て。
縄暖簾をくぐって入ると、右手にテーブルとイスがおいてあって、カウンター席もある。
奥に通路をはさんで小上がりが二つ。
二階にも座敷がある。
店内の壁といいガラス障子といい、トイレのなかまで落書きだらけである。
 客は学生さんばかりのようだ。(筆者の観察による)
 当時は客の「90%以上が学生やねえ」というだけあって、メニゥにはとにかくリーズナブルな一品ばかりがならんでいた。
高いところでも「焼きカレイ三百六十円、次いで月見とろろ、野菜天など三百五十円、とり天三百三十円」で、するめなどのアテはいずれも200円であった。
客単価が1000円を超えることはまずなかったという。
 現在は、高いほうから「あさりの酒むし」670円、「いか天・たこ天」660円、「月見とろろ」530円、「野菜天」580円、「とり天」560円となっている。
みりん干や丸干、もろきゅうなどは360円といったところ(2019年6月現在)。
いまでも十分に安い。
 学生90%のなかで「女の子がやたら」に多かったという点も興味深い。
ときに「女の子ばかりのグループ」もあったが、そこは≪裏寺町≫のこと、「帰りに例のキャバレーの前を通るのがコワイ」といって、わざわざ店の人が「ゑり善」の前まで送ってやったのだという。
 図5-4(昭和29年の柳小路付近<省略>)には「静」な名もみてとることができる。
この地図からさかのぼること20年前の「京極と其附近案内」にも「正宗ホール」とならんで「静酒場」とある。
逆に図5-4では、西側をふくめて「正宗ホール」は存在しない。
 京都の酒場好きのあいだではよく知られたエピソードであるけれども、「静」を経営していた女性が「戦争末期」に「正宗ホール」の建物を買い取り、おそらくは戦後に「静」として営業を再開した。
いつからそうなったのかはさだかでないものの、現在は二つの建物が一体化した店舗になっている。
そのためであろうか、大正期京都における酒場のプロトタイプであった「正宗ホール」の雰囲気を、少なからず感じ取ることができるのだ。
…後略…
(『酒場の京都学』加藤政洋 ミネルヴァ書房 2020年)

中原中也が訪れたという「正宗ホール」については、本書をお読みください。
本書の書評が載っていました。
酒場の京都学 加藤政洋著 ◆酒好き集う飲み屋街の系譜」([評]太田和彦 東京新聞 2020年3月15日)