でも、座っていたときに腰に痛みが走り >_<
ベッドでストレッチをしたり、腰痛ベルトをして歩けるか確認。
今回の旅行では、出発直前まで
一眼のデジカメをもって行こうかと思案していましたが
重いのでコンデジで旅のメモをすることにしたのが幸いしました。
昨日、野菜が少なかったので意識して選びました(^^ゞ
表参道火除橋(おもてさんどうひよけばし)
神域と俗界の架け橋
外宮の玄関口、防火の役目を持つ堀川に架かるのが名の由来だそうです。
ここは左側通行です。
25日に玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)をお参りしたときに
「伊勢迄歩講」が歩いて伊勢詣りをするの知っていいなと思ったのですが、
電車でやってきました(^_-)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう 外宮 げぐう)
御祭神 豊受大御神(とようけのおおみかみ)
御鎮座 雄略天皇二十二年
豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵をお与えくださる産業の守護神です
約千五百年前の雄略天皇の御代に丹波国(現在の京都府北部)から
天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお食事をつかさどる
御饌都神(みけつかみ)としてお迎え申し上げました
御垣内(みかきうち)の御饌殿(みけでん)では
毎日朝夕の二度 天照大神に神饌(しんせん)をたてまつるお祭りが
ご鎮座以来絶えることなく行われています
御遷宮(ごせんぐう)は内宮と同じく二十年に一度行われ
平成二十五年十月五日に第六十二回式年遷宮が行われました
(「伊勢神宮」案内より)
「参宮の真髄 祓いの心で神の秘密を開く」より
(…略…)
神宮では、外宮さんに先にお参りするのが習わしとされます。
この参宮の順番は、じつに並はずれた幸運を授かるための秘密なのです。
外宮さんの御祭神については、諸説あります。
一般的には、内宮さんのお食事を受け持つ神として、
丹波からいらした豊受姫と考えられています。
(『大人の伊勢神宮―幾度となく訪れたい、心の旅―』辰宮太一監修 ワニブックス 2018年)
(…略…)
私は、大地の神様、それも、一柱(ひとはしら)ではなく、
大地の神々のグループではないかと思います。
衣食住という生命活動の根源はまさに大地の働きです。
(…略…)
大地は、海すら含むすべてをその上に乗せ、微動だにせず、
あらゆる生命を支える存在です。
そして、物事の土台、基本、根本です。
大地の神にまずお参りする。
そこで運命に揺るぎなき基本を授けていただく、
人生の土台を揺るぎなくしていただくわけです。
幸運を授かるという視点で分かりやすく言えば、運命の大地を耕していただき、
そこに幸運の種を撒いていたくだイメージです。
その上で、内宮さんにお参りするわけです。
(『大人の伊勢神宮―幾度となく訪れたい、心の旅―』)
内宮さんの御祭神、天照大御神は、太陽にたとえられます。
太陽にたとえられる神を敬い、祈ることは、太陽に照らされることに通じます。
光に照らされれば、隠れていた物事が見るようになるでしょう。
太陽の熱に温められれば、氷が溶けるように、
動かなかった物事が動くようになるでしょう。
言い換えると、隠れていた才能や魅力が見えるようになり、
行動力が発揮されるということです。
そして、外宮さんで撒かれた幸運の種は、
太陽に照らされてすくすくと育っていくのです。
(『大人の伊勢神宮―幾度となく訪れたい、心の旅―』)
<古代の神社>
大化の改新以前に成立したと考えられる
伊勢神宮・出雲大社・住吉大社などの建築様式は、
わが国固有の住居や原始時代からの高床式の系統をひくものといわれる。
伊勢神宮には、20年ごとに建て替える“式年遷宮”の制度があるが、
実際には中世までは19年目ごと、近世から20年目ごとにつくり替えられていた。
そのため、神苑(しんえん)には東西二つの敷地があり、
一方は神殿、他方は空地となる。
神宮では、690年(持統4)を第1回とし、
1973年(昭和48)を第60回としている。
たびたびのつくり替えにもかかわらずよく伝統を保存し、
神社建築の清純素朴な特色を維持している。
この式年遷宮の制度は、期間の違いはあれ、多くの神社でも行われている。
(『図説 歴史散歩事典』井上光貞監修 山川出版 1979年)
奈良から平安初期には神社の数が増加したこともあり、
国家による神社統制が強化されていった。
927年(延長5)の『延喜式(えんぎしき)』はそのあらわれであり、
「神名(しんめい)帳」によって整備を加え、大・中・小社とか、
官幣社と国弊社の分類が行われた。
これにともない、神社建築も大いに発展した。
仏寺建築の伝来により、必然的に神社建築は多くの刺激と影響を受けたが、
いぜんとしてかたくななまでに切妻(きりづま)屋根、
素木造(しらきづくり)・高床(たかゆか)式などの古い伝統を堅持して、
仏教色を拒否した点を強調しておくべきだろう。
しかしながら、奈良から平安時代にかけて成立したとみられる
春日・賀茂・八幡の神社には仏寺建築の影響が多分にみられ、
なかでも祇園社などは仏寺とへだたりないほど接近している。
そうしたなかで、あくまで仏寺様式を排除しようとした日吉(ひえ)社などは、
忘れてはならないものだろう。
平安後期、神仏習合が進行したのと相まって、
宇佐(うさ)・気多(けた)・気比(けひ)・
石上(いそのかみ)・鹿島(かしま)などをはじめとして
神宮寺(じんぐうじ)が建てられ、興福寺と春日大社、延暦寺と日吉大社のように、
寺院に鎮護の神を祭ることが全国的に行われ、
そのため神社建築も仏寺建築と混淆(こんこう)した観を呈した。
(『図説 歴史散歩事典』)
清盛楠(きよもりぐす)
表参道手水舎の向かいに立つ楠。
平清盛が勅使(ちょくし)として参向した時、
冠にふれた枝を切らせたという伝承があります。
平清盛は勅使として三度、神宮に参向しています。
(伊勢神宮HP)
バスの表示を見ていて中国語・ハングルと
表示されていたのはビックリしなかったけど
ローマ字とひら仮名が表示されていいなと思いました(^-^)
アナウンスでも言ってくれるけど
Kazeのように聞こえづらいものにとって読み方が分り嬉しいです(^_^)b
お昼に「伊勢うどん」
お店の人によくかき混ぜてくださいと教えてもらいました。
伊勢うどんの歴史には色んな説があるようですが
歯が悪い父には
「神宮へ長旅をしてきた人向けの食事として江戸時代に開発された料理」
というのがあっています(^_^)b
宇治橋は右側通行です。
ナミテントウも右側通行をしていました(^▽^)
父はカメラを構え、妹はパンフレットをかざして日よけにしていました(^_-)
第一鳥居を過ぎて右に下りていくと、
神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)を水源とする五十鈴川の御手洗場があります。
徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したと伝わる石畳があり、
ここでお手水をすることもできます。
(『大人の伊勢神宮―幾度となく訪れたい、心の旅―』)
皇太神宮所管社
瀧祭神(たきまつりのかみ)
御祭神 瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)
五十鈴川の御手洗場の近くにあり、御垣と御門のみで社殿はなく、
石畳に祀られています。五十鈴川の守り神として古くから大切に祀られ、
内宮の所管社しょかんしゃながら、祭典は別宮に準じています。
伊勢では毎年8月1日(八朔 はっさく)に五十鈴川で汲んだ水を瀧祭神にお供えし、
家に持ち帰った後、神棚で無病息災を祈る風習があります。
(伊勢神宮HP)
瀧祭神の脇の古木が竜のように見えました(^-^)
内宮正宮
皇太神宮は内宮と呼ばれ、天照大神を祀る。
外玉垣南御門の内側にさらに2つの門があり、その奥に正殿(本殿)が立つ。
正殿は切妻造・平入の神明造で、
千木・鰹木がある茅葺屋根や掘立柱が古代からの姿を伝える。
妻側には棟木を支える棟持柱が立ち、
縁側の高欄の柱には「五色の座玉(すえたま)」が据えられている。
(『神社の解剖図鑑』米澤貴紀 エクスナレッジ 2016年)
三人と分かれて…
御稲御倉(みしねのみくら)
内宮の所管社のひとつです。
神宮神田で収穫した御稲が奉納され、三節祭でお供えされます。
建物は正宮同様に神明造で、規模は小さいものの特徴をうかがうことができます。
(伊勢神宮HP)
外幣殿(げへいでん)
神明造の高床式の建物。
内宮は正宮御垣の外にありますが、外宮は御垣内にあります。
(伊勢神宮HP)
荒祭宮(あらまつりのみや)
御祭神 天照大御神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)
荒祭宮は、内宮に所属する十別宮のうち、第一に位しています。
殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。
ご祭神は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)。
神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、
荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」とたたえます。
(伊勢神宮HP)
(風日祈宮橋 かざひのみのみやばし)
原則、内宮は右側通行、外宮は左側通行ですが、
この理由は、ご正宮(しょうぐう)に向かう際、
慎み深くして遠い側を通ることにあるようです。
じつは、基本は右側通行の内宮でも、
風日祈宮(かぜひのみのみや)に向かう橋は、
お宮から遠い左側を渡るといいのですよ。
(『大人の伊勢神宮―幾度となく訪れたい、心の旅―』)
風日祈宮(かざひのみのみや)
御祭神
級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長戸辺命(しなとべのみこと)
ご祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で、
特に風雨を司る神、級長津彦命、級長戸辺命。
雨風は農作物に大きな影響を与えますので、
神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。
風日祈宮に通じる風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)の上からは、
美しい新緑や紅葉を望むことができます。
(伊勢神宮HP)
三人と合流して
小学生の時に家族四人で来て、奥の川原で水遊びをしてました(^。^)「天照皇太神宮 御裳濯川 御橋 元和五己未年 三月」
と刻まれた擬宝珠を姪がなでています(^_-)
宇治橋にも秘密があります。
20年に一度、宇治橋が架け替えられるとき、万度幣(まんどぬさ)という、
まさに祓いの気を込めた幣が納められるのです。
宇治橋を渡るだけで、お祓いを受けることになるわけですね。
万度幣が納められているのは、
入り口の鳥居から左手ふたつ目の擬宝珠(ぎぼし)の中です。
右側通行ですから、帰りに触れてみるのもいいかも知れません。
(『大人の伊勢神宮―幾度となく訪れたい、心の旅―』)
お参りした後に赤福の「盆」をいただきました。
歩いた疲れがとれたようなp(^-^)q
このあと、再び別行動(^_-)
菓子製造業禁止処分により休業するという事態になったこともあるけど
そのことを赤福の歴史の中でちゃんと記載されている!
これよりおかげ横丁
神恩太鼓(しんおんだいこ)神恩太鼓は、神々の里
伊勢の地にてその風土を
いっぱいに感じながら、
おかげ横丁の基本精神である、
今あることを感謝する
「神恩感謝」の精神を太鼓の音で
表現しようと日々努めています。
ここ、おかげ横丁の中心にある
「太鼓櫓」で演奏しています。
(案内板より)
「近鉄宇治山田駅本屋 (きんてつうじやまだえきほんや)」
父が生れた昭和6(1931年)3月に上本町・宇治山田間の直通運転を開始しました。(近鉄資料館 戦時統制時代への対応 昭和6年~18年)
バス用の転車台(ターンテーブル)が残っています。
昨日の反省は野菜類が少なかったなと…
でも、姪の選択と違うな(^^ゞ
夕食の時に大失敗をしていたのを翌日の朝食の時に気づきました(..;)