雨がまだ降りそうになかったので出かけました。
ソメイヨシノが散っていたけど
代わって八重の桜や山吹が咲きだしました。
木陰ではセイヨウシャクナゲも咲きだしました。
帰り、駐車場を出ると雨が降り出しました。
『生と死の歳時記 美しく生きるためのヒント』より
「桜」を転記しますφ(..)
この本では、最初に句が紹介されていて
その後に瀬戸内寂聴と斎藤愼爾さんの言葉が載っています。
いっそ狂うて花よ花よとあの世まで 勝村茂美
花冷えにあらぬ身の冷え別れ来て 檜 紀代(ひのき きよ)
花びらやいまはの息のあるごとし 長谷川櫂(かい)
(『生と死の歳時記 美しく生きるためのヒント』
瀬戸内寂聴・齋藤愼爾 法研 平成11年)
桜満開おのが身に皮膚いちまい 辻美奈子
花の雨遺影引伸ばされ薄れ 大野林火(りんか)
花の中わが身も水を吸い上げる 桂 信子
○「桜の花びらがひらひらと散っていく、その花びらが地面にふれる。
その時の微かな音、その音が聞こえるやうなものを描いてみたい」
といったのは徳岡神泉という画家だったとは、
唐木順三氏の『無常』という著書で教えてもらったが、
桜の花びらが陽光をうけて、
一ひら一ひらが貝殻の内がわのような白さと光で、
雪よりもなお軽く地に落ちていくのを見ていると、
木の枝から地上への目で追えば
短い桜の花びらの最後の旅の美しさがしみじみと心にしみて、
たしかに花びらが地に達し、
ひっそりと土に帰るその時、
花びらのかすかなため息のような声が聞こえてくるように思える。 (寂聴)
○桜は千年以上にわたって詩歌に歌われてきた。
桜に抱くイメージは百人百様である。
「願はくは花の下にて春死なむ」の西行や
「あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ」の三好達治、
さらには「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まってゐる!」の梶井基次郎。
さきの戦争を経験した世代には苦い悔恨(かいこん)があるはずだ。
桜は「国家」「軍国主義」の象徴として受けとめられた。
「花は桜木、人は武士」という言葉とともに
散華(さんげ)の精神と軍歌が重くのしかかってくる。(愼爾)
(『生と死の歳時記 美しく生きるためのヒント』
瀬戸内寂聴・齋藤愼爾 法研 平成11年)
『萬葉の花』より「やまぶき」を転記しますφ(..)
やまぶき――山吹・山振・夜麻夫伎 やまぶき・ばら科
山吹の茂み飛び潜(く)く鶯の声を聞くらむ君はともしも 17巻3971
山吹は日に日に咲きぬ愛(うるは)し我(あ)が念(も)ふ君はしくしく念ほゆ 17巻3974
山吹の花とり持ちてつれもなく離(か)れにし妹を偲(しの)ひつるかも 19巻4184
集中 やまぶき とみえる歌17首
(『萬葉の花』松田修文・大西邦彦写真 芸艸堂 昭和58年)
春になると山吹が咲き、鶯も飛んでくる。
第一の歌は、それを歌っているもので、山吹の茂っている中を、
飛び潜って鳴く鶯の声を聞くであろうあなたを
羨ましく思いますという歌であるが、
これは病気で寝ている人が友に贈った歌であろう。
私達はこういう歌の情緒に多く春を感ずるのである。
第二の歌は、これとは反対に、
山吹の花に対して病友を思っている歌で、
山吹の花は毎日毎日美しく咲いている。
私が恋しく思うあなたのことは、この花の毎日咲くように、
頻(しき)りに恋しく恋しく思われると
やさしい感情が溢れている歌である。
第三の歌は、山吹の花を手折って手に取り持ってそれを見るにつけ、
山吹の花のようなあなたを思い出して、
別れて行ったあなたが懐かしく思われるといった意味である。
いずれにしても万葉の山吹の歌はみなやさしい歌ばかりである。
それは山吹の姿がたおやかだからであろう。
このヤマブキは日本の特産品で、
単弁の花は結実するがヤエヤマブキは結実しない。
当時はこのヤエヤマブキも知られていたことが
「花咲きて実はならねども長き日に念(おも)ほゆるかも山振(やまぶき)の花」(10巻1860)
の歌で知られる。
山吹はこのようにして上代から日本人に愛された花で、
春雨に匂う姿もよく、また
「むせびつつたぎち落ちくる水迅し若葉の谷は山吹の花」(太田水穂)
といった谷そばの山吹の花も興が深い。
(『萬葉の花』松田修文・大西邦彦写真 芸艸堂 昭和58年)
コゲラが害虫を見つけてくれましたp(^^)q
今朝の父の一枚です。
母が好きだったオーストラリアチャンチン
去年の台風でほとんど倒れてしまった。
今までの木が倒れて日差しが届いたおかげで芽が出たのかな?