入院中、点滴を受けていた時に経験した血管痛のような痛みでした。
しばらくウトウトしていて5時前に起きました。
少し気分が悪かったのですが父とリハビリ散歩に出かけました。
あまりひどかったら中止にするのですが
歩いていると気分が紛れていました。
明日から6月、蒸し暑い季節がやってきます。
平安貴族の暮らしについて『古文の読解』と
『徒然草』から住まいについて転記したいと思いますφ(..)
(「第一章 むかしの暮らし◇都のすまい◇」より)
(…略…)
こんなふうに見てくると、
むかしの家もなかなかよく考えてあったじゃないか
――と言われそうだが、問題は暖房設備である。
カーテン式のしきりを主とした構造なのに、
せいぜい炭櫃(すびつ)とか火桶(ひおけ)とかで手さきをあたためるぐらいでは、
冬の寒さをしのぐのは大骨だったろう。
おまけに天井は高く、畳もない。
どうも健康によくなかったのでないかと思われる。
――というのは、平安時代の人たちがわりあい短命だったからである。
(『古文の読解』小西甚一 ちくま学芸文庫 2010年)
四十歳になると四十(よそじ)の賀という祝いをするのが、
当時のならわしであった。
そのあと十年ごとに五十(いそじ)の賀、六十(むそじ)の賀、
七十(ななそじ)の賀、八十(やそじ)の賀というように祝ってゆくのだが、
実際には六十以上の賀はあまりおこなわれなかったのではあるまいか。
いまの人たちなら、四十まで生きたぐらいで「めでたい」と感じ、
祝宴をするなどということは、ナンセンス以外の何ものでもない。
四十で賀の祝いをしたことは、
当時の平均年齢が低かったあらわれだと考えてよかろう。
(オオシオカラトンボ♀)
平安時代の人たちは、
なぜ健康的でない家をわざわざ建てたのだろうか。
これは、夏の暑さのほうが冬よりもつらかったにちがいない。
いまでも、京都の夏は猛烈なもので、
日中に歩いていると、わたくしなんかは、頭がボーッとしてくる。
この暑さに対抗するためには、
どうしても風とおしのよい構造が必要だったのであろう。
あとで述べるように、
平安貴族の着物は広袖すなわち袖口を全部あけておく仕立てだった。
冬はずいぶん寒かったろう。
なにしろ風とおしが良すぎる、何枚かさね着しても、
シャツのような下着のなかった時代で、寒さの防ぎようがない。
それでも、がまんして、下層階級の着物だった小袖
つまり袖口の狭い仕立てになっている式のは、
かなり後まで着たがらなかった。
貴族たる者が庶民スタイルの着物なんか着られるか
――というプライドよりも、
夏の暑さがよほど身にこたえていたのだろう。
家の造りかたにおいても同様の事情だたろうと考えてよろしい。
そこで、次の有名な発言が出てくる。
室町時代よりすこし前のことであるけれども、
(『徒然草』第55段が引用されてますが省略)
という兼好の説は、平安時代においても同じだったらしい。
京都御所などでもわかるように、
天井がひどく高いのは、こうした配慮からだろう。
(『古文の読解』小西甚一 ちくま学芸文庫 2010年)
(以上、アオモンイトトンボ♂、♀、カップル)
◆住まいは夏向きに――家(いへ)の作りやうは (第55段)(現代語訳)
家作りの方針は、夏向きを中心に考えるのがよい。
冬はどんな場所でも、何とか住むことができる。
だが、暑い夏場に配慮しない住宅は、住めたものではない。
(『徒然草 ビギナーズ・クラシックス』
吉田兼好著 角川書店編 平成14年)
庭の鑓水(やりみず)の場合、底の流れは涼感(りょうかん)がない。
浅い流れのほうが、ずっと涼しい。
文字や文様(もんよう)など細かいものを見るには、
引き戸のある部屋は蔀(しとみ)の部屋よりも明るい。
天井の高い部屋は、冬寒く、
夜は、灯火(とうか)の光が拡散するために暗い。
また、建築は決まった目的のない場所を設けておいたほうが、
見た目にもゆとりがあって好感がもてるし、
そのほうが自由に活用できて便利だ、という討論の結果がある。
(古文)
◆家(いへ)の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬はいかなる所にも住まる。
暑きころ、わろき住居(すまひ)は耐(た)へ難(がた)きことなり。
深き水(みづ)は涼しげなし。
浅く流れたる、はるかに涼し。
細(こま)かなる物を見るに、
遣戸(やりど)は蔀(しとみ)の間(ま)より明(あ)かし。
天井(てんじやう)の高きは、冬寒く、灯火(ともしび)暗し。
造作(ざうさく)は、用なき所を作りたる、見るもおもしろく、
よろづの用にも立ちてよしとぞ、
人の定(さだ)め合(あ)ひ侍(はべ)りし。
*京都盆地の猛暑は有名である。
建築を夏季に合わせるのは当然だ。
納涼・採光・暖房の工夫を説くが、
兼好はそろそろ老眼が始まったか。
家には、ふだん使わない部屋を設けたほうがよいという。
自由に仕切って使えるという活用性を評価したのだ。
いわゆる無用の用である。
家作りについては、第十段を参照。
★京都の気候風土
京都盆地は、
もともと鴨川(かもがわ)[高野川(たかのがわ)・賀茂川(かもがわ)]・桂川(かつらがわ)の氾濫原で、
全体的に湿気の高い土地だが、
特に右京(うきょう)は湿地帯だった。
しかも、盆地で寒暖の差が激しく、
夏の猛暑に高湿度が加わると、耐えがたかった。
住居分布を見ると、
内裏(だいり)を中心に貴族の邸宅は左京(さきょう)に集中し、
湿気が多いため住宅地には向かなかった右京には、荘園が多い。
また、個々の邸宅の造作を見ても、
庭の落水(おちみず)や鑓水(やりみず)、釣殿(つりどの)など、
涼を求める設備が必ずある。
(『徒然草 ビギナーズ・クラシックス』
吉田兼好著 角川書店編 平成14年)
モンシロチョウのオス(左)が求愛していたみたいなのですが…
σ(^-^;にはオスとメスの区別がつきません…
「モンシロチョウのオスとメスの見分け方」(動画)
「紫外線カメラで見たモンシロチョウ-中学」(動画)
交尾を拒否するメスの行動
産卵場所を探して飛び回るメスは、往々にしてオスに言い寄られる。
しかしメスとしては、交尾に時間を取られるよりも、
1つでも多くの卵を産みたいのだ。
そこでメスは、オスをあきらめさせるための様々な「交尾拒否行動」を行う。
飛びながらひたすら上昇したり急旋回したりしてオスを振り切ることもあるが、
特に興味深いのがモンシロチョウだ。
(『虫のおもしろ私生活』
ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
メスはオスに言い寄られると、
翅を水平近くまで開き、腹をほぼ垂直に立てる。
オスはメスにこの姿勢をされると、
どこにどうつかまって腹をどう伸ばしても交尾することができず、
あきらめて他のメスを探しに飛び去って行く。
(『虫のおもしろ私生活』
ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
「モンシロチョウの求愛」(動画)
今朝の父の一枚です。
ツバメを撮りたくて何回もチャレンジしていましたp(^^)q
夕刊が届いて第一面を見ると
“Lだけ消灯、そのわけは 粋なローソン「巣立つまでは」”(朝日新聞)
新聞記者も殺伐とした事件ばかりでなく
こんな記事を書きたいだろうなと思います。