今朝は、日ざしが暖かかったです。
それだけに雲に隠れると12月の寒さでした…
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」(勤労感謝の日)
父の世代は「新嘗祭(にいなめさい)」です。
新嘗祭の記述は『日本書紀』神代紀に
「天照大神の新嘗(にひなへきこ)しめす時」などとあるが、
古くは新嘗と大嘗の区別が明確ではなく、
天皇が即位する際の大嘗祭は新嘗祭から分化したものとする説があり、
新嘗祭の成立は弥生時代に遡る可能性もある。
宮中の新嘗祭は、その年の新穀を諸神に供え、
天皇も食するという天皇の最重要祭儀で、
大嘗祭を行なう年を除いて、毎年11月23日に行なわれる。
前夜に天皇・皇后・皇太子の御魂を鎮め、
寿命の永きを祈るという鎮魂の儀を掌典が行なう。
古くは下の卯の日の夕刻から天皇は御湯出御と呼ばれる沐浴斎戒し、
神嘉殿にて天皇が神々とともに新穀から作られた神酒・神饌を
食することを深夜に二回繰り返す夕の儀と暁の儀を行なう。
翌辰の日には豊明(とよあかり)の節会(せちえ)と称する宴を催した。
この祭祇の伝統は今日も守られている。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
第二次大戦までは、伊勢神宮をはじめ全国の村社以上の神社では
供進使による神饌幣帛(しんせんへいはく)料の奉奠(ほうてん)が行なわれていた。
この宮中の収穫祭は、明治6(1873)年の新暦施行日から
宮中祭祀の日とともに国の祝祭日となり、
10月17日は伊勢神宮の神嘗祭、11月23日は宮中の新嘗祭となった。
また、明治神宮では新穀感謝祭が行なわれた。
11月23日は昭和23年に勤労感謝の日として国民の祝日となった。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
十一月は「神楽月」。
神とともに歌い踊る長い夜
十一月の別名を「神楽月(かぐらづき)」といいます。
この時期、秋の収穫も一段落し、農閑期に入った農村地帯は、
冬の長い夜を楽しむ「夜神楽(よかぐら)」が毎夜のように行われていたからです。
毎夜、というわけにはいきませんが、今も有名な高千穂の夜神楽や
椎葉神楽(しいばかぐら)(ともに宮崎県)、
出雲神話を伝える石見(いわみ)神楽(島根県)など、
11月から翌年2月ごろにかけて、全国各地で今もさまざまな神楽が行われています。
舞も音楽はもちろん、面や衣装や舞のストーリーまで、それぞれ個性豊かで、
たとえ同じ地域のものでも集落によってまったく違う形を伝えているものもあります。
(『和ごよみで楽しむ四季暮らし』岩崎眞美子 学研プラス 2009年)
わたしも一度、神楽の里である宮崎県高千穂を訪れたことがあります。
本来の夜神楽は、各集落の民家で、地元の人たちと
お酒を飲みながら夜通し見るものですが、私が行ったのは夏。
けれども地元の高千穂神社では、オフシーズンの間も毎夜、
地元の舞手の人たちによる神楽を観光客向けに上演しているので、
本来は三十三番あるうちの四番ほどの演目を見ることができました。
演目は、日本神話の天(あま)の岩戸開(いわとびら)きで、
手力男(たぢからお)が大きな戸を放り投げる力強い舞「戸取(とどり)」や、
国造りの夫婦神(めおとがみ)、伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が
酒造りをユーモラスにエロチックに舞う「御身躰(ごしんたい)」などの全部で四番。
ダイジェスト版でもこれほど盛り上がるならば、
夜を通して見る本格的な夜神楽はどれほど楽しいことだろう、と感じました。
夜神楽「見る」というより「体験する」という言葉のほうが合っているような気がします。
近いうちにわたしはもう一度、あの夜神楽を体験しにいきたいと願っています。
(『和ごよみで楽しむ四季暮らし』岩崎眞美子 学研プラス 2009年)
一度は見てみたい神楽といえば、
奥三河の「花祭り」をあげないわけにはいきません。
湯立(ゆだ)て神楽と言われる古いスタイルの神楽で、
初めは地元の人々による地固(じがた)めの舞や
子どもらによる花の舞など美しく賑やかな舞が舞われますが、
中盤では山から下りてくる神を現す恐ろしい鬼面が現れて力強く舞い踊ります。
明け方(もしくは翌日の午後)には大きな釜にたっぷりの湯が沸かされ、
湯たぶさというほうきのようなものを持った若者が
そのお湯を見物客にばしゃばしゃとかけるのです。
場は騒然となりますが、その湯を浴びると
これからの一年を無病息災で過ごせるといわれています。
民俗学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)も魅せられたという、古い信仰を伝える行事です。
(『和ごよみで楽しむ四季暮らし』岩崎眞美子 学研プラス 2009年)
「高千穂の夜神楽 夜を徹し神と舞い遊ぶ」(動画)
「花祭 夜を徹して舞う伝統の祭り」(動画)
渋柿の巧妙さは、〝すごい〟
クリと並んで「渋み」をもつ果物の代表は、カキです。
クリの実では、渋皮を取り去ることで、渋みはなくなります。
しかし、カキの渋みは、なお一層面倒です。
なぜなら、カキの渋みは、クリの渋皮のようにまとまってあるわけではなく、
果肉や果汁の中に溶けこんでいるからです。
そのおかげで、渋いカキの実は、虫や鳥などに食べられることはありません。
しかし、実の中のタネができあがってくると、カキの実は、
渋柿(しぶがき)の実であっても、渋みが消えて甘くなります。
「渋柿」が渋みを感じない「甘柿(あまがき)」になるとき、
「渋が抜ける」と表現します。
ところが、ほんとうは、渋が抜け去るわけではありません。
カキの渋みの成分は、クリの渋皮の成分と同じで、「タンニン」という物質です。
渋柿というのは、タンニンが果肉や果汁に溶け込んでいるカキなのです。
(『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』田中修 中公新書 2012年)
果肉や果汁に溶けているタンニンは、
溶けない状態の「不溶性」に変化する性質があります。
タンニンが不溶性の状態になると、タンニンを含んだカキの果肉や果汁を食べても、
口の中でタンニンが溶け出してこないので、渋みを感じることはなくなります。
果肉や果汁に溶けているタンニンを不溶性に状態にすることを、
「渋を抜く」と表現します。
タンニンを不溶性にする物質が、「アセトアルデヒド」という物質です。
アセトアルデヒドというのは、なじみのない物質のように思えるかもしれません。
でも、私たちには、かなり身近な物質です。
特に、お酒を飲む人には、関係が断ち切れない物質です。
お酒に含まれるアルコールは、飲んだあとに体内に吸収されて血液中に入り、
アセトアルデヒドになります。
この物質が、「酔う」と表現される症状をひきおこす元凶なのです。
顔が赤くなったり、心拍数が増加したり、
動悸が高まったりするのは、この物質のためです。
さらにひどい場合には、吐き気がしたり、
翌朝に頭痛などの二日酔いの症状が出るのも、この物質が原因です。
(『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』田中修 中公新書 2012年)
私たちの場合、この物質の血液中の濃度が高くなると、こんなことになるのです。
いっぽうに、渋柿の中に発生したこの物質は、
果肉や果汁に溶けているタンニンと反応して、タンニンを不溶性の状態に変えます。
カキの実の中で、タネができあがるにつれて、
アセトアルデヒドという物質がつくられてくるのです。
アセトアルデヒドによって、タンニンが不溶性のタンニンに変えられた姿が、
カキの実の中にある「黒いゴマ」のように見えるものです。
これは口の中で溶けないので、食べても渋みを感じることはありません。
黒ゴマのような黒い斑点(はんてん)が多いカキの実ほど、渋みは消えているのです。
(『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』田中修 中公新書 2012年)
こうして、渋いカキは自然に甘くなります。
カキの実は、タネができる前の若いときには、
虫や鳥に食べられないように渋みを含みます。
タネができあがってくると、
鳥などの動物に食べてもらえるように甘くなりタネを運んでもらいます。
たいへん巧妙は〝すごい〟しくみを備えているのです。
(『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』田中修 中公新書 2012年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
歩いている時は青空が広がっていて雲も面白い形をしていました。
飛ぶ鳥の心は空にあくがれて行方(ゆくゑ)も知らぬものをこそ思(をも)へ
【通釈】
飛ぶ鳥のように、私の心は空にさまよい出て、
何処へ行くのか目当てのない物思いをすることだ。
【語釈】
○飛ぶ鳥の 飛ぶ鳥のように。
第二句・第三句の「心は空にあくがれて」という泳者の心情に比喩表現。
○あくがれて 「あくがる」は、物思いのため、心が身体からさまよい出る意。
○行方も知らぬ どうなって行くのか、目当てもない。
○ものをこそ思へ 物思いをすることだ。恋の物思いを思わせる。
(『好忠百首全釈 歌合・定数歌全釈叢書二十』筑紫平安文学会 風間書房 2018年)
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m