2018年11月10日土曜日

南蛮文化館~大塩家先祖墓(南浜霊園)など

朝一番で血液検査に行きました。
来週、主治医の診察があります。
晴れているので電車に乗って出かました。
酔っ払ってこのホームにいたら恐いだろうな(^_-)
阪急中津駅から数分歩いて
南蛮文化館を訪ねました。
開館50周年と言うことで通常800円の入館料が500円でした(^_^)b
とは言え5月と11月のみの開館です。
館内は撮影禁止なのでパンフレットです。
現在「悲しみのマリア」とあと一点は現在出張中でした(T.T)
出張先は、館の方が教えてくださったのですが忘れました(^_^;)
北村芳郎氏の個人の美術館とは思えない豊富な収蔵品です。
悲しみのマリア、イエズス会宣教師が描かれた南蛮屏風に
キリシタン文化への思いをはせる
」( CHRISTIAN TODAY
図録は1000円でカラー刷です。
図録から転記します。

悲しみのマリア画像(画布油彩) 縦52.5 横40
 福井で代々藩医を務めていた旧家の土蔵の土壁の中より
大正中期に発見されたものである。
この絵は竹筒に収められ、同時に銅板聖画20枚、教会暦祝日図会、
「こんてむつす・むんぢ」(和綴の教義書)などのキリシタン関係品も発見されている。
キリスト磔刑の場に於ける悲痛な聖母の容貌と心情がよく表現されていて、
おそらく16世紀中葉にイタリアの画家によって描かれた作品と考えられる。
日本に現存する聖母画像中名品の一つに挙げられている。
台風で傷んだのかな?
梅田から一駅とは思えない「中津商店街」
この雰囲気好きだなぁ(^-^)
富島神社
速素盞嗚尊を主神に祀っています。
創立年代は不詳ですが、社伝によると室町時代には既に存在していて、
牛頭天王社・祇園社と称していたといいます。
利島神社と呼ばれていた時期もあったようです。
明治後期に付近にあった春日神社、天満宮、鷺島神社、八坂神社などを合祀しました。
その後、この辺りを「富島の荘」と呼んでいた時代があったことから、
社名を富島神社に改めました。
節分には厄除けの土鈴「富の鈴」が授与されます。
皇都・難波長柄豊碕宮の謎を追う」(大阪あそ歩)
門が閉まっていたので中には入れなかったけど
社会福祉法人光徳寺善隣館中津学園
ここは画家佐伯祐三の生家です。
佐伯祐正の弟、佐伯祐三への想い」をご一読ください。

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 大阪市に社会部という独自の部署が発足したのは、
1920(大正9)年4月のことであった。
そのことは、貧しい人びとの住む都市下層社会の
諸矛盾の解決策を行政が全面的にバックアップし、
地域社会に公的な支援をおこなうことを意味していた。
こうしたソフト面でのインフラは、専門的な施策とともに、
のちの民生部門、市民部門の事業へと発展的に継承されていく。
 光徳寺の善隣館は、まさに仏教セツルメントの先駆けとして誕生し、
中津の地での活動を展開していた(今なお現役)。
(『かくれスポット大阪』吉村智博 解放出版社 2013年)
次の目的地を目指して歩いていると中華そばの看板が目に入ったので(^_-)
「麺処 えぐち」
ここはつけそばいいみたいですが、
σ(^^)は「中華そば(並)」を食べました。
源光寺の門が閉まっていたので
ここも入れないかなと思ったのだけど
隣の小さな戸口があいていて北向地蔵尊を拝みました。
源光寺
山号は清淨瑠璃山といいます。
寺伝によれば、入江長者が娘の病を治した行基に土地が寄進され、
天平19年(747)に聖武天皇の勅願で、行基の手によって開山されたといいます。
創建当時は八町四方に七堂伽藍が揃った大寺院でしたが、中世には荒廃していました。
建永元年(1206)に法然上人が勝尾寺から四天王寺へ
日想観を修するために赴く途中に立ち寄り、
「源をはづねてぞ知るこの寺の光あまねき法のともしび」と詠んで再興に尽力して、
浄土宗の念仏弘法道場にしました。
現在は浄土宗知恩院派の寺院となっています。
皇都・難波長柄豊碕宮の謎を追う」(大阪あそ歩)
「行基菩薩開基南濱墓所」の石碑がある
道引地蔵尊―南浜墓地―
 豊崎1丁目2番地にある南浜墓地は昔、浜の墓と呼ばれていました。
そのころ、大阪には浜・梅田・千日・鳶田(飛田)・吉原(葭原)・加茂の
7か所の荼毗所(だびしょ)がありました。
 この墓はその一つで、東大寺大仏の建立にも尽力した僧・行基が
土・木・石の三仏を造って安置したといわれ、
わが国の火葬所のはじまりとされています。
墓地の入口には、大正12年に豊崎町役場によって建てられた
「行基菩薩開基南浜墓所」の石碑があります。
 南浜墓地の近くに、同じ行基によって
天平19年(747年)に開山された源光寺があります。
 この寺は天武天皇の命により3年余りの歳月をかけて
大伽藍(だいがらん)を建立し平生寺と名づけられ、
聖武天皇の勅願所となりました。
 その後承元3年(1209年)に浄土宗の宗祖・法然上人が
旧跡の衰えているのを嘆き復興して源光寺と改められました。
このいわれある寺も文政13年(1830年)に失火して焼失し、
現在の堂宇は、文久元年(1861年)に再建されたものです。
大塩家先祖墓
 1818年に大塩平八郎が先祖追善のために建てたもの。
入り口に、行基開基碑がある。
春岳院清空・平八郎高祖父大塩喜内、本覚院不二日性・高祖父弟助左衛門、
耀山院誠意日凉・祖父政之丞、覚信院秀雄・叔父石川吉次郎などの墓がある。
(『大阪春秋 平成29年 秋号 No.168』)
墓石は傷みがひどかったのですが
「大塩政之承建」と読めたので大塩家の墓かなと思います。
場所としては、入り口を入って右手になります。
路地に入る前にこんな案内が書かれていました。

白龍大神について
この奥にある神社「白龍大神」は
お社の下に白い蛇が住んでいることから
別名「みーさん」と呼ばれ、
ここ中崎町を見守る神様として地元の方をはじめ
たくさんの方々の神様として奉られてます。
商売や芸術、健康・子宝、また人と人の
ご縁などのパワーを授かるスポットとして
近年各方面から注目を集めております。
みなさまも是非一度、お参りしてはいかがですか。
  中崎・白龍大神保存会
(「中崎・白龍大神キャラクター しろドラさん」のイラストが描かれていました)

地蔵菩薩
観音菩薩
白龍大神

隣にハリネズミカフェがありました。
「ふれあい20分800円」だそうです(^。^)
6月14日に訪ねた歯神社
今日も「なで石を」をなでました(^^ )
淀屋橋のミズノで靴下を探した後、チーズケーキが食べたくなったので(^_-)
(2012年11月28日)

今日は母の月命日です。
この日は、11月も終りで気温は低かったのですが、
風がなくてお日さんがあたるので気持ちいい朝でした。
母もこの頃は元気に歩いていました。