昨日は、父の歯科の通院で運転手をしていました。
今朝の公園でのおなじみさんとの挨拶は
「暑いですね…、ついこの間まで寒さで震えていたのに…」
藤の花が咲きだしてクマバチも飛び出しました(*´▽`*)
「クマバチとフジの花の関係(共生)」(動画)
わたし的にはクマバチはかわいいと思うのですが(^_-)
それは、こんなに大きな蜂だけど
雄には針がないということを知っているからかな?
かわいいと感じるには安心感も必要だそうです。
又吉直樹のヘウレーカ!「“かわいい”ってどういうこと?」
シジュウカラが子育て中のようです。
中学校2年生の教科書に短歌への導きが書かれています。
各教科書を読み比べると面白いですし
同じ歌でも筆者によって解釈の仕方が違っていてなるほどと思います。
今日は、馬場あき子さんの「新しい短歌のために」を転記しますφ(..)
新しい短歌のために 馬場あき子
短歌は、およそ千三百年もの昔から人々に愛され続けてきた日本独特の詩の形です。
それは五・七・五・七・七というリズミカルな音数をもつ三十一音を基本としています。
(『中学校 国語 2年』光村図書 平成28年版)
例えばこんな歌を読んでみましょう。
くれないゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる 正岡子規
この歌は、「くれなゐ」「二尺伸びたる」「薔薇の芽の」「針やはらかに」「春雨のふる」という五つのまとまった言葉からできていて、
まさに五・七・五・七・七の定型をきちんと踏まえて歌っています。
歌の内容も、紅の色を帯びた薔薇の芽が一気に伸びたところに季節の元気を感じさせます。
それを「二尺」(60.6センチメートル)という数詞でありありと見せた確かさや、
春雨にぬれている薔薇のとげを「針やはらか」と表現した感覚の優しさなどが総合的に、
気温の緩んだ雨の日の雰囲気ある情景を感受させます。
私はこうした短歌による表現が好きで、
先人の歌をいろいろと読んでいるうち、
いつしか自分でも歌を作るようになりました。
好きな与謝野晶子の歌から一首挙げてみましょう。
なにとなく君に待たるるここちして出(い)でし花野の夕月夜かな 与謝野晶子
晶子は、うら若い恋の感情を歌っています。
切実なものというより、ほのかな気分が中心になっています。
「なにとなく」という言葉にただよう確信がもてない気分や、
「待たるるここち」という現実感に遠い思いを雰囲気としてもっているのが、
「花野の夕月夜」なのです。
「花野」は秋草の咲いている野です。
すすきや萩(はぎ)や吾木香(われもこう)や野菊などの交じり咲く野は、
それだけで詩があるような場面ですが、
さらに空にはあわい夕月が懸かっています。
少し場面がそろっていすぎるように思うかもしれませんが、
自然の中に身を置いたロマンティックな情緒に、
これからひらけていく恋を想(おも)う心が動いています。
ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾(われ)は食ひをはりけり 斎藤茂吉
茂吉が惜しみつつ食べた「白桃」は、
ふつう「はくとう」といわれている桃です。
産毛(うぶげ)のような柔らかい毛に覆われた果実は、
白く淡紅色(たんこうしょく)を含み、甘く豊かな果汁を含んでいます。
その頃、多くは贈答に用いられる貴重種の桃でした。
「ただひとつ惜しみて置きし」と率直に言っているところに、
実感がにじみます。
「しろもも」とあえて読ませているのも、
茂吉の愛着の深さがみえ、
桃は桃以上の大切なもののような感じがしてきます。
しかし、結局は果物ですから、
それは食べるほかないのでしょう。
そこで「吾は」と自己を強調し、
「食ひをはりけり」と綿密に表現することによって、
白桃への愛惜感が伝わり、白桃の容(かたち)や色合いや、
みずみずしい柔らかな手触りまで想像させてくれるのです。
ところで、今日の短歌はどのように歌われているのでしょうか。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽(むぎわらぼう)のわれは両手をひろげていたり 寺山修司
この歌を読むと、「海を知らぬ少女」という言葉からは、
海に遠い地域に住む少女の素朴さやあどけなさが想像されますが、
その前に立ちはだかっている少年は、海の広さ大きさを伝えようと、
精いっぱい両手を広げて立っています。
少年は「麦藁帽」をかぶっています。
ぎらぎらとした夏の太陽が照っていたでしょう。
近くにはとうもろこしの畑があったり、
トマトや茄子(なす)が植えられていたりしたかもしれません。
歌はこうした風景や風土まで想像させます。
寺山は、この歌を文語で歌いました。
口語とは違う引きしまったリズムによって強い感動が伝わります。
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ 俵万智
ここに歌われた思い出は、遠いものではなく、
まだ体温も感じられるほど温かなものです。
麦わら帽子にある一つのへこみ、それはたぶん、
夏いちばんの思い出、いや夏の一切を思い出させてくれる大切なものなのでしょう。
帽子のへこみに寄せる思いにほのぼのとした美しさがあります。
そしてこの歌の柔らかな語感や親しみ深さは、
口語の力によるところが大きいでしょう。
このように短歌は、その歴史の中で新しい時代の言葉を次々に消化し、
日本語を磨きあげてきました。
そして、短歌は今も、若い世代による若い言葉を待っているのです。
出典 本書のための書きおろし。
(『中学校 国語 2年』光村図書 平成28年版)