昼間は暑くても、早朝は爽やかです。
ヒヨドリ スズメ目ヒヨドリ科
日本、朝鮮半島に分布。
ムクドリよりは大きくハトよりは小さい。
全体に煤(すす)けたような灰色で、
頭頂部はぼりぼり掻(か)いたように羽が立っている。
頬の部分はあまり趣味の良くない頬紅のように赤茶けた斑(はん)がある。
(『渡りの足跡』梨木香歩 新潮文庫 2013年)
ヒヨドリを漢字で書くと鵯、卑しい鳥と書かれるのは
やはりその性質を厭(いと)われた故(ゆえ)だろうか。
サクラが満開の頃、よく花がまるごと落ちていることがあって、
それはヒヨドリの仕業だと何かで読み、長いことそうお見込んでいた。
が、それは実は、
嘴が太く短く蜜(みつ)の吸いにくいウソたちの仕業だったのである。
花の萼(がく)の付け根を嘴で切り落として、
その裏から直接蜜を吸っていたのだ。
最近の報告でそれを知った。
言われてみれば納得することばかりである。
嘴の細いヒヨドリはメジロと同じくそういうことをする必要はなかった。
嘴を花粉で黄色く染めながら次々と蜜を吸うヒヨドリを私も確かに目撃したこともある。
花をまるごと落とすというのは、
花房を揺らしているヒヨドリ(ときどき花びらも食べるが)を見て生まれた誤解だったのだろう。
ヒール役が似合うとも言える。
(『渡りの足跡』梨木香歩 新潮文庫 2013年)
ははか 波々迦[記]
<古事記> 天の香山の天の波波迦(ははか)を取りて、
占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなな)しめて、……。(上巻)
[今名] うわみずざくら(ばら科)
(『古典植物辞典』松田修 講談社学術文庫 2009年)
[考証]
ハハカとは今のウワミズザクラのことで、
上代、亀甲(きっこう)の占いはこの材の上面に溝を彫ったので、
上溝(ウワミズ)の名がある。
白井光太郎博士はこれを考証されて、『樹木和名考』には、
「白井曰、予は多年此木の何物なるかを知らんと欲して、乎訪怠らず、
之を方言に徴するに、ホウゴ(日光) ホンガウザクラ(日光) コンガウザクラ(秋田)と呼ぶものあり、
今日のウハミズザクラなり、
更に確証を得んと欲せし際、昭和元年御即位御大典に当り由紀、
須紀の斎田御卜定の為ハハカの木御採用の議あり、
現今対馬に於ける亀卜家にて使用するハハカの標本を
宮内省の官人が取寄せられ之を予に示されたるを見しに、
果(はた)してウハミヅザクラの枝葉なり、
此により始めて予の推考の正当なりしを喜べり、
和名抄に波々迦の漢名を桜桃 朱桜に、
和名をニハザクラに充てたるは誤なり」と記している。
このウワミズザクラは、落葉の高木で、
春に小枝の先に小形の白色花を密生する。
(『古典植物辞典』松田修 講談社学術文庫 2009年)
古事記の天の岩戸の現代語訳を転記しますφ(..)
昭和31(1956)年出版の本でもあり
原文通りではありませんm(__)m
天の岩戸
――祓(はらえ)によつて暴風の神を放逐することを語る。
はじめのスサノヲの命の暴行は、暴風の災害である。――
そこでスサノヲの命は、天照らす大神に申されるには
「わたくしの心が清らかだつたので、わたくしの生んだ子が女だつたのです。
これに依(よ)つて言えば當然わたくしが勝つたのです」といつて、
勝つた勢いに任せて亂暴を働きました。
天照らす大神が田を作つておられたその田の畔(あぜ)を毀(こわ)したり溝(みぞ)を埋めたりし、
また食事をなさる御殿に屎(くそ)をし散らしました。
このようなことをなさいましたけれども天照らす大神はお咎(とが)めにならないで、
仰せになるには、
「屎のようなのは酒に醉って吐き散らすとてこんなになつたのでしよう。
それから田の畔を毀し溝を埋めたのは地面を惜しまれてこのようになされたのです」
と善いようにと仰せられましたけれども、
亂暴なしわざは止(や)みませんでした。
天照らす大神が清らかな機織場(はたおりば)においでになつて
神樣の御衣服(おめしもの)を織らせておいでになる時に、
その機織場の屋根に穴をあけて斑駒(まだらごま)の皮をむいて堕(おと)し入れたので、
機織女(はたおりめ)が驚いて機織りに使う板で陰(ほと)をついて死んでしまいました。
そこで天照らす大神もこれを嫌つて、
天の岩屋戸(あめのいわやと)をあけて中にお隱れになりました。
それですから天がまつくらになり、下の世界もことごとく闇(くら)くなりました。
永久に夜が續いて行つたのです。
そこで多くの神々の騒ぐ聲は夏の蠅のようにいつぱいになり、
あらゆる妖(わざわい)がすべて起りました。
(『古事記』武田祐吉訳註 角川文庫 昭和31年)
こういう次第で多くの神樣たちが天の世界の天(あめ)のヤスの河の河原にお集りになつて
タカミムスビの神の子のオモヒガネの神という神に考えさせて
まず海外の國から渡つて来た長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせました。
次に天のヤスの河の河上にある堅い巖(いわお)を取つて來、
また天の金山(かなやま)の鐵を取つて鍛冶屋(かじや)のアマツマラという人を尋ね求め、
イシコリドメの命に命じて鏡を作らしめ、
タマノオヤの命に命じて大きな勾玉(まがたま)が澤山ついている玉の緒を作らしめ、
アメノコヤネの命とフトダマの命を呼んで天のカグ山の男鹿(おじか)の肩骨をそつくり拔いて來て、
天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒(や)いて占(うらな)わしめました。
次に天のカグ山の茂(しげ)つた賢木(さかき)を根堀(ねこ)ぎにこいで、
上(うえ)の枝に大きな勾玉の澤山の玉の緒を懸け、
中の枝には大きな鏡を懸け、
下の枝には麻だの楮(こうぞ)の皮の晒(さら)したのなどをさげて、
フトダマの命がこれをささげ持ち、
アメノコヤネの命が荘重(そうちょう)な祝詞(のりと)を唱(とな)え、
アメノタヂカラヲの神が岩戸の陰(かげ)に隱れて立つており、
アメノウズメの命が天のカグ山の日影蔓(ひかげかずら)を手襁(たすき)に懸け、
眞拆(まさき)の蔓(かずら)を鬘(かずら)として、
天のカグ山の小竹(ささ)の葉を束(たば)ねて手に持ち、
天照らす大神のお隱れになつた岩戸の前に桶(おけ)を覆(ふ)せて
踏み鳴らし神懸(かみがか)りして裳の紐を陰(ほと)に垂らしましたので、
天の世界が鳴りひびいて、たくさんの神が、いつしよに笑いました。
そこで天照らす大神は怪しいとお思いなつて、
天の岩戸を細目にあけて内から仰せになるには、
「わたしが隱れているので天の世界は自然に闇く、
下の世界も皆闇(みなくら)いでしようと思うのに、
どうしてアメノウズメは舞い遊び、
また多くの神は笑つているのですか」
と仰せられました。
そこでアメノウズメの命が、
「あなた樣に勝(まさ)つて尊い神樣が
おいでになりますので樂しく遊んでおります」
と申しました。
かように申す間にアメノコヤネの命とフトダマの命とが、
かの鏡をさし出して天照らす大神にお見せ申し上げる時に
天照らす大神はいよいよ不思議にお思いになつて、
少し戸からお出かけになる所を、
隱れて立つておられたタヂカラヲの神が
その御手を取つて引き出し申し上げました。
そこでフトダマの命がそのうしろに標繩(しめなわ)を引き渡して
「これから内にはお還り入り遊ばしますな」
と申しました。
かくて天照らす大神がお出ましになつた時、
天も下の世界も自然と照り明るくなりました。
ここで神樣たちが相談をしてスサノヲの命に
澤山の品物を出して罪を償(つぐな)わしめ、
また鬚(ひげ)と手足の爪を切つて逐いはらいました。
(『古事記』武田祐吉訳註 角川文庫 昭和31年)