坂本史衣さんが4月30日に呟いておられたのが
ゴールデン(じゃない)ウィークの成績表が出るのは5月下旬。
潜伏期間などを考えると、5月下旬なんだろうな…
タイサンボクは、出番を待ちかねているみたい(*´▽`*)
「新型コロナ死者 英で2万9000人超 伊を上回り欧州最多」(NHK)に
「検査をもっと早い段階で拡充できていたら、よかっただろう」と述べ、これまでの検査の不備を認めました。
イギリスは、コロナ対策を誤りましたが、それを認めることができる。
日本の場合、統廃合により保健所の数が減らされ、職員も削減されている。
そのつけが、世界各国に比べて検査数の少なさに現れていると思います。
「大阪市の保健所は僅か一カ所 住民の健康は身近な行政でこそ守られる」(大阪府保険医協会)
〝「37度5分以上が4日以上」見直しへ PCR検査相談目安〟(NHK)
以前、夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んだ時は、気づかずに読み過ごしていた個所に
当時の疫病に関するエピソードが書かれていました。
その部分を転記しますφ(..)
参照したのは新書版の『漱石全集』(1956年)ですが、文庫本をリンク先にしています。
車屋の黒との会話で、漢字の旧字体を新字体にかえています。
ちつと景気を付けてやらうと思つて「然し鼠なら君に睨(にら)まれては百年目だらう。君は余り鼠を捕(と)るのが名人で鼠許(ばか)り食ふものだからそんなに肥つて色つやが善いのだらう」黒の御機嫌をとる為めの此質問は不思議にも反対の結果を呈出(ていしゅつ)した。
(『漱石全集 第一巻 吾輩は猫である 上』夏目漱石 岩波書店 1956年)
彼は喟然(きぜん)として大息(たいそく)していふ。
「考げえると詰らねえ。いくら稼いで鼠をとつたつて―― 一てえ人間程ふてえ奴は世の中に居ねえぜ。人のとつた鼠を皆(み)んな取り上げやがつて交番へ持つて行きあがる(*)。交番じや誰が捕つたか分からねえから其たんびに五銭宛(づゝ)くれるぢやねえか。うちの亭主なんか己(おれ)の御蔭でもう一円五十銭位儲(まう)けて居やがる癖に、碌なものを食はせた事もありやしねえ。おい人間てものあ体(てい)の善(い)い泥棒だぜ」
(「たんび」に脇点「、、、」)
さすが無学の黒も此位の理屈はわかると見えて頗る怒(おこ)つた容子で背中の毛を逆立(さかだ)てゝ居る。
吾輩は少々気味悪くなつたから善い加減に其場を胡麻化(ごまか)して家(うち)へ帰つた。
此時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。
(*)交番へ持つて行きあがる ペストなどの悪疫を媒介するものとして、鼠を捕ることを奨励し、交番でこれを買い上げたものである。
(『漱石全集 第一巻 吾輩は猫である 上』夏目漱石 岩波書店 1956年)
コレラの流行は、知っていたのですが、ペストも日本で流行していました。
『現代の感染症』より「ペスト脅威の再現」を転記しますφ(..)
5 動物や昆虫を介する感染症
2 ペスト脅威の再現
北里柴三郎がペスト菌を発見(1894年)してから、ほぼ100年が経過しました。
この菌は14世紀のヨーロッパの人口25%を殺して、「黒死病」と恐れられていました。
菌発見のちょうど100年後、1994年にインドで36年ぶりのペストの流行がありました。
二カ月たらずで約6000人の患者と約200人の死者を出したのです。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)
1855年頃に中国雲南省に端を発した世界的なペストの流行が終焉(しゅうえん)してからも、ペストは二十数カ国で散発的に風土病として残り、WHOの集計では、1979年以降の15年間に患者1万4386人、死者1535人を数えます。
さらに悪いことに、年々感染者数も死亡者数も増加傾向にあります。
わが国にペストが流行していた明治・大正時代には、世界のペスト病巣地として、ヒマラヤ山脈周辺、中国雲南省周辺、アラビアからカスピ海西北部、アフリカのウガンダ・ザイール周辺、中国東北部(満州・蒙古地方)の5地域が知られていました。
これらの地域ではペストは風土病でした。
その後の流行で、船倉のネズミから森林の齧歯(げっし)類(ネズミ、ウサギ、リスなど)に移行した、北米ロッキー山脈周辺、南米アンデス山脈周辺、アフリカのマダガスカル島が新しい病巣地になりました。
1960年代に旧南ベトナムでおきたペストの流行は、ベトナム戦争の惨禍によって、ネズミと人間との接触の機会がひろがった結果だともいわれています。
過去10年間にペストが流行した国は、これらのペスト病巣地をもつ国以外に、インド、ミャンマー(旧ビルマ)、ベトナム、カザフスタン、ケニア、ジンバブエ、ボツアナ、ブラジル、ボリビアの9カ国です。
ペスト菌はネズミが直接媒介するのではありません。
ペストは元来ネズミの伝染性疾患でした。
ネズミにノミが寄生し、このノミ、とくにケオプスネズミノミがペスト菌を媒介するのです。
ペスト保菌ネズミが敗血症で死に、死骸の体温が下がると、ノミはいっせいに死骸から離れ、新たなネズミをもとめます。
新たな宿主に出会わなかったノミは、本来寄生しないヒトをふくむ動物を吸血します。
感染ネズミを吸血していたノミの前胃と胃には、多量のペスト菌が増殖しており、このペスト保菌ノミの咬刺(こうし)によってヒトが感染するのです。
ペスト菌は病原細菌中でもっとも病原性の強い菌として知られ、100個以下の生菌の接種でも感受性動物を殺すことができます。
刺傷部から侵入した菌はリンパ節に腫脹(しゅちょう)・壊死をおこし、その場に膿瘍(のうよう)を形成し、徐々に全身のリンパ節を侵し、ついには脾、肝、肺に転移して出血性の敗血症をおこします(敗血症ペスト)。
日本は四方を海で囲まれ、また厳重な検疫制度をもっています。
海外から入港した船のネズミが原因であった明治・大正時代のペスト流行は27年間もつづき、患者2905人、死者2423人を数えました。
この流行では、死亡率は腺ペストで78.5%、敗血症ペストでは99.2%、肺ペストでは94.9%と記録されています。
しかし、徹底的なネズミ捕獲作戦をおこなったため、最後の患者が出てから4年後の1930年を最後に、保菌ネズミは一掃されました。
日本では、その後ペストの流行は見られず、忘れられた存在になりつつあります。
しかし、世界ではまだ多くのペストの病巣地があり、そこではヒトでの大流行にいたらなくとも、散発的に患者発生が見られ、かつその数が増加傾向にあります。
さらに、世界的レベルからみれば、ペスト保菌ネズミの分布が徐々に拡大してきているのです。
ペスト病巣地が拡大し、齧歯類間での流行をくりかえすうちに、抵抗性のある保菌動物が出現し、菌をばらまきつづける自然宿主になるかもしれません。
また、ヒトでの感染においても、いずれ薬剤耐性菌もあらわれるでしょう。
近年の交通手段の発達にともない、気軽に外国に行けるようになってきました。
明日にでも、ペストが日本に入ってきてもおかしくない現状なのです。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)
『吾輩は猫である』で交番に持っていかれた鼠。
その時に焼かれた鼠の塚があるそうです。
医療史跡「鼠塚」(日本アイソトープ協会)
『現代の感染症』は1997年に出版された本です。
現在のペストの流行地などについては
「ペスト Plague」(厚生労働省検疫所)