2018年11月17日土曜日

天気予報では…

午前中、時々雨の予報でしたし、曇り空でしたが青空が見えたりしました。
午後からの方が天気が悪くなりました。
17日はすっきりしない天気 18日午前中は晴れ間」(えりの気象日記)
絹雲のおとずれ
春雲は絮(わた)の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如し
といったのは、歌人、正岡子規である。
 雲の形は、大別して10種ほどある。
どの形も、四季を通じて現れるが、やはり季節によって、代表的なものがある。
巨岩のように湧き立って雲の峰が大きく横にくずれて、
空高くブラシではいたような絹雲や、
白いさざなみのような絹積雲が横に流れ始めると、人びとは秋の到来を感じる。
 それは大地にさしこむ太陽の熱量の減少を示すとともに、
梅雨明けのときに日本の北に移ったジェット気流が、
再び日本の上空まで南下してきたことを表している。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
 絹雲を英語でシーラス( cirrus )という。
本来の意味は巻毛である、髪をカールするというときの curl と、語源は同じである。
白い繊維のよう雲のすじが巻毛のようになっているので、こう名づけられたわけだ。
日本では、明治の初めに、巻雲(けんうん)と訳された。
 ところが、巻の字は、当用漢字(現在は常用漢字)の音訓表では
「かん」としか読めないため、昭和40年1月1日から、絹雲に改められた。
巻雲を絹雲にかえるについては、多くの論議があった。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
 直木賞作家の故新田次郎氏は、当時、気象庁の測器課長として、
反対論をとなえていたが、出張中に合議文章が決済されてしまった、と書いている。
 雲の写真をライフ・ワークとしている伊藤洋三氏は、こういった。
「国際名 cirrus はラテン語であると思いますが、学術語にラテン語を使うのは、
この語が死んだ語であるため、時代とともに変化する心配がないためである、
ということをどこかで読んだ気がします。もしもこれが正しいとし、
また国際名が変わらずに cirrus であるのですから、
日本名も巻とし〝けん〟とよむことにしておいた方がよいのではないかと思います。
……わが子の名を変えるようで、何とも心残りします。」
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
 一方、賛成者の側には、次のような意見があった。
シーラスには、「白色の絹のように見える」とか、
「真綿を引きちぎったような雲」
「ちりめんじわお呈することもある雲」などという表現が使われている。
島崎藤村の『雲の記』にも、
「錬絹の薄きに似たる……」とあるから絹雲でもいいじゃないか、というのだ。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
 名前のいきさつはともかく、この雲は普通は「すじぐも」とよばれている。
温帯では、5~13キロの高さに現れる上層雲で、雲粒はすべて氷晶だ。
氷晶は、上昇流と昇華高度の関係で定まるある点でできると、
ゆっくりと下へ落ちてくる。
途中で蒸発して消えるが、水滴よりも蒸発しにくいから、
長く尾を引き、尾流雲となる。
 その場合、風速の上下の分布が第1図のように一様ならば、
氷晶の尾流雲はまっすぐに下に垂れさがるだろう。
が、第1図右のように、風速に上下差がると、
尾流雲はかぎのように曲がり、かぎ状絹雲になる。
つまり、カール状になるのである。
これに風光の差が加わると、氷晶の尾流雲はもっと複雑にカールするであろう。
 いずれにしても、絹雲の筋が一定方向に横に長く延びるのは、
ジェット気流が日本の空に戻ってきたしるし、
つまり大空に秋がきたしるしといえる。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
*第1図は省略
万葉集巻第二 105
  大津皇子竊(ひそ)かに伊勢神宮に下り、上り来る時、
    大伯皇女(おおくのひめみこ)よませる歌二首
わが背子(せこ)を大和へやるとさ夜ふけてあかとき露にわが立ちぬれし

  歌意
わが弟君が大和へかえろうとして、
夜がふけて出発したのを見送って夜あけの露にぬれてしまった。
(『万葉秀歌(一)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
  語釈
大津皇子 天武天皇の皇子で大伯皇女は同母姉。
(…略…)
大伯皇女 伊勢神宮の斎宮であられたので、
大津皇子も姉の皇女をたずねて伊勢に下られたのである。
挽歌の方では大来皇女とあるが、大伯皇女の方が本来の名であろう。
わが背子 弟に当る大津皇子をさす。
妹背は本来、兄妹をさしていたようであり、それに関する説話もあるが、
一般には恋愛の関係をさす。
このばあいに背子というのはそれだけを見れば夫をさすと見られるので、
お二人の間に恋愛関係があったと見る説もある。
この内容もそのようにみっれないではないが、
万葉の相聞では兄弟、姉妹の間でも恋愛と同じような感動がうたわれているので、
これを姉弟としての親しい愛情と見たい。
それに大津皇子は事によって罪を得られようとしている。
その時の弟をいたわる姉の心情が表われていると見たい。
後の御歌には「いろせ」とあるので、ここもその意であると解したい。
大和へやると 大和へ帰るとての意になる。
大伯皇女が自分の許から大和へ遣わすとうたわれたのは、
自分の許からはなしたくない心情があるので、このような発想になったのであろう。
さ夜ふけて 夜がふけてとあるのは、しのんで都へ帰るために
夜ふけをえらんで出発されたのであろう。
あかとき露 夜明けの露である。
夜がふけて出発し、それを見送って夜明けの露にぬれたのである。
(あかとき)は明ける意味からきている。
「かはたれ時」は夜明けでぼんやりしていて彼はたれであるか明らかでない意で、
夜明けになり、たそがれは夕暮れをさすが、
ぼんやりしていて誰れであるか彼はわからない意である。
(『万葉秀歌(一)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
  鑑賞
 大伯皇女の御歌は弟の悲痛な運命を知ってよまれたか、
哀切な情が調べのうちに現われている。
そうしてその調べを見ると母音や行音、行音、行音などの柔軟な音を用いて、
こまやかな澄んだ調べとなっている。
これは人麻呂の歌にも見られる所であって、
「ささの葉はみ山もさやにさやげども」の如きそれであるが、
それより女性の歌らしく繊細である。
これにつぐ歌うにも同様に見られる特徴である。
(『万葉秀歌(一)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)

*「」「」「」に脇点「
落ち葉の中にクロコマノチョウがいました。
なぜ昆虫は見つけにくい――昆虫の擬態(ぎたい)
 昆虫は意外に見つけるのが難しいものです。
それは昆虫たちが私たちに見つからないようにしているからです。
鳥などの外敵が多い昆虫にとって、見つからないようにすることは、
生き延びていくのに必要なのです。
(『観察する目が変わる昆虫学入門』野村昌史 ベレ出版 2013年)
 昆虫が外敵に見つかりにくい理由のひとつに、
自分の体の色や形を周囲の環境にとけ込ませていることがあげられます。
これを「擬態(正しくは隠蔽(いんぺい)擬態」といいます。
たとえば草の上で見かけることが多いショウリョウバッタは緑色をしていますが、
草の上よりは地面に多く見られるイボバッタの体色は褐色です。
また樹の幹にいるセミの仲間の体色はどれも地味で、
翅の色もアブラゼミやニイニイゼミのように褐色だったり、
ミンミンゼミのように透明で、とまったときに幹の色にとけ込んだりしています。
またキノカワガは、その名の通り樹皮と同じ配色をしており、
よほど注意していないと見つけることができません。
(『観察する目が変わる昆虫学入門』野村昌史 ベレ出版 2013年)
年をとっても丸くなってたまるか
ヒイラギ モクセイ科

[木をおぼえる短歌]
チクチクと痛い葉をもつヒイラギは、
  年取ると丸く花おくゆかしい


 ヒイラギは節分の時など、イワシと共に魔除けとして使われます。
昔は悪いものが家に来ないように鬼門の方角にヒイラギを植えました。
何かとトゲトゲしているものは魔除けにされるようで、
セイヨウヒイラギなどもリースにしてドアに飾られます。
ただしセイヨウヒイラギはモチノキ科で、ヒイラギはモクセイ科、
実の色もヒイラギは黒紫色です。
 葉のトゲは動物に食べられないためのもので、
ヒイラギの木が大きくなると人間にたとえられることが多いのですが、
葉の先端だけトゲが残ることが多く
「丸くなんぞなるものか!」と抗っているようで、
大好きです。
春の新葉は柔らかく、小さい葉がピンと出ています。
この葉は全く痛くないので、「全然痛くないよーだ」と、
なでまわすのが私の春の行事です。
小さい白い花をつけ、意外といい香りがします。
ただよく嗅ごうとすると、葉で鼻を刺すので注意が必要です。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)

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