昨日と違って眩しい青空…
風がほとんどなく、昨日も暑かったけど日射しが厳しい(-_-;)
この青空も今日までかな?
「台風11号 勢力維持し沖縄本島に接近 暴風や高波に厳重警戒」(NHK)最近、雷が多いですね…
Ⅳ 台風・竜巻・雷
どうしてゴロゴロ鳴るのか
どんなに雷をこわがらない人でも、身近かでピカッ、ピシッ、バリバリッとやられるといい気持ちはしない。
こわがる人のなかには、ガラガラと来てから耳を押さえ震えあがっている人さえある。
稲光が見られれば、もはや安全、命は助かったはずで、雷撃を受けた人は音を聞く間などない。
そのまま昇天ということになる。
(『新しい気象学入門 明日の天気を知るために』飯田睦二郎 ブルーバックス 昭和55年) 音は1秒間に約340メートルの速さで伝わるから、ピカッときてから雷鳴が聞えるまでの時間(秒数)に340をかけた値が、雷までの距離ということになる。
といってもあまり遠い雷である場合には、ゴロゴロと長く響き渡るから正確な距離を求めることは困難となる。
しかし、あんなに大きな雷鳴でもだいたい20キロメートルくらいまでしかとどかないものである。
ところで、雷鳴は近くでは、ピシッとかバリッとかいう鋭い音であるのに、遠くになるとどうしてゴロゴロと響くのであろうか。
これにはいろいろな説明がある。
ではそのいくつかにふれてみよう。 故障のない電気器具なら定められたとおりに電気が流れるために、あまり熱を持つようなことはないが、故障が起こり、電気が流れにくくなると、そこに熱が生じ、手がつけられないほど熱くなることは誰でも知っていよう。
雷は空中での火花放電である。
つまり、空気という電気の流れにくいところを多量の電気が瞬間的に流れることになる。
そのため、その通り道になったところでは何万度という熱が起こり、光を発する。
この光が稲光であるが、空気はこの熱のために急激に膨張し周囲の空気を瞬間的に圧縮する。
そして、今度は圧縮された空気が押し返してくるため、そこに空気の振動が起こり、その振動が音となって聞えるのが雷鳴であろうというのは一つの説明である。
これに従えばゴロゴロと長くなるのは、雷が鳴るようなときは空気や風の温度が場所によって大きくちがっているので、音が屈折したり反射し、いろいろちがった道を通って来くるために、時間差をもって聞えてくるためであるという。 その他の説としては、雷のときには、不連続面があって、その表面が波を打つことが多く、そのために、音が不連続面で屈折してくるというのである。
雷が近いときには、直接くる音が一つであるが、遠くの場合には、波のいろいろなとこで屈折した音が次々に聞えてくるため、長くとどろくというのである。
以上のように、この雷鳴については、いろいろに説明されているが、決定的なことはまだわかっていないというのが本当のようである。
(『新しい気象学入門 明日の天気を知るために』飯田睦二郎 ブルーバックス 昭和55年)(「浮気な男が神社に詣でて美人を口説く話」つづき)
このふるまいに重方は肝をつぶし、
「これ、なにをなさる!」
と言いながら女の顔を仰ぎ見ると、なんと、自分の妻その人ではないか!
すっかりだまされていたのである。
重方は開いた口がふさがらず、
「お、お前、頭がおかしくなったのか?」
と動転のひと言を洩らす。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年)だが、妻はそれにかぶせるように、
「この恥知らずの浮気者め! ここに来ているあんたの友達の皆さんが、いつも『あいつは好き者だから用心した方がいいよ』と忠告してくれていたけど、てっきりわたしに焼きもちを焼かせて面白がるためだと思って信じてこなかったんだ。でも、今日という今日、それが本当のことだってはっきりわかった! さっきあんたは誓ったね。今日から先、もしわたしの家におめおめやって来たりしたら、このお社の神罰が下って矢傷を負う破目になるからね。なんであんなことをほざいた。あんたのその横っ面を思う存分引っ掻いて、往来の人に見て笑ってもろおうじゃないか、ええい、この阿呆が!」
とわめき散らした。重方は、
「まあまあ、そういきり立たないで、おまえの言うことは、実にもっともだ」
と作り笑顔でなだめにかかったが、妻は断固として許そうとしない。 一方、他の舎人たちはうしろでこんなことが起こっているとは露知らず、参道の先の方にある小高い場所に登ったところで、
「重方はどうしてついてこないんだ?」
と振り返った。
すると、かなりうしろの方で、重方が女と取っ組み合いをしている。
「おいおい、あれは何事だ?」
と皆で一斉に走り戻ってみれば、哀れ重方はひっぱたかれて見るも無残なありさまである。
舎人たちは腹を抱えて笑い、
「奥さん、よくぞおやりになりましたね。ね、だからわれらはいつも申し上げていたんですよ」
とさかんに褒(ほ)めそやした。
女はこう言われると、
「この皆さんが証人です。あんたの見下げ果てた性根(しょうね)は、これですっかりわかりました」
と言って、つかんでいた髻を放した。
自由になった重方は、くしゃくしゃになった烏帽子を直しながら、這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)で参道を上の方に逃げて行った。
女はその後ろ姿に、
「あんたは、その惚れた女のところへ行くがいい。わたしのところに来たりしたら、向こう脛をへし折ってやるからね」
とののしり声を投げてから、下の方へ降りていった。
さてその後どうなったかというと、妻にあれほどぼろくそになじられたにもかかわらず、重方は家に戻った。
そして、必死にご機嫌を取った結果、なんとか妻の腹の虫をなだめることができた。
調子に乗った重方は、
「おまえはこの重方の妻であればこそ、あのようにあっぱれな働きができたんだぞ」
と言った。
すると、妻は鼻で笑って、
「おだまり、この大馬鹿者。わたしの顔を見てもわからず、声も聞き分けられずに大恥をさらして、人に笑われる。なにが、『この重方』ですか。『阿呆の重方』がぴったりです」
と言ってから、盛大に吹きだした。 そののち、この一件は世に知れ渡り、若い貴公子たちなどは、重方を見かけると思う存分からかった。
そのため彼は、若い貴公子の姿が目に入るとその場を逃げ出して姿を隠すようになった。
また、彼が亡くなったのちに、妻はまだ女盛りだったので別の人と再婚した、と、こうして今に語り伝えられている。 (巻第二十八第一)
お社の神罰が… 当時、神の意向は矢の飛来にあらわれる、とされていた。
(『今昔物語集』作者未詳 訳者大岡玲 光文社古典新訳文庫 2021年)今朝の父の一枚です(^^)/
ハナホウキギ(コキア)を写していました。
秋になると真っ赤になるそうですが、緑色の丸々した姿を見ているとマリモを思い出します。
マリモには樹木の年輪のような構造があるそうです。
〝「阿寒湖のマリモ」に樹木の年輪のような構造確認 神戸大など〟(NHK 8月27日)
明日から9月!
9月の100分de名著は、知里幸恵(ちりゆきえ)の『アイヌ神謡集』です。
知里幸恵は初校の校正を最後までやり遂げた、その日の晩に亡くなってしまいました(1922年)。
19歳という若さでした。
今年が没後100年になります。
中川裕さんのテキストに
はじめに 魅力あふれるアイヌの物語世界
…前略…
『アイヌ神謡集』には、十三篇の神謡が収められています。
神謡(しんよう)とは何かについては、このあと本編で詳しく解説していますが、一言で言えば「世界の見方を伝える物語」となるでしょうか。
アイヌの世界観では、人間と人間以外のものが対等に交流しながら、ひとつの社会を形づくっています。
その世界観を、人間以外の視点から、メロディに乗せながら語っていくのが神謡です。
知里幸恵が亡くなって百年が経過し、アイヌをめぐる状況も大きく変わりましたが、『アイヌ神謡集』の価値はまったく薄れていません。
それどころか、知里幸恵が『アイヌ神謡集』に託した想いは、現代にようやく花開こうとしています。
…後略…
(「知里幸恵 『アイヌ神謡集』」中川裕 NHK出版 2022年)
知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波文庫 1978年)