2020年5月19日火曜日

霧のような雨が降っていました。

雨が止んだかなと思って出かけると
霧雨のようにもやっとしていました。
傘をささなくても歩けたのですが、カメラが濡れると困る(カメラもレンズも古い~)。
帰る頃に日も差してきて蒸っとした暑さになった。
今週は、梅雨のような天気が続くのかな…
梅雨と言えばアジサイの花が開き出していました(^-^)
スズメバチが木をかじっているようでした。
巣作りの材料集めかな?

スズメバチの巣作り」(小学3年 動画)
メイプルさんのTwitter

私の父、朝から晩までマスクつけて一軒一軒配達してる。
父は先月配達先でファブリーズをかけられ、昨日ついに両耳の後ろが被れて血を流して帰ってきた。
すごく痛がってた。
父以外にも同業者で同じ被害をしてる人がいる。
父の代わりに言うよ。
配達者を菌扱いするなら荷物を頼むな。

#涙の配達員

コロナウイルスでなくココロウイルスを発症している人がいる。
傷害罪になると思うな!
会社は、従業員を守るために被害届を出すべきです!
Eテレ「セサミストリート エルモのおうちで遊ぼう」(5月17日放送)
の最後の方で(抜粋)、

アビー
今、おうちにいられないママやパパもいっぱいいるんだよ。
ジュリアのパパとか。救命士なの。

パパ 命を助けるために、病院につくまでお世話をする人だよ。

アビー
じゃあ、わたしたちのヒーローだね!
お医者さんも、看護師さんも、おまわりさんも、消防士さんも!

エルモ
あっあっ、ほかにもみんなのために働いている人がいるよ。
ゴミを集める人。
スーパーでお仕事してる人もそう。
それからそれから 郵便屋さんもね。

パパ
たくさんの人がぼくたちを支えてくれてるんだよ。
感謝をしなくちゃね。

アビー
ねえ、その人たちを応援しない?
イエ~イって言うの!

みんなもいっしょに!
(3人で)イエ~イ!

見逃し配信が5月24日(日) 午後7:24 まであります。
5月19日
 食糧メーデーが開催された。 1946(昭和21)年
 
 敗戦後、都会は深刻な食糧難におそわれた。
ほとんどの東京都民は芋づるなどをまぜた雑炊(ぞうすい)や、すいとんを食べて、かろうじて命をつないでいた。
6月までに東京・横浜で餓死した者は1300人に達した。
 この日、飯米を要求して25万人の都民が皇居前広場に集まった。
デモ隊は天皇に「米をよこせ」と要求したのである。
「朕(ちん)はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」というプラカードを掲げてデモに参加した松島松太郎(まつしままつたろう)は、不敬罪の容疑で逮捕された。
 連合軍最高司令官マッカーサーは、翌日、暴民によるデモは占領政策をおびやかすと声明したが、「不敬罪」は翌年の新憲法で廃止された。
 松島は起訴されたが、結局は免訴になった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

食糧難突破に起ち上る民衆」(NHKアーカイブス)
目撃!にっぽん「番地のなかった街で 在日コリアン2世“最後の語り”
を見ていると、差別の中で生きてきた人たちの苦しみや逞しさを知ることができます。
ヘイトスピーチをする人たちが「帰れ」って言っているけど
その人たちのルーツの多くも人類学からすると中国や朝鮮から渡ってきた人たち。
差別感情を持つ人たちは、唐などに朝鮮を追われた人たちが、
怨みをDNAに組み込まれているのではないかと思ってしまう。
見逃し配信は5月24日(日) 午前6:44まで

五木寛之さんと沖浦和光さんの対談『辺界の耀き』より
先住民族と「日本人」形成史論」を2回に分けて転記しますφ(..)
Ⅴ 日本文化深層を掘り起こす
  先住民族と「日本人」形成史論

沖浦和光
 五木さんは先日の新聞のインタビューで、土蜘蛛(つちぐも)・国栖(くず)や熊襲(くまそ)・隼人(はやと)、それから蝦夷(えみし)――つまり、日本列島の先住民の歴史ですね。
このような問題にまで深く踏みこんだ日本論、日本人論でなければならいと言ってられましたが、そのへんの問題意識をちょっと敷衍(ふえん)していただきたいですね。
(『辺界の耀き 日本文化の深層をゆく』五木寛之・沖浦和光 岩波書店 2002年)
五木寛之 たしか1973年でしたか、南米のチリで、民主的選挙で成立した社会主義のアジェンデ政権、これはラテン・アメリカではじめての左翼政権でしたが、軍事クーデターでひっくり返されましたね。
それでピノチェットの軍事的独裁がはじまりました。
ちょうどそのころ、ぼくはチリに何度か行ったんです。
宮殿に生々しい銃弾の跡があって、まだ戦車が街中を走っているような状態でしたけれども……。
沖浦 その光景が『戒厳令の夜』(新潮社)へ投影されているわけですね。
五木 はい。
そのとき連行されていく社会主義者や、弾圧するファシスト側の戦車や軍隊の行進を毎日のように見ました。
ところが、一方では、そういうものにまったく何の関心も持たずに、道端で坐りこんでいる人たちを見たんです。
インディオの人たちですね。
沖浦 ああ、先住民のインディオですね。
五木 考えてみると、アジェンデの側であろうと、ピノチェットの側であろうと、後からこの大陸にやってきた連中が、仲間内で勝手に喧嘩しているようなものなんじゃないですか。
インディオの人たちにとっては……。
沖浦 彼らからすれば、いずれにせよインベーダーの内紛ですよね。
五木 「おれたちは関係ない」と、そういう感じですね。
戒厳令下のチリで、内乱騒動を冷やかに見ているインディオの人たちの目付きを見て、ああ、そうなんだなと、やっと事の本質を理解できました。
 そういう先住民族の土地を奪い、文化を奪った上で、やってきた人たちが片やファシスト、片や社会主義者で喧嘩しあっても、先住の人びとの目から見ると、他所者(よそもの)同士の争いなんですね。
 この日本列島でインディオにあたるのは、蝦夷をはじめ土蜘蛛・国栖、それから隼人・熊襲、そのように呼ばれた人たちでしょう。
 そして彼らが「化外(けがい)の民」とされたんですね。
私は九州なものですから、いろんな形で熊襲が討たれる話ばかり読まされてきたんですが、討たれる側につい同情しちゃうんですよ(笑)。
それに、『古事記』を見ても『日本書紀』を見ても、実に騙(だま)し討ちというか、そういうものが多いですね。
沖浦 神武東征軍は、昼は先住民に酒を飲まして夜中に首を討つ。
熊野から上陸した東征軍がそうなんですが、そういう話があちこちに出てきます。
そして先住民系は「尾生(あ)る人」「賤しき奴」「伏(まつろ)わぬ人」と書かれています。
五木 古代の歴史というのは、CIAそこのけの謀略戦だったなと、ぼくは思うんですよ。
それに対して、非常にナイーブな先住民たちが、強力な軍隊に音もなくひねられていくというのを見ていまして、なんか義憤を感じましてね。
ついつい、そういう被征服者に肩入れする気配があるものですから。
沖浦 ぼくなんか、そういうところを読むと、すぐ頭に血がのぼります。
五木 おたがいに、海人と山人の血が流れていますからね(笑)。
沖浦 ぼくなんか、歳をとるにつれて、ますます海賊の血が濃くなってきました(笑)。
五木 ところで、このごろの日本人論は、そのような先住民論を踏まえて、日本人形成史論まで踏みこまなきゃ成り立たないと、沖浦さんはおっしゃってますけど。
沖浦 今日では、日本人が単一民族であると唱える研究者は、人類学・民族学・考古学などの学会では、誰ひとりいません。
すべて複合民族設ですね。
五木 それが学会の常識でしょう。
にもかかわらず、一般の日本人には、学問の世界での常識が、自分たちの常識になっていないですね。
現役のジャーナリストをひっくるめて、われわれの周りにいる人たちには、その学会の常識が常識として伝わっていないんですよ。
この断絶は、一体なんだろうと、つくづく思いますね。
沖浦 先ごろの「神の国」論にみられるように、戦前の教育を受けた世代を中心に、かつての天皇制ナショナリズムの影響がまだ根強く残っているんです。
その核心にあったのが、日本神国論であり、万世一系の天皇をいただく単一民族説でしょう。
そういう考えが、アジアの諸民族を蔑視し、「八紘一宇(はっこういちう)」のスローガンのもとでの侵略を肯定する根拠になっていた。
そのような思想の枠組(フレーム)を根本から解体するためには、文化・思想の面はもちろんですが、特に自然人類学が非常に重要だとぼくは前から言ってましてね。
五木 血液型で見るとか、DNAを調べるとかね。
いわゆる分子生物学的な手法。
沖浦 そうです。それが最近の主流になって、人類学はこの十数年で大きく進歩しました。
五木 沖浦さんは、日本の人類学のパイオニアとして鳥居龍蔵をたいへん評価されていますね。
沖浦 ええ、日本の人類学・民族学の父と呼ばれています。
アジア各地を歩いて、言語・文化、衣食住などの民俗を研究した最初の学者が、鳥居龍蔵です。
すごい学者ですね。
彼は小学校も満足にいけなかった。
それでもアジアのフィールドワークをはじめてやって、独力で日本民族形成史論を構築していいきました。
 それで、日本民族の源流は6系列という仮説を立てました。
かつて蝦夷と呼ばれたアイヌが先住民じゃないか。
それから熊襲・隼人と呼ばれた南方系海洋民ですね。
さらに中国大陸南部からやってきた倭人、この系譜が邪馬台国の源流です。
それから漢民族が朝鮮半島から楽浪郡、帯方郡と植民地を持っていましたから、北部の漢民族も入ってきている。
さらに北方からツングース系などの騎馬民族。
それらを整理すると大体6系列になる。
五木 その組み合わせというか、複雑に混血したのがいわゆる日本人である。
そういう結論ですか。
沖浦 細部はともかく、大筋で、鳥居の構想は的はずれではなかった。
今日では、縄文人の血を色濃く受け継いでいるとみられるのがアイヌ民族です。
その人たちとDNAからみてもいちばん近いのは、沖縄の諸島に先住していた人たちでることが、はっきりしてきました。
人類学や民族学をはじめ多くの専門家が討議して、その最新の研究をまとめたのが、2001年1月に国際日本文化研究センターの尾本恵市プロジェクトから出された『日本人と日本文化――その源流をさぐる』の第15号です。
これは必読です。
五木 沖縄の人たちとアイヌの人たちが非常に似ている。それは本当に感じますよ。
沖浦 今日では北と南に分れているのに、よく似ているのはなぜかという問題提起は前から出されていたわけです。
それがよやく分子生物学や人類遺伝学によって、非常に近似的であるという結論が出てきたんですね。
五木 そのように日本人が形成されていった過程の科学的分析を踏まえて、日本文化論も見直さなければならない時がきているような気がするんです。
沖浦 このごろの人類学者では、「日本人」という言葉を、あえて使わない人もいます。
五木 それでは、何と呼ぶんですか。
沖浦 「この列島の住民」と呼ぶ(笑)。
たとえばアメリカ人といった場合、あの多民族国家で、もともとのというか、「本当のアメリカ人は誰や」ということになる。
五木 なるほど。「ネイティブ・アメリカン」ですね。
沖浦 二、三万年前に、アジアの北の大陸から渡ってきたモンゴロイドが源流です。
それをコロンブスなどが間違ってインディアンと呼んだ。
当時はアメリカ大陸は地図に記載されていなかったから、インドと誤認したんですね。
 今は「ネイティブ」に統一されていますが、彼らが本来のアメリカ大陸の住民ですから、「アメリカ人」を正確に定義すれば、彼らを指すことになる。
先住民族から見れば、白人系統はみなインベーダーですよ。
そういう視点で言えば、本来の原日本人、つまりネイティブ・ジャパニーズは、まさにアイヌと沖縄の人たちという結論になる。
さっきおっしゃったように、それが一般市民社会では、まだよく知られていないんです。
五木 そのように考えていくと、歴史や文化を学ぶ前に、まず人類学や民族学を勉強しなければならない……。
そして、アイヌ文化や沖縄の文化についても、そのような新しい視点から見直していかねば。
沖浦 だからぼくは、大学で1年生対象の人権概論をやるときは、最初に日本民族形成史論をやるんです。
「日本人とは何か」、「日本文化はどのようにして生成されたか」。
まずここからスタートする。
(つづく…)
(『辺界の耀き 日本文化の深層をゆく』五木寛之・沖浦和光 岩波書店 2002年)

鳥居龍蔵について」(徳島県立鳥居龍蔵記念博物館)
今朝の父の一枚です(^^)v
霧のような細かい雨で、霞んで見えています。

19日明け方にかけて雨 南部では非常に激しい雨のおそれ」(えりの気象日記 5月18日)