気温が上昇するだけでなく
光化学スモッグの予報メールも届くようになりました(-_-;)
「現在の光化学スモッグ発令状況」(大阪府大気汚染常時監視のページ)
昨日、 父の撮った伯母の「一年祭」を載せましたが、
『神道用語の基礎知識』より「神葬祭」を転記しますφ(..)
〔神葬祭〕
神道が日本古来の、
そして現在においても多くの信者を抱えている宗教でありながら、
その様式に則った神葬祭は仏式葬よりも
はるかに執り行われる数は少ない。
その原因は江戸幕府によって施行された
寺請(てらうけ)制度にまで遡る。
キリシタン等の禁制の宗徒の弾圧を目的に施行されたこの制度は、
全ての人にどこかの寺の檀家であることと、
仏式の葬式を行うことを強制した。
しかし、江戸時代も後期になると
幕府は神職本人と嫡子のみに神葬祭を認めるようになり、
明治に入ってようやく氏子にも神葬祭が許されるようになった。
(『神道用語の基礎知識』鎌田東二編著 角川選書 平成11年)
現在行われている神葬祭の一般的な内容は以下のようなものである。
一、枕直しの儀
遺体を北枕に安置し、白足袋を履かせ、
顔を白布で覆い、守り刀を案の上に置く。
二、納棺の儀 遺体を棺に収める。
三、柩前日供(きゅうぜんにっく)の儀
出棺の時まで朝夕二回の膳を供える。
四、帰幽(きゆう)報告の儀
喪主あるいは神官が個人の産土神(うぶすながみ)へ死去の報告をする。
五、墓所地鎮祭の儀
新たに墓地を設ける時のみ行う。
墓地がすでにあるときには祓いのみ行う。
六、通夜祭の儀
親類縁者、知人、友人などが一堂に会して亡き人を偲ぶ。
七、遷霊祭の儀
故人の霊を仏教の位牌に当たる神鏡(しんきょう)や
笏(しゃく)などの御霊代(みたましろ)に遷(うつ)す。
八、発柩(はっきゅう)祭の儀
斎主による発柩の祭詞奏上、
斎主・参列者による玉串奉奠(たまぐしほうてん)の後に火葬場に向かう。
九、発柩後祓除の儀
出棺の後、家に残った家族や部屋の中を祓い清める。
十、葬場祭の儀
修祓(しゅばつ)・神饌(しんせん)献上・斎主による祭詞の奏上・
副斎主が故人の生前の人柄・
功績などを述べる誄詞(しのびごと)の奏上・
玉串奉奠などが執り行われる。
仏式でいうところの葬儀と告別式にあたる。
十二、帰家祭の儀
手水・清めの塩で浄め祓いをしてから家に入り、
御霊代に葬儀がつつがなく終了したことを報告し、
一同による拝礼・玉串奉奠で葬儀は終了する。
仏式の葬儀と神葬祭では、
そこに展開されている世界観は大きく異なっている。
しかし、個々の儀礼をみてみると、
枕直しの儀のように形式的には
仏式葬にも非常に似通ったものがあることがわかる。
こうしたところに神道と仏教という異質な要素を持つ宗教が
長い年月を経て相互に影響を与えながら
姿を変えていった様子がうかがえる。
(『神道用語の基礎知識』鎌田東二編著 角川選書 平成11年)
今朝の父の一枚です(^^)v
風車の丘の花壇は、
ネモフィラからマリーゴールドに植え替えられています。
父が徳之島に帰省して撮った「犬田布(いぬたぶ)岬」です。
薩摩藩が支配していた時代に
「犬田布騒動(1864年)」という百姓一揆が起きています。
「徳之島の歴史」(九州農政局)