見舞った後、高津宮(こうづぐう)にお参りしました。
「高津社」(摂津名所図会 大阪市立図書館)
『東海道中膝栗毛』にも高津宮が描かれています。(「八編上」より)
長町どをりを北へ(*1)ひのうへより(*2)高津新地に出、
(*3)高津の御みやにまいる。
こゝはむかし(*4)仁徳天皇の、
たかきやにのぼりてみればとゑいじ給ひし(*5)旧地にして、
今にはんじやういふばかりなし。
社内に(*6)とうふでんがくのちや屋、さんけいの人をよぶ
(後略)
*1)「樋の上」は、道頓堀西詰の地名。
*2)高津(こうず)新地は、高津神社を中心とする遊里。
*3)高津(こうず)の御宮。 南区高津町一番町にある。
祭神、仁徳天皇・仲哀天皇・応神天皇・神功皇后二神。
*4)仁徳天皇の御製
「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」
(新古今集、第七)
*5)仁徳天皇の旧地というのは思い誤り。
*6)高津神社の前の石階の下に、豆腐田楽の茶屋があった。
(『東海道中膝栗毛(下)』十返舎一九作・麻生磯次校注 岩波文庫 1973年)
こちらの絵図には豆腐田楽でなくて…
高津宮の下
黒焼屋の店には、
虎の皮 豹の皮
熊の皮 狐 狸までも
軒につりて
諸鳥は迦陵頻伽と
鳳凰はなけれども
其外はことごとく
双べて自在なり
黒焼は大きなるものは
大鵬の翼
小さきものは蝸牛の角の国争ひまでも
黒焼にして
店前に其鍋を飾り
めざしきほど双べ賈ふなり
高津宮(こうづぐう)
仁徳天皇・応神天皇ほか5神をまつる。
創建年代は明らかではないが、豊臣秀吉の大坂城築城の際、
真田山丘陵北方からここに移されたという。
かつて大坂一の眺望といわれ、江戸時代には茶屋や料亭があり、
雪見の名所でもあった。
十返舎一九(じっぺんしゃいっく)も『東海道中膝栗毛』で、
弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)の来訪を記している。
昭和30年代まではここから大阪市内が一望でき、
よく晴れた日には、大阪湾や六甲の山並みをみることができた。
しかし、現在は立ち並ぶビル群のため、眺望は望めない。
(『大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊野・三島』大阪府の歴史散歩編集委員会編 山川出版 2007年)
社殿は第二次世界大戦の戦災で焼失し、
1961(昭和36)年に再建された。
春の夜桜の美しさで知られている。
仁徳天皇をまつっているが、
天皇の高津宮(たかつのみや)との関連はない。
高津宮は、仁徳天皇が難波の地に定めた宮都といわれ、
かまどの煙をみて、民衆の生活を気遣ったという『日本書紀』の記事は有名である。
その所在地はいまだ確定していないが、
円珠庵から南へ200mほど行った所にある
大阪府立高津(こうづ)高校の校門を入ってすぐ左側に、
高津宮跡碑が立っている。
1899(明治32)年、大阪市によって建立され、
1950(昭和25)年の道路拡張工事のため、現在地に移された。
(『大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊野・三島』)
叔父が入院しているのは高津病院です。
『夫婦善哉』には 関東煮屋から果物屋に商売替えをしたのですが…
そこに高津病院が描かれています。
柳吉にそろそろ元気がなくなって来たので、
蝶子はもう飽いたのかと心配した。
がその心配より先に柳吉は病気になった。
まえまえから胃腸が悪いと二ツ井戸の実費医院(じつぴ)へ通い通いしていたが、
こんどは尿に血がまじって小便するのにたっぷり二十分かかるなど、
人にも言えなかった。
前に怪しい病気に罹(かか)り、
そのとき蝶子は「なんちゅう人やろ」と怒りながらも、
まじないに、屋根瓦にへばりついている猫の糞と明礬(みょうばん)を煎じてこっそり飲ませたところ効目(ききめ)があったので、
こんどもそれだと思って、
黙って味噌汁の中に入れると、柳吉は啜ってみて、変な顔をしたが、
それと気付かず、味の妙なのは病気のせいだと思ったらしかった。
(…略…)
「まじない」に脇点(、、、、)
(『夫婦善哉』織田作之助 岩波文庫 2013年)
柳吉が通院した「実費医院」とは?
「実費医院」は、福沢諭吉の弟子でジャーナリスト・企業家・政治家だった
鈴木梅四郎(1862~1940)によって設立された
「実費診療所大阪支部病院」のこと。
貧しい人々が十分な医療を受けられない状況を憂慮した鈴木は、
1911(明治44)年、実費のみで診療したり薬を出したりする「実費診療所」を東京に開設。
大阪でも1914(大正3)年に実費診療をスタートさせた。
この活動は、当時の医師会から激しい抵抗を受けたが、
鈴木は自ら政治家になり国会で運動を続けた。
最盛期の実費診療所は全国41カ所に達したという。
この実費診療の流れを受け継いでいるのが
「厚生会 高津病院」(大阪市中央区瓦屋町3-2-7)。
ちょうど高津宮のある丘の西側すぐに位置する。
(「名作旅訳文庫6大阪『夫婦善哉』『アドバルン』織田作之助」JTBパブリッシング 2009年)
駅で父と別れて、
父から念珠(ブレスレット)の修理を頼まれていたので
一駅先の四天王前夕陽丘に向かいました。
予定していた店が閉まっていたので
別の店を探したらありました(^^)v
修理を30分くらいでできるというので
四天王寺をブラブラすることにしました。
「御参詣者休憩所」でカレーを食べました。
初めはうどんでもと思っていたのですが
きつねどうん・そばと天ぷらうどん・そばが520円
かけうどん・そば420円
カレーライスと牛丼が450円
だったのでカレーライスにしました(^_-)-☆
熊野権現礼拝石(くまのごんげんらいはいせき)
(2018年5月23日の記事)
中門(仁王門)
お彼岸などにお参りすると露店で隠れている「義経よろい掛け松」念珠の修理を頼んでいたのは「浅尾釈迦堂」です。
以前、別のお店で修理を頼んだときは
工場に送っていたので数日かかりました。
こんな所に「大原社会問題研究所跡」のプレート
「大原社会問題研究所(所在地)の変遷」(法政大学)
「夕陽丘庁舎」の石垣にありました(左端の赤↓)
こんばんは~
返信削除>柳吉が通院した「実費医院」とは
ほんとうに、色々な事をよくご存じです。
とても勉強になります。(^-^;
四天王寺さんあたりは、ふらっとお散歩していると、色々と興味深いことに出会えます。
忘れないようにしたいのですが。。。(^-^;
カイさんこんばんは(^^)/
削除JTBの「名作旅訳」シリーズは面白い企画でいい本だなと思ったのですが
残念ながら絶版のようです。
ブラタモリで5月18日にミナミを歩いていましたが
本には三津寺墓地のことが載っていて2018年9月24日に訪ねていました。
四天王寺さんあたりは、まだまだ知らないことがあるので
毎回、調べて訪ねるのを楽しみにしていますp(^^)q