2018年11月19日月曜日

府立中之島図書館へ

大江橋駅の階段を上がってから撮しました(^_^;)
最近、段差のある所を上っていなかったので
途中で大丈夫かなと思った…
今朝、雨が降っていたのでリハビリ散歩をやめて
府立中之島図書館にやってきました。
展示室では「大林芳五郎展~近代大阪の礎を築いた偉人~」
創業当時店舗の鬼瓦
 大林組は、明治25年(1892年)1月、創業社主の大林芳五郎によって
大阪の地でその歩みを始めました。
この鬼瓦は、大阪市西区靱南通四丁目六十二番屋敷(現在の西区西本町)に在った
「大林店」店舗に据えられていたものです。
誠実な仕事、心を込めたものづくり、たしかな技術、
これらは創業以来の変わらず持ち続けているもの、
そしてこれからも受け継いでいくものです。
※この鬼瓦は複製品です。
初代通天閣
新世界は天王寺公園に隣接する8万2,500㎡の敷地にルナパークを設け、
通天閣を中心に、映画館などを配した最新遊楽施設だった。

パリの凱旋門とエッフェル塔を模倣した初代通天閣が誕生」(通天閣資料館)
東京中央停車場(1914)
大林組歴史館
図書館で調べたかったのは『好忠百首全釈 歌合・定数歌全釈叢書二十
曽禰好忠(そねのよしただ)は百人一首に出会っていたけどほとんど知りませんでした。
でも、『和歌・歌人物語』で知ってからもっと知りたくなりました(11月12日記事)。
お昼は市役所の地下食堂で(^_^)v
もう一つ見たかったのが『光徳寺善隣館と佐伯祐正』です。
でも、この本は個人の貸し出しができませんし内容がかなり豊富です。
好忠百首に時間をとられたので、この本はあまり読めませんでした。
その代わりというのも変ですが、
佐伯祐正について書かれていた本があったので転記します。

光徳寺善隣館――仏教セツルメント実践者:佐伯祐正――
 我が国における仏教セツルメントの提唱者であり、
実践者の一人である佐伯祐正(1896―1945)が
大阪府西成郡中津町(現 大阪市北区中津町2丁目)にある
自房(浄土宗光徳寺)を開放して
仏教の教えによるセツルメント事業として光徳寺善隣館を起こしたのは、
1926(大正15)年のことで祐正は30歳の時でした
(祐正は、1921年に事業を開始したと述べていますが、昨今疑問視されています)。
この地域は淀川の水運を利用した工場が立ち並び、
低賃金の不安定労働者が多く住むスラム地域で、
工場の煙突が吐き出す煤煙があたりを覆っていました。
 1921(大正10)年に開設された大阪市立北市民館とはそれほど離れていない所です。
祐正は北市民館で、館長志賀志那人(しがしなんど)
薫陶(くんとう)を受けて経験を積んでから、
仏教の慈悲の精神にもとづいてセツルメント事業を始めました。
 祐正は、本堂のほかに400人を収容できる講堂や、
複数の小集会室を設けて音楽演奏会を開き、図書室も開放していました。
また、セツラーのための宿泊施設も用意していました。
さらに、地域の幼児のために幼稚園と保育所も経営していました。
 祐正は地域の労働者のために慰安会を開催し、
女性のために昼夜の裁縫教室も開いていました。
 志賀志那人はセツルメントの存在の意義は教育であるといっていますが、
祐正はその理念を実現しようとしたのでしょう。
 また、自然に恵まれない児童のために、
豊中に1万坪(約3万3000平方メートル)の用地を取得し、
カントリーハウス(郊外の家)を建設しました。
大阪府の周縁部を結ぶ大阪モノレールの芝原駅前に市立豊中病院があります。
その病院前の広場に二尾池という小さな池があります。
祐正がカントリーハウスを建てた頃は、大きくて池の中に島があったそうです。
二尾池や豊中病院の敷地辺りにカントリーハウスがありました。
大阪市内の煤煙による呼吸器疾患の児童の健康増進のため、
また職員や家族のレクレーションの場として建てたのでした。
 第二次世界大戦の末期1945(昭和20)年6月の空襲によって寺が焼失するまで、
祐正は幅広く活動を展開していましたが、この空襲で祐正も被弾して重傷を負い、
入院先の済生会中津病院で3カ月後に没しました。
祐正の死去によって、光徳寺セツルメントはいったん終焉を迎えます。
 祐正は方面委員としても尽力し、一時期、寺内に事務所を置いていました。
この時期、北市民館の志賀志那人、淀川善隣館のE.S.モラン、A.E.ケリーや、
愛染園の富田象吉(とみたしょうきち)らとの間に交流を深めています。
 支那事変に際しては、中国の戦争孤児を救済するため、
四恩学園の林文雄らと訪中し、孤児を連れて帰国しています。
 戦後、祐正の妻、千代子が夫の志を継いで
1947(昭和22)年に光徳寺保育園を起こし、
戦災孤児をはじめ地域の児童を援助しました。
その後、知的障害児施設に転じて、
光徳寺善隣館中津学園(社会福祉法人 光徳寺善隣館中津学園)
となり多くの実践記録を残し、
福祉系の実習生や見学者が跡を絶ちません。
 余談になりますが、パリで客死した有名な画家、佐伯祐三は祐正の弟です。
光徳寺善隣館の事務所前には大阪市によって
佐伯祐三の生誕地の顕彰碑が建てられています。
   河﨑洋充
(『大阪の誇り 福祉の先駆者たち――挑戦の軌跡――
    大阪ソーシャルワーカー協会 晃洋書房 2013年)