「べんきょう運 アップ!」
勉強もテストがなければ楽しい(*´▽`*)
ちなみにたなくじは「腕時計をしてでかけると吉」でした。
リハビリ散歩の時は、いつも腕時計をしています(^^)v
郵便受けを見た時は、給付の申請書がもう届いたのかと思ったけど
軽自動車税の納付書でした。
てくてく歩いて、コンビニで送金しました。
納税は、国民の義務。
給付金は、納税したお金を返してもらうのですから遠慮することはない。
財務大臣は、まるで恵んでやるといった口調ですが、
無駄遣いをする国から取り返すだけです。
今朝、雨は止んでくれたのですが、風が強く、まだ降りそうだったので
自転車だと無理があるなと、いつもの公園でのリハビリを諦めました。
コンビニで送金した後、ちょっと歩くことに。
重たいカメラはでなく、街歩き用のコンデジでメモをとることにしました。
「4級基準点 大阪市建設局」
基準点
パッと見は境界標と同じように見えるがxy座標を持ち、測量の基準となる点。
境界標もこの基準点から算出して設置される。
いわば、境界標の親ともいえる。
(『街角図鑑』三土たつお編著 実業之日本社 2016年)
地蔵様を拝ませていただきました。
なんか、割れたのかな?
供花が新しかったから地元の人たちに大事にされているのだろうな(^-^)
河川敷に出ると風が強かったです。
途中でパラパラと雨が降ってきたけど、しばらくすると止んでくれました。
河川敷の駐車場も利用を停止されていました。
城北わんど 「わんど」とは
明治時代、淀川は土砂で川底が浅くなり、舟運に支障をきたすほどになっていました。
政府はオランダから技師のヨハネス・デ・レーケらを招きます。
デ・レーケは、ケレップ水制といわれるT字型の水制を設置し、川の流れを中央に集め、船が航行できる水深を維持しました。
この水制に囲まれた所にやがて土砂がたまり、その上に水際を好む木や草が生え、「わんど」となりました。
わんどは水の流れがあまりないため、池などに住む魚たちに暮らしやすく、水辺の植物が生えているところは魚の産卵や仔稚魚が暮らす絶好の場所となったのです。
現在、わんどは様々な生物のすみかとなっています。
天然記念物のイタセンパラは、淀川でわんど周辺でしか見ることができません。
(「淀川ガイドマップ『淀川かわあるき』改訂版」淀川ガイドブック編集委員会 廣済堂出版 2008年)
みんなでまもろう! イタセンパラ
とらない 売らない
買わない(飼わない)
みんなで見まもって、違法な捕獲、販売や飼育を見つけたら、
以下の機関もしくは警察(110番)に連絡してください。
イタセンパラは天然記念物です。
文化財保護法にも違反します。
絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律
■販売又は頒布目的での「陳列」又は「広告」
(個人)1年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金
(法人)2,000万円以下の罰金
■違法な捕獲、販売等(買った人、もらった人も)
(個人)5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金
(法人)1億円以下の罰金
【城北わんどイタセンパラ協議会】
環境省 近畿地方環境事務所 野生生物課(Tel.06-4792-0706)
大阪府 環境農林水産部 みどり企画課 (Tel.06-6210-9557)
大阪府 教育庁 文化財保護課 (Tel.06-6941-0351)
「『イタセンパラ』を区の魚に制定します!」(旭区)
母校まで歩いてきました。
高校時代、本屋さんで欲しい本を見つけ、
ポケットにお金があって買ったら…
バスの定期代(810円?)でした(^-^;
母に言えず、一か月、往復2時間以上歩いて通学しました…
毛馬の排水機場と淀川大堰(おおぜき)
台風による高潮に備えて防潮水門を閉鎖すると、河川からの流失や市街地からの排水によって河道の水位が上昇し、浸水氾濫が起こる恐れがあります。
そこで、内水を排除する施設として毛馬排水機場が建設されました。
この排水機場のポンプ能力は、甲子園球場なら約30分で満杯にすることができます。
この施設は、寝屋川流域の洪水対策としての機能も併せもっています。
また昭和58年(1983)に完成させた淀川大堰は、主ゲートは4門、調節ゲートは2門、階段式魚道は左右に2門あります。
毛馬閘門(こうもん)は淀川―大川間の水位を調節し、船の運航を可能にする事を目的としています。
明治43年(1910)に完成した新淀川開削工事とともに、オランダ人技師デ・レーケの考えのもと当時の最先端技術を駆使して毛馬閘門と毛馬洗堰を設置しました。
この設計は工事約100年後の今も日本における近代治水工事のさきがけと語り継がれています。
昭和51年(1976)に現在の閘門が設置されましたが、廃止された旧洗堰と閘門の一部は淀川改修紀功碑のある日蘭交流広場に保存され、間近に見ることができます。
(「淀川ガイドマップ『淀川かわあるき』改訂版」淀川ガイドブック編集委員会 廣済堂出版 2008年)
対岸に見えるのは淀川キリスト教病院。
ホームページを見ると【分娩先をお探しの方へのお知らせ】とありました。
大阪市立十三市民病院がコロナ中等患者の専門病院になったことや
帰郷しての出産が出来なくなった方が多いと思います。
「十三市民病院の一般患者転院退院」(関西 NHK)
新しい校舎の中に3年生の時に学んだ古い校舎が残っています(*´▽`*)母校の見学を終えて帰路につきましたp(^^)q
青い鉄橋は、都島区毛馬5丁目59番地先(左岸)から、
東淀川区柴島3丁目11番地先(右岸)までの上水道だそうです。
高校時代は、赤川仮橋だったけど
おおさか東線 淀川橋梁
旭区赤川4丁目地先(左岸11.4k~50m)
東淀川区東淡路町1丁目地先(右岸11.4k~50m)
千人塚由来記
日本未曽有の大敗戦の昭和20年6月7日残存する大阪を壊滅せる大空襲により戦災死者数万人中、身元不詳の千数百の遺体を此処に集め疎開家屋の廃材を以って荼毘に付す
鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)たる黒煙天に柱し、三日三晩に及ぶ悉く市民の奉仕協力による
遺骨は其侭土中にして此処に葬る
訴うるに声無き無辜の国民の痛恨の空しく土に埋れ草に掩れて世に忘れ去られんを憂いて
巷間の義人東浦栄二郎氏庭石に唯千人つかと刻して此処に置く
進駐軍治下と近畿地建の管理地なるを以ってなり
爾来三十有星霜香華絶ゆる事なきも世人この塚の謂れを知らず
茲に其の由来を刻し、この地下に眠る無辜無縁の霊位の冥福を祈り
国家安泰と軍官専横苛政による国民塗炭の痛困と犠牲の再現を永く阻止し
世界人類の和平を祈願する日本国民の総意を世に問うものなり
1980年5月5日 後世正亮記
平太渡し
平太渡しは延宝4年(1676)頃、東淀川区豊里町と旭区豊里町を結ぶ個人経営の渡し船として発足、明治40年府の個人経営許可がきれたのを境に公営となった。
大正14年の市域拡張で大阪市営となったが請負制度により行われた。
大正8年に道路法が施行され平太渡しは、東淀川区(386号)というレッキとした認定道路となった。
明治40年頃大人二銭小人一銭也の「渡し銭」は、この時から無料、当時は船頭が竿と櫓で上流へ漕ぎ上り距離と流れを見計らってうまく対岸へつけたという。
昭和22年に職業安定法が施行され23年4月から市の直営となったが、その後周辺部の市街化で利用者が激増片道20分もかかる20人乗りの手漕船ではラッシュの時は積み残し、風雨の時は欠航となった。
そこで35年10月には21人乗りの発動機船、38年12月には36人乗りの新造船を就航させ1日に3千人の乗客と670台の自転車を運んだ。
昭和45年3月3日豊里大橋開通と共に淀川に残る唯一の渡船場平太渡しはその姿を消した。
淀川百年記念の事業として淀川と史跡をしのぶ為、石は近畿管内の十津川産の自然石に選作文字をきざみ標柱としました。
「『平太』と『今市』の渡し」(旭区)
大阪市のマンホール。
「サクラと水流と大阪城」のデザイン。
他にもいろいろなあるそうですよ(^^)v
「まるでアート! 大阪の道路を彩るデザインマンホール」(Osaka Metro)
こちらは、何かなと思って見ると蛇口から水が勢いよく飛び出している図案
最初の方で紹介した『街角図鑑』は、町歩きを楽しくさせてくれます。
ただ1カ所「京都の大文字焼き」(P76)と書かれていました。
東京の人が書いたのかな?京都の人は怒るだろうな(^_-)-☆
商店街の薬局以外でマスクを見つけました。
50枚で3800円と高かったし、中国製だけど購入しました。
品質は信用できないので、現在のマスクがなくなったら使うことにします。
「店頭のマスクはどこから?」(関西 NHK)
6月までには、安価なマスクが出回ると思うけど。
ただ、中国で第二波が襲ったら、再び、中国政府がマスクの輸出を止めると思う。
「中国で5連休始まる 70%近くの観光地再開も警戒 新型コロナ」(NHK)
「山梨の実家に帰省の女性 感染確認後 高速バスで東京に戻る」(NHK)
COVID-19 は、賢いウイルスで、愚かな行動で感染を広げる。
父が伯母の三回忌に田舎に帰ろうとしていたのを
田舎に帰る途中の電車や飛行機で感染して、
感染が広がったら伯母の家族は、
その地域で住んでられなくなるよと注意しました。
山梨の女性の実家はどうなっているのか心配です。
追記)
「ひとり親の家庭に弁当 提供」(関西 NHK)
このように人の痛みを感じて出来ることをしようとしている人もいる。
こんばんは~
返信削除こちらも朝方にパラっと雨が降りました。
街角散歩されたのですね。
距離的な事はあまり想像できませんが、相当歩かれたご様子。
今日は暑いくらいだったのではありませんか?
お気を付けください。(^-^;
>ただ1カ所「京都の大文字焼き」
「五山の送り火」でしょうか?
以前には、「大文字焼き」って言ってたような気がしています。
大文字焼きでは、京名物「お饅頭」のようでしょうか(^-^;
>マスクを見つけました。
こちらでもよく似たマスクが地元の小さな食料品店で売られていました。
一箱50枚入り、3300円でした。
そろそろ出回っているようですね。
一日でも早く、マスクしなくて外出できる日が来ることを願いいます。
カイさんこんにちは(^^)/
削除本当は、半分くらいで引き返すつもりでしたが、ついつい歩いてしまいました(^-^;
家についたらシャツが汗でびっしょりでした。
若草山は1月に実施するので「山焼き」
大文字はお盆の最後にするので「送り火」なんですね。
私も知らずに「大文字焼き」と言っていたことがあります
上賀茂神社の「焼き餅」を思い出してしまっていた(^^ゞ
NHKニュースを知ってから近所でないかなと思っていたら
やはり薬局以外で売っていました。
箱に書かれている輸入元などを調べると日用雑貨等を扱っているけど
衛生用品はホームページ載っていませんでした。
ですから、薬局などで扱えるほど、良質な品質ではないと思います。
今、残っているマスクがなくなった時に
薬局でマスクが販売されていなかったら使うかな?
アベノマスクでない布マスクがあるのでそっちを使うかな?
>一日でも早く、マスクしなくて外出できる日が来ることを願いいます。
妹もこれから暑くなってくるのに、マスクをしないで外出できるようになってほしいと言っています。