宮尾 知子
わたしと いもうとで
山に 行って 花を とった。
赤い 花、きいろい 花、しろい 花、
うちへ もってかえった
ばけつに 水を 入れて、花を かざっておいた。
おかあさんが、
「ともこや、ばけつが つかえないよ。」
といった。
(長野 小学校2年 1966年)
(『日本児童詩集』江口季好・寒川道夫/太平出版社 1971年)
おしむべきことにしあれど暑き日は秋たつ程を待(また)れつるかも 田安宗武
▽普通は惜しまれるのが当たり前なのに,
暑い夏の日には早く秋が来ればよいと待たれるものだ。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
まだくちばしの黄色い子がいました(^-^)
雨の幾日がつづき雀と見てゐる
(『尾崎放哉全句集』)
(『西東三鬼全句集』沖積舎 昭和58年)
ヒメジャノメ(タテハチョウ科ジャノメチョウ亜科)
ひっきりなしに鳴いているカラスがいました。どうも子ガラスが「おなかがすいたよ!」と
ご飯をねだっているようです(*´∀`*)
親ガラスは,「自分で探しなさい」とそっぽを向いているみたい(*^o^*)
今日(けふ)立つ明日(あす)立つ明後日(あさて)立つ
森の巣烏(すがらす)なう
古巣を惜(を)しむ俺かな
口では旅立つ旅立つと言っているが、今日も明日も出発し兼ねている。
森に棲む烏のように古巣に名残りを惜しんでいるこの俺よ。
「古巣」とは当然古い馴染みの女であろう。
(『宗安小歌集』)
女来と帯纒き出づる百日紅
女がはつきりしないが,この句では必要がない。
然しこの「女」といふ語調は相当放恣だ。
真夏の男臭さが,中年のどぎつさではなく,矢張り若々しい身振を失つてゐない。
(『波郷句自解』)
赤い花ばかりが目についていたけど
この公園でも黄色いオシロイバナが咲いていた。
マメアサガオ(ヒルガオ科)
飛びまわっていたウスバキトンボが小休止していました(^。^)巻第三 376 湯原王が宴席の歌
あきづ羽の 袖振る妹(いも)を 玉櫛笥(たまくしげ) 奥に思ふを 見たまへ 我が君
とんぼの羽根のような薄ものの袖を飄(ひるがえ)して舞うこの子,
私はこの子のことを心の奥深く思っているのですが,よく見て下さい,わが君よ。
美女の舞を座興にそえて,軽妙に主賓に呼びかけた挨拶歌。
(『萬葉集(一)』)
みちのべの狗尾草も野分かな 三橋鷹女
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』筑摩書房 昭和32年)
歩いている時は,時たまポツリポツリと降って来ただけでしたが
駐車場に着くと本降りになりました。
これも台風10号の影響だと思います。