今日は、父の歯科受診だったので運転手をしていました。
こんな日はリハビリなどをしていないので記事を休むつもりでしたが
こんな日はリハビリなどをしていないので記事を休むつもりでしたが
『新版 絵巻物による 日本常民生活絵引』の第2巻が
「一遍聖絵」について民俗学の立場から読み解いています。
その一部を紹介します。
なお本の図絵はモノクロですし、カットしている部分は少し異なります。
なお、画像は国立国会図書館の「一遍聖繪」より引用しています。
(…略…)
ところで画家の円尹の伝記ははっきりしない。
が、大和絵派の画家であったことはこの絵によってうかがうことができる。
ただこの画師はもともと宮廷には縁がそれほど深くなかったのではないかと思われる。
それはこの絵巻にほとんど貴族の生活が描かれていないことで察せられる。
一遍自身は単なる乞食坊主ではなくて、貴族との交流もあったようで、
この絵巻も関白九条忠教の協力によって完成を見たようである。
そしてこれを描くにふさわしい画家によって絵が描かれたのであるが
民衆の生活をつぶさに描いていることによって、
当時の民衆の生活や風俗をうかがうことができる。
しかもその描かれているところは北は陸奥(岩手県)江刺郡から
南は大隅(鹿児島県)にまでおよんでおり、
地方地方の風物はそれぞれ特長をとらえて描きわけられている。
そういう点で史料としては価値のきわめて高いものであると言うことができる。
(『新版 絵巻物による 日本常民生活絵引 第二巻 一遍聖絵』
編者 澁澤敬三 神奈川大学日本常民文化研究所 平凡社 1984年)
(「一遍聖繪」4巻 32/33 国立国会図書館)
念仏踊第4巻、この絵巻に見えた最初の念仏踊。
信州(長野県)小田切の里の武士の家で一遍ははじめて念仏踊をおこなったという。
咄嗟に踊りはじめたことがわかるのは皆いかに不用意で、
しかも僧俗をとわず、一遍は縁で鉢をたたいている。
なおこの絵には庭前の祠、土まんじゅうに枯木をたてたものなど、
それが何を意味しているか不明なものがある。
あるいは墓か。
(「一遍聖繪」7巻 30/37 国立国会図書館)
念仏踊第七巻、京都市屋での念仏踊のさま。
板葺の踊櫓をつくり、高座をもうけ、その板をふみならしながら鉦をうち、それにあわせて踊る。
足を高くあげてふみならしているさまがよくわかり、活発な踊であったことが知られる。
それを周囲から公家や地下人たちが見あげ、中には拝んでいる者もある。
床の下には乞食も居れば、子供もあそんでいる。
人のあつまるときにこうした風景はつきものであったようである。
念仏踊は当時にあっては決して暗いものではなく明るいはなやかなものであったと思われる。
『一遍聖絵』の中で立烏帽子の公家が描かれているのここの前後の部分で、
貴族のほとんど出ないのがこの絵巻の特色である。
(『新版 絵巻物による 日本常民生活絵引 第二巻 一遍聖絵』
編者 澁澤敬三 神奈川大学日本常民文化研究所 平凡社 1984年)
本にはもっと詳しく説明されているので図書室などで手に取ってみてください。