2018年11月6日火曜日

雨が止んでくれて(^-^)

起きたときは、雨が降っていましたが
出かける時には止んでくれました。
公園で屈んでキュウリグサやホトケノザを撮していたら
「何を撮しているのですか?」と尋ねられました。
というのもバラ園でバラを目の前にして小さな野草を撮していたのですから(^▽^)
昨日の記事で2000年に出版された『図解 地震のことがわかる本』から
津波について紹介しましたが、
今日は、1982(昭和57)年に出版された『地震の常識入門心得帖』から
津波について書かれた文書を紹介したいと思います
本を読んでいると想定外という言葉を使って言い逃れをしている政治家や経営陣が
何の責任も負わなくてもいい国は不思議な国だと思います。
そのために同じ過ちを繰り返すのだなと情けなくなります。
津波は恐ろしい
 津波(津浪・海嘯かいしょう)については広辞苑には、
「地震・海底変動・暴風などによって高波が起こり、急激に海岸を襲うもの。
 その強弱は海岸の地形によっても影響され、
 湾内などでは大きな災害をひき起こす。」
と記されています。
 津波の記事としては、天武天皇13年10月14日(684年11月29日)に
起こった地震(M8.4)によって、土佐地方に津波が襲来、
多くの舟が沈没したという記録があります。
 高潮は水位がふつうのときよりも高くなっている時間が
1時間以上にわたっていることをいい、津波と区別しています。
高潮は、主に台風のような強い低気圧によって起こる海岸付近の海水面の上昇です。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
つなみ、 tsunami(s) という言葉は、国際語となって世界中で用いられています。
どうして津波が起こるのか、いろいろな原因が考えられ
①海中の地震による海底の急激な地殻変動
②海山(かいざん 海のなかの山)の山崩れ
③地すべり
④海底火山の噴火
などが主なものです。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
 世界で今までに起こった最高といえる津波の高さは、
アラスカのリツヤ湾の奥における516mです。
これは地震による山崩れが、リツヤ湾内になだれ込んだため、
海水があばれた結果、津波となったものです。
その次に高い津波は、八重山地震津波( M7.4 明和8年、1771年)による
石垣島の太平洋側における 85.4m です。
この津波のため、石垣島の人口17349人のうち、49%にあたる8439人が死にました。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
 地すべりによる津波は、有明海の例があります。
寛政3年10月8日(1791年)から、地震・鳴動をしきりに起こしていた雲仙岳は、
寛政4年1月18日から鳴動が激しくなり、同年4月1日眉(まゆ)山の大崩壊があり、
このため0.34km3 と見積もられる大量の土砂が島原湾にくずれ込み、
3回の津波が発生しました。
ことのときの津波の高さは、島原10m、対岸の熊本にも5m以上の波が襲って、
死者は15030人になるという大災害になり、
「島原大変、肥後迷惑」という言葉を残しました。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
 リアス式海岸の東北日本・三陸地方の沿岸では、貞観11年(869年)の M8.6 、
慶長16年(1611年)の M8.1 、明治三陸津波地震( M7.1 、明治29年、1896年)、
昭和三陸津波地震( M8.3 、昭和8年、1933年)などの4回に及ぶ大地震によって、
各地に大津波が押し寄せ、非常に大きい被害を出しています。
明治の三陸津波では、岩手県を中心にして、27122人の死者を出していて、
津波の高さは、吉浜で24.4m にもなりました。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
 岩手県の田老町では、明治・昭和の三陸津波によって大被害を受けたため、
田老町の海岸には有名な防潮堤がつくられています。
図28・2は、明治・昭和三陸津波による
東北日本・三陸地方の沿岸における津波の高さを示しています。
このような高さの津波は、地震が発生してから30分くらいで襲ってきます。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
 気象庁では、津波警報または津波注意報を地震の直後に出して、
津波による被害を最小限にしようとしています。
四国、紀伊、東海、伊豆、房総、三陸などの沿岸には、
しばしば大津波が襲っていますが、
宮城県金華山沖から千葉県犬吠埼沖までと日本海側の佐渡から西には、
あまり大きな津波が襲うことはありません。
 日本の付近では、ここ80年ほどの間に
図28・3に示したような海域で津波が発生しています。
(『地震の常識入門心得帖』力武常次 山崎良雄 オーム社 昭和57年)
本には図で津波の高さや発生した地域が示されていますが、
図をコピーするのは控えます。
津波について」(気象庁)が参考になると思います。
  紹鵷蔵主(しょうえんぞうす)、地を規(き)して居を卜(ぼく)す。
  家は徒(た)だ、四壁立(しへきりゅう)のみ。
  (へん)して土庵(とあん)と曰(い)う。
  (げ)を作って以て証と為(す)と云う。
夏巣、冬穴、一身康(やす)し、帯水拖泥(たいすいだでい)、万念(まんねん)忙し。
稼穡(かしょく)の艱難(かんなん)、若(も)し領略(りょうりゃく)せば、栴檀(せんだん)の仏寺、名刹の場。
(『狂雲集』一休宗純著 柳田聖山訳・解説 中公クラシックス 2001年)

  紹鵷蔵主が、土地を探して、居を構えた。
  その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、土庵という額を掲げている。
  そこで偈をつくって、タネ明しをしてやる。
夏は樹上に巣をつくり、冬は穴にもぐる鳥や虫は、身一つでさばさばしているが、
泥水をひきずって生きる人間は、あれやこれやと気疲れが多い。
畑仕事の苦労を身につけさえすれば、栴檀造りの大寺院など、単なる名刹の場所にすぎまい。  
(『狂雲集』一休宗純著 柳田聖山訳・解説 中公クラシックス 2001年)
クロコノマチョウ(ジャノメチョウ科)
 カシ類などが生える薄暗い林のまわりで、
小さな川などが流れているような所に多い。
日中は不活発でほとんど飛ばないため目にすることは少ないが、
日没頃から夜にかけて活発に活動する。
まるで蛾のようなチョウである。
特徴 前翅表の眼状紋の下の白点は外側に寄る。
(『フィールド図鑑 チョウ』日高敏隆監修 東海大学出版会 1984年)

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