2019年4月12日金曜日

桜も散り出して…

昨日の風で桜の花がだいぶ散っていました。
公園では、リンゴの花も咲きだしています。
今朝のEテレ0655
『なんとなくちょっとハッピーステップ』♪を聞いていて
なんか目がかすんでしまったのは歳のせいかな(^^ゞ
久しぶりにキビタキに出会えました。

 5月上旬の新緑の季節に最も似つかわしいと思われる鳥がキビタキです。
黄色と黒の配色が目立つ小鳥で、
特に正面から見た時の鮮やかな黄色が印象に残ります。
 キビタキは、フィリピンなど東南アジアの越冬地から
繁殖のために九州以北の日本列島に渡ってくる夏鳥で、
だいたい5月の訪れと前後してこの鳥が到着する地域が多いようです。
南西諸島を含む全国を繁殖分布とし、
落葉広葉樹などの明るい林を好みます。
5月上旬は、そういう林でちょうど木々が瑞々(みずみず)しく芽吹く時期ですから、
新緑とともにキビタキが訪れるという印象が強いのです。
(『日本野鳥歳時記』大橋弘一 ナツメ社 2015年)
エナガがいっぱいくわえている、子育て中かな?
子育てをしながら害虫を退治してくれていますp(^^)q
 エナガは、漢字では「柄長」と書きます。
極端に長い尾をもつ体形を、柄の長い柄杓に例えた命名です。
事実、全長14㎝のうち尾長は7~8㎝もあり、体の半分ほどが尾です。
鳥の場合、尾があまり長いとサンコウチョウのように湾曲した尾になりがちですが、
エナガの尾はピンとまっすぐに伸びており、
さらに胴体が丸く小さいため全体の印象はまさに柄杓そのものです。
江戸時代には「えながひしゃく」「をながひしゃく」などとも呼ばれていました。
(『庭で楽しむ野鳥の本』大橋弘一 山と渓谷社 2007年)
何年振りかでオオルリに出会えました。
母と歩いていた時に高い木の上にいるのを見て以来です。
オスのあで姿と美声のもてはやされるオオルリは、
実はメスも美声の持ち主なのだ。
たとえば、ヒナの食事を持ち帰ったメスが巣の近くに敵を発見すると、
まるでオスのようにさえずり始めるのである。
枝にじっととまって朗々と鳴いているが、うれしいはずはないから、
きっと気が気でない警戒の叫びなのだろう。
その顔色が私たちには読めないだけなのだ。
ヒナが巣立ってからも、近くに危険を感じるとこのさえずりをする。
さえずり続けている母親は、巣やヒナに近づかないから、
私たちがこの声を鑑賞しているということは、
子育ての邪魔をしているということだ。
もし不用意に近づいてしまい、メスがさえずりを始めたら、
彼女が鳴きやむところまで移動しよう。
いつも自慢ののどをを震わせているオスは、
メスが必死にさえずっているときはあまり目立たず、
まるでいくじがないように見える。
(『鳥のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)
『日めくり万葉集』の巻頭に檀ふみさんが
エッセーを連載していました。
その中から「馬酔木の皇女」を転記しますφ(..)
  万葉集はじめまして 檀ふみ 第四回◇馬酔木の皇女◇

 私には出来の悪~い甥が一人いる。
何年か前に、高校生だったその甥の家庭教師をしていた。
はじめは英語だけ教えていたのだが、
そのうち、試験直前になると、日本史も国語も、
数学の面倒までみるハメにおちいった。
もちろん、古文も手伝った。
(『NHK日めくり万葉集vol.4』中村勝行編 講談社 2009年)
  家(いへ)にあれば笥(け)に盛(も)る飯(いひ)
  草枕旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

「草枕」って、アンタ知ってる?
「旅」にかかる枕詞だよ。
むかしは旅をすると、野宿したわけでしょ。
草が枕になったわけ、分かる?
「笥」っていうのは、ま、お皿のこと。
ここは旅先でお皿がないから、
椎の葉っぱをお皿のかわりに使っているよっていう歌。
 甥のまぶたがいまにも落ちそうになったので、
必死で、甥の頭にとどまりそうなエピソードを探す。
 この歌を詠んだ有間皇子ってね、
謀反をたくらんだって嫌疑をかけられて、
あんたと同じくらいの年頃で処刑されちゃったんだよ。
これはただの旅じゃないの。
自分は死ななきゃならないかもしれない。
ついこの間まで、家にいて、立派なお皿でご飯を食べていたのに。
何もかもが変わってしまったという、悲しい歌なの!
参考書を片手に説明していたら、
有間皇子の、不安と悲しみと覚悟のようなものがソクソクと迫ってきた。
悲劇の皇子に比べて、
ニキビつぶしにかまけている現代の少年の、なんと平和なこと。
情けないこと!
 甥の頭には、たぶんなにひとつ残らなかっただろうが、
おかげで、叔母はちょっと利口になった。
大らかな歌風とはうらはらに、万葉の時代は、
ひとつ間違えば命さえ奪われかねない、怖い時代でもあったのだ。
  有間皇子だけではない。
 大津皇子も、また悲劇の皇子である。
 文武両道の上に、ハンサムで人望があった皇子は、
その人望ゆえに、我が子(草壁皇子)の即位の邪魔になると、
持統天皇に恐れられ、陥れられて処刑されてしまった。
  男勝りの持統天皇はともかくとして、
男のかげで女が力なく泣くのは、どの時代でも同じである。
幼くして母親を失った大伯皇女(おおくのひめみこ)にとって、
大津皇子は、両親を同じくする、たった一人の弟。
その弟を思って詠んだ歌は、どれも哀切で、心打たれる。
  十三歳で伊勢の斎宮となった大伯皇女が、
父親(天武天皇)の死によって任を解かれたのは、
二十代の後半である。
神さまにお仕えする間は、もちろん清らかな身でなくてはならない。
恋人など言語道断。
  その歌が、まるで恋歌のように響くのは、大伯皇女にとって、
大津皇子はたった一人の頼れる身内であると同時に、
たった一人の頼れる男性であったからかもしれない。
 しかし、都へ帰ってきたときには、
弟もすでにこの世の人ではなかった。
 若くして死ななければならなかったのは確かに悲劇だが、
大津皇子はみんなから愛された。恋もした。
短いが存分に生きた。
むしろ、愛する人もなしに、
その後の人生を生きなければならなかった大伯皇女の孤独を、
私は思う。
  磯(いそ)の上(うへ)に生(お)ふる
  馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど
  見すべき君がありといはなくに

 昨春、奈良の万葉文化館を訪ねたら、
庭に馬酔木の花が揺れて、覚えたばかりのこの歌を思い出した。
 馬酔木は決して派手な花ではない。
洋花に毒された現代人の目では、
道端に咲いていて、うっかり見過ごしてしまいそうである。
だが、小さな白い花がうつむき加減にたくさん垂れ下がっている姿は、
静かで優しく辛抱強く、大伯皇女その人のようにも感じられた。
「馬酔木は、あんまり磯の上に生えるもんじゃないらしんですよね」
 と、「日めくり」の先生がおっしゃった。
「過酷な状況でも、こんなふうにたくましく生きている馬酔木を、
 あなたに見せたかった……そんな解釈もあるんです」
あなたも、もっと賢く、たくましく立ち回って、
生き抜いてほしかったのに。
そんな心なのだろうか。
「つらいけど、寂しいけど、
 私もこの馬酔木のように頑張って生きていきますよ」
という、大伯皇女のメッセージも入っていてほしいと、
私はこっそり思っているのだけれど。
(『NHK日めくり万葉集vol.4』中村勝行編 講談社 2009年)

檀ふみに突然の電話「陛下と一緒に散歩を」”(AERAdot.)

一つの歌をいろんな方の解説を読んでいると
新しい発見があって面白いです。
本を読む楽しさは、違った見方考え方に出会えることだと思います。
明日は、血液検査、日曜日は雨みたい、月曜日は循環器科の受診と
ブログの更新を休むかもしれません…