風が冷たくて、ひんやりしていました。
シロツメクサを見るとぴょこんと飛びだしている…
級友が「お前は変わっているな」とよく言っていた
本人は、どこが変わっているのか分からない(^^ゞ
だからかな?ちょっと変わっているのを見つけると嬉しくなって写してしまう(*´▽`*)
「20日水曜日は長袖がおすすめ」(えりの気象日記 5月19日)
クローバーはヨーロッパや北アフリカを原産地とするマメ科の多年草。
和名のシロツメクサ(白詰草)は、江戸時代、オランダから送られてきたガラス器の詰め物として、この草を乾かしたものが使われていたことから。
明治初期以降は、栄養価の高い牧草として日本各地で栽培されるようになった。
だがその一部は逃げ出し、いまでは野原や空き地などに野生化している。
(『したたかな植物たち―あの手この手の大作戦【春夏篇】』
多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
昨日のサラメシに
「あの人が愛した昼メシ 純音楽家遠藤賢司(1947~2017)」
懐かしいな…
学生時代、遠藤賢司も出演したコンサートを聞きに行ったことがある。
それまでの出演者では、広い舞台に感じていたのに、
遠藤賢司が出てくると一気に舞台が狭く感じた。
「遠藤賢司 カレーライス」(YouTube)
カレーライス 遠藤賢司〔1972年2月1日〕
田中裕が、ポリドール・レコードに入社したのは1970年4月のことだった。
翌71年、同僚の金子章平ディレクターが遠藤賢司をポリドールにスカウトした。
当時、遠藤は吉田拓郎と並んで〝フォークのプリンス〟と呼ばれる有望な存在だった。
学生時代からうたい始め、各地のフォーク・コンサートに出演して、ロックのリズムに乗せて、抑圧された性的エネルギーをバネにして独自の歌をうたっていた。
「ほんとだよ」などのラブソングが多かったが、彼の歌はふつうのラブソングとは違って、まさに抑圧された若者の性的エネルギーを一気に爆発させるという感じだった。
彼の歌はフォーク・シーンの中で精彩を放っていた。
金子は語る。
「学生時代に六本木の自由劇場で初めて賢司のコンサートを見たんですが、びっくりしたというか、感じる歌でした。エロスがあって官能的で……感覚として存在しているというか、とにかくそれまでに聴いたことがないような歌でした。だから、自分でやりたいと思ったんです」
(『フォークが聴きたい 青春のマイ・ソング210曲』
富澤一誠 徳間書店 1999年)
遠藤のアルバム『満足できるかな』が完成し発売の運びとなった。
しかし、会社側のノリは極端に悪かった。
田中は述懐する。
「ポリドールにフォークの土壌がなかったですから、営業からそんなもん売れるわけがないだろうって言われて、初回プレスは二千枚からスタートでした」
初回プレスは通常五千枚だから、いかに期待されていなかったかがわかる。
だが、田中、金子は燃えていた。
フォークこそ新しい若者の音楽だと確信していたからだ。
「何が困ったかというと取り上げてくれるメディアがなかったこと。唯一ラジオの深夜放送がかけてくれたくらいかな……。それでもアルバムからシングル・カット下〝カレーライス〟(72年2月1日)は十万枚も売れた。コンサートで何十回とうたって事前のプロモーションができていたのと、三島由紀夫の割腹自殺のことをさりげなく扱っていたので、その話題性もあったと思う」(田中)
ハデさはなかったが遠藤がそこそこ売れたことで、フォークの土壌ができ、その後ポリドールから小椋佳、井上陽水が飛び出せる伏線となったことは特筆される。
(『フォークが聴きたい 青春のマイ・ソング210曲』
富澤一誠 徳間書店 1999年)
「誰かがお腹を切っちゃったって うーん とても痛いだろうね」♪
五木寛之さんと沖浦和光さんの対談
『辺界の耀き』の続きを転記しますφ(..)
この本に沖浦さんが2015年7月8日に亡くなられた時、
赤坂憲雄さんが朝日新聞に
「被差別民や民衆文化など研究 沖浦和光さんを悼む タブー怖れぬ名付けがたき存在」
という追悼文を寄稿されている切り抜きが挟まっていました。
それも続けて転記しますφ(..)
五木 なるほどね。文献でいろいろ日本論・日本文化論を論じる先んじて、まずわれわれ日本人とは何であるか、日本民族はどこから来たのかと……。
沖浦 そうです。それも全アジア的視圏でやる。
それを基調にして、学生に問いかける。
諸君が潜在的に持っているアジア諸民族に対する差別・蔑視の観念は、一体どこから生まれたのか。
何をもって、自分たちは彼らより上だと線引きをしているのか。
そういう間違った優越感は、どのようにしてつくられていったのか――そのように問いかけるのです。
五木 発想の根底におかれなければならない設問です。
その問題は、「アジアにおける日本」論を考える場合には、とても重要な問いかけだと思う。
(『辺界の耀き 日本文化の深層をゆく』五木寛之・沖浦和光 岩波書店 2002年)
沖浦 もう一つ注目しておかねばならないのは、江戸時代後期では、「穢多」身分を差別するときは、彼らの祖先は日本人でないと、異民族起源論で差別の必然性を説いていたんですね。
五木 そうか。それで、その場合の異民族とは具体的には……。
沖浦 中国大陸や朝鮮半島からの渡来系の子孫……。
もっと直接的には秀吉の朝鮮侵略の際の俘虜の末裔説ですね。
特に「穢多」は、万世一系の皇統天照大神を戴く大和民族とは異なる輩(やから)であると。
しかも、われわれ日本人と顔が似ているから、よけい始末が悪いと。
こういう不埒(ふらち)な論法で、先祖が異民族だから、彼らが差別を受けるのは当然だと説いたんです。
その代表的論者が、江戸後期の経済学者として知られる佐藤信淵(のぶひろ)です。
この説が明治以降も根強く残存してきたんですね。
その点で柳田國男が偉いのは、鳥居龍蔵や喜田貞吉を中心とした人類学や民族学会の会合へよく顔を出して勉強しているんですね。
とても学問の裾野が広い。
晩年の『故郷七十年』では、「日本民族が唯一であるとする説は有害な障害であると」断じています。
五木 アイヌがこの列島の先住民族であることはいろんな本でも読むんですが、民族学的には南西諸島の人たちも非常に近い系統なんですね。
沖縄の人たちがうたう唄にしても、そういう特徴がちゃんと流れていると思うんですよ。
アイヌの人たちと沖縄の人たちは、容貌もそうですが、宗教儀礼や音楽などの芸能にも、深いつながりを感じますよね、
沖浦 思想の根底にアニミズムが残っているのです。
大自然ととともに生きてきて、その自然の神々を敬う思想ですね。
これはだんだん文明化が進むにつれて、しだいに削ぎ落されてきましたけれど、日本列島の中では、いちばんいい意味のアニミズムが残っている。
シャーマン系のユタとかノロとか……。
有史以前では、神に近い存在として、シャーマンが政治権力者より上でしたからね。
(『辺界の耀き 日本文化の深層をゆく』五木寛之・沖浦和光 岩波書店 2002年)
被差別民や民衆文化など研究 沖浦和光さんを悼む
被差別民や漂泊民、民衆文化の研究で知られる民俗学者で、桃山学院大名誉教授の沖浦和光(かずてる)さんが8日、88歳で亡くなった。
親交のあった赤坂憲雄さんが悼む。
タブー怖れぬ名付けがたき存在 民俗学者 赤坂憲雄さん
また一人、大きな歴史家が逝った。
いや、この人は名付けがたき存在で、ほんとうは歴史家であったかどうかなど、わからないし、どうでもいいことだ。
そこに、この人のかけがえのない魅力が隠されている。
わたくしはたくさんの、たぶん百人は超える知の現場にいる人たちと対談をしてきた。
そのなかで、もっとも面白かった対談相手はだれか、と問われたら、ためらわず沖浦和光さんの名前を挙げる。
これほどに奇想天外な語り部はいなかった。
何しろ、こちらの言うことなど聞いていない。
くせ球しか返ってこない。
ところが、まったく唐突に、三十分も前にこちらが投げた問いかけにたいして、見えない豪速球が横っ面めがけて飛んでくる。
こんなに自在な、愉(たの)しい対談は体験したことがなかった。
まさしく、類(たぐ)い稀(まれ)なる語り部だった。
だからこの人の『「芸能と差別」の深層』(三國連太郎)、『辺界の耀き』(五木寛之)といった対談本は、どれも言葉が生き生きと躍っており、異彩を放つ。
野間宏との共著『日本の聖と賤』三部作などは、とりわけ記憶されるべき仕事である。
ここからあふれ出すように、被差別部落・漂泊民・海民などをめぐる民俗誌の掘り起こしへと向かい、それはしかも、アジア的フィールドの広がりのなかで展開されていった。
『インドネシアの寅さん』といった本があるのは、そのためである。
その意味でも、『竹の民俗誌』などは、沖浦さんの代表作というべきかもしれない。
これはすでに、日本文化の秘められた水脈や深層を探った著書として、新しい古典の一冊に数えられている。
竹という奇妙な植物を起点にして、列島の民俗文化史が読みほどかれてゆくが、南のアジアへと開かれてゆく、この人にしかなしえぬ魅力的な仕事である。
竹製の箕(み)という農具を作ることを生業とした、いわゆるサンカの源流についての議論も、ここから深められていった。
それにしても、沖浦和光という名付けがたき存在は、差別や排除にまつわる歴史や民俗をテーマとして選びつづけた。
対談のときにお聞きした、折口信夫についての評価が忘れられない。
民俗学者としての折口のはじまりの場所が、よく見えていた人ではなかったか。
この人はタブーに触れることを怖(おそ)れない。
その意味では、アブナイ思想の実践者でもあったことを忘れてはならない。
尊敬する歴史家に忠告されたことがある、あの人には近付かない方がいい、と。
それこそが魅力的だった。
この人亡きあと、アブナイ知の系譜は受け継がれてゆくのだろうか。 (寄稿)
本当は、今日はぼやくことなく終ろうと思っていたら、
岩田健太郎さんのTwitterに
布マスクを2枚配る(意図を示す)と市場のマスク価格が下るメカニズムをマクロ経済学詳しい方教えて下さい。
〝アベノマスクのおかげで「価格が低下」 菅氏、効果強調〟(朝日新聞)
こうでないと息をするように嘘を吐く首相の官房長官は務まらないのだろうな…
という私は、大学の経済学(近代経済学)の単位を落としたので偉そうなことは言えませんが…
〝(コロナ禍の日本と政治)弱さ隠さず首相の「生の声」を〟(朝日新聞)
で話されていた中島岳志さんの分析が日本の首相の姿を的確に捉えていると思いました。
有料会員限定の記事なので抜粋しますφ(..)
なんと言うか、国民と同じ地平に首相は立っていないと見えてしまうのです。
決定的だったのは、コロナ危機を受けた最初の記者会見(2月29日)。
苦しみ抜いてイベントを中止した人がいたり、生活の不安に押しつぶされそうになっていたりする人が多く出てきた頃でした。
首相は同じ苦しみの地平に立っている姿を見せ、連帯を呼びかけるべきでしたが、プロンプター(原稿映写機)を見ながらの棒読みで、記者の追加質問も打ち切った。
逆に、今回目立ったリーダーに共通するのは「弱さ」。
ドイツのメルケル首相と米ニューヨーク州のクオモ知事です。
メルケル氏がなぜあんなに共感を得たかというと、「私も心配。私も弱い」という視点から連帯を訴えたからです。
演説でも、感染者や死者の数字について「これは数字じゃない。具体的なお父さんであり、お母さんであり、おじいちゃんの話である」と語る。
クオモ氏も同様です。
自分たちの痛みと同じところに立っていると思える、弱さが見るリーダーが共感されているのです。
弱さを隠さない人間こそ、強さを持っている。
首相は自らの弱さと向き合い「生の声」を届けるべきです。
今回のコロナは、全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ、そのリスクに全体でどう向き合っていくかという問題です。
検察庁法改正案をめぐっても、普段は政治に無関心な層が怒りの声を上げ始めている。
生活や命に直結する問題だけに、政治への関心は高く、これまでの安倍内閣のごまかし・隠蔽(いんぺい)は見逃されないでしょう。(抜粋)
今朝の父の一枚です(^^)v
今日は、伯母の三回忌。
昨夜、田舎に電話して法要が行われる時間を聞いていました。
散歩から帰って来て、法要の時間に仏壇に手を合わせていました。
できたら8月に帰郷したいと飛行機の時間などを調べていました。