2020年5月14日木曜日

急な暑さに気をつけなくては…

日ざしが強くて日ざしが刺さるようになりました。
急激な気温の上昇に熱中症に気をつけたいです。
つい先日、ストーブをしまい、扇風機を出したばかりですが…
昨日のニュースに
“エアコン早めの試運転を” 新型コロナで自宅時間が長く」(NHK)
今朝のニュースで、オゾン発生器でウイルス対策をしているようすが紹介されていました。
東大阪の町工場で凄いなと思ったのですが、部品の調達が難しいようです。
東大阪の町工場は、技術力が高いので、協力してできないのかなぁと思いました。
モノづくりのまち東大阪の特徴」(東大阪市技術交流プラザ)
しばらく会社のHP「タムラテコ」にアクセスしてもできませんでしたが
きっとニュースを見てアクセスが集中していたのだと思います。

#検察庁法改正案に抗議します 賛成意見に捧ぐQ&A」(弁護士 江夏大樹)

植木雅俊さんもTwitter

#検察庁法改正の強行採決に反対します

引用されていた記事が

信頼に傷、総長も黒川検事長も「辞職せよ」 堀田力さん〟(朝日新聞)
池田晴彦さんのTwitter

お前は生物学の専門家であって政治に口出すなっていう人がいますが、政治の専門家っていうのはいません。
それにどう考えても安倍首相は政治の素人でしょ。
だから、政治の素人の国民が口を出すのは職種を問わず当然なのです。


まして、歌手や俳優などの皆さんが、発信するとひどいリプがあるようです。
芸能に携わる人たちを河原者や河原乞食などと差別していた差別意識が、今なお厳然とあるとおもいます。

「芸能と差別」の深層』の中で三國連太郎さんが

この期(ご)に及んで、黙っていることはかえっておかしいですから、言いたいことは言わせてもらいます

と話しておられます。
きっと、三國さんも沖浦和光さんも黙っていなかったと思います。
第二章 卑賎の業とされた芸能
 三 なぜ芸能民は<賤>とされたのか

(…略…)

三國連太郎 それでは今日の討論の重要なテーマの一つなんですが、そもそも「芸能」は、律令思想ではどのように規定されていたのか。
つまり、芸能民は、身分制度の上でどのように処遇されていたのか――そこのところが芸能史を考える上でも大事だと思うんですが……。

沖浦和光 芸能者の身分を考える上では、律令制の規定は非常に重要ですね。
結論を先に言いますと、中国の律令では、芸能民は「賤民」なんですね。
芸能は広い意味で《賤》とされていたことが非常に重要なところです。
「芸能と差別」の深層 三國連太郎・沖浦和光対談』ちくま文庫 2005年)
三國 しかし、そこのところが、比較芸能史や比較法制史の上で、今まであまり掘り返されてこなかったですね。
 すでに見ましたように、日本でも芸能者は「乞食所行」とか「河原者」であるとか呼ばれてきましたが、どうして芸能を演じる者が「遊芸者」として軽蔑され、卑賎の身分だと言われてきたのか――そこのところが原論的に論及されることが弱かったと思うんです。

沖浦 確かにそうですね。
三國 律令制を思想的に基礎づけたのは、孔子・孟子に始まった儒教ですね。
特に法制史的に強く影響しているのは、「荀子(じゅんし)の性悪説と、「韓非(かんぴ)の農本主義的国家統治論」であると沖浦さんは指摘されていますね。(『アジアの聖と賤』第二章参照)

沖浦 民衆を統治するために、中央集権的な専制官僚国家と身分制度の必要性を説いた荀子の説も大きい要因となっています。
だが、なんと言っても身分制を制定する際の価値基準になっているのは、韓非の「農本主義」なんです。
農民を《良》とし、商や工やその他の雑業を《賤》とみなす思想はここに発しているんですね。
三國 それで、そういう思想にもとづいて、どのように身分が制定されたのか、もう少し具体的に……。

沖浦 大ざっぱに言えば、身分制社会を《貴・良・賤》の三層に分けるんです。
天の命をうけて「諸王の王」になった皇帝が、身分制の頂点に位置します。
その取り巻きが身分制度のカナメの位置を独占して、《皇族》《貴族》を自称します。
 ついで、すべての人民の生活の糧(かて)となる農耕に従事し、国家の一般財源を主として担う農民が《良》とされます。
つまり、コメ作りを中心とする農耕が国家の基幹産業であり、その担い手こそ公民=良民であるという考え方ですね。
三國 一口で言えば、農民以外の民衆は卑(いや)しい身分とされるんですね。

沖浦 そうです。生産体系の中枢である農業に従事せず、社会的分業の中で補助的な機能しか果たさない者――唐の時代の史料によれば「工・商・医・巫(ふ)」などが例示されていますが……それらがおしなべて《賤》とされたのです。
三國 ここで出てくる「巫」は、巫覡(ふげき)のことで、つまり、シャーマンを指すんですね。

沖浦 そうです。呪術的芸能者も、この「巫」のカテゴリーに入るわけです。

三國 韓非は農本主義にもとづいて、「農業を捨てて無益の業につく者を減らさねばならぬ。そして五蠹(ごと)を排除せよ」と主張した。
そのように『アジアの聖と賤』にありますが、その五蠹とは、どういう人たちをさしていたんですか?
沖浦 「五種類の害虫」、五つのどうしようもない奴(やつ)ということですが、儒家・墨家(ぼっか)などの学者、国家の利益にならぬ遊説者、ブラブラしている遊民、皇帝の権力を阻害する側近(そっきん)、それと商工の民です。

三國 そのような学説では、われわれみたいな役者は、遊芸民として害虫と見なされたんですね(笑い)。

沖浦 そうです。遊説者も世の中に害毒を流すとされた。
いつもグジャグジャと世相を論じ、支配体制を批判するから、うるさくてしょうがないということでしょうね(笑い)。
この有名な「五蠹」論が、秦の始皇帝の目にとまって、韓非は宮廷に招かれたんです。
  四 「百工技工」と「遊芸民」

三國 私たち役者も「遊芸民」として、千余年にわたって害虫に類する者と見なされてきたわけですから、この期(ご)に及んで、黙っていることはかえっておかしいですから、言いたいことは言わせてもらいます(笑い)。

沖浦 ごもっともです。私など遊説者も害虫の一員なので、やはり言わせてもらいます。
三國 ところで、韓非は、孔子にはじまる儒教が説く「仁」や「徳」では政治ができない、つまり、道徳的教化主義ではダメだと厳格な法治主義を唱えたんですね。

沖浦 そうです。そして実定法の制定を唱えたんです。
秦帝国ではこの学説を積極的に取り入れることにし、それに反対した儒教の諸派を抑(おさ)えて、焚書(ふんしょ)で大弾圧をしたんです。
三國 そして、韓非の統治論にもとづいて、律令制の思想がガッチリ固められた。
それで、かつては祭司的役割を演じていたシャーマンが、律令制にもとづく「制度化された文化」が成立してくるにつれて、一転してその座からひきずり降ろされることになるんですね。

沖浦 ええ、支配者が国家宗教を制定する段階に入ると、前時代の呪術者はしだいに抑圧されていくんですね。
わが国でも朝廷が神道と仏教を信奉するようになると、「巫覡(かんなぎ)」たちは、「民を惑わす」者として徹底的に弾圧されます。
『日本書紀』巻第二十四にも、「種々(くさぐさ)の奇(あや)しき術」という表現が出てきますが、呪術系のシャーマンたちは、国家の定めた宗教的規範に従わないで、妖術(ようじゅつ)をつかう者としてしだいに抑圧されていくんです。
三國 それでシャーマニズムを始原としていた芸能は「巫(ふ)」として一括されて、《賤》とされたわけですねえ……。
それで、もう一度うかがいますが、「巫」とはシャーマンのことですね。

沖浦 ええ、女のシャーマンが「巫」、男が「覡(げき)」です。

三國 巫女(みこ)もそこから出たコトバなんですね。
 ところで、中国でもいろんな芸能民がいたわけでしょう……。
沖浦 中国では、芸能全般に関わっていた「楽戸」は普通の賤民ですが、賤民の中の芸能者でも、いろいろランキングがありました。
詳しく調べますと、「太常音声人(だじょうおんじょうじん)」と言いまして、皇帝の前でやる芸人が最高の芸能人です。
宮廷でしかやらない。
芸人としては最高の位にあります。
しかし、彼らも《賤》なんです。
 これは朝鮮でもそうで、宮廷で皇帝の前で歌舞をやっている高級芸能民も賤なんですね。
そういう規定がきちっとあったわけです。
そして同じ身分同士だけで通婚することが原則ですから、他の身分とは結婚できない。
ただ、この太常音声人だけは良民と結婚できました。
身分は賤だけれど、いくらか優遇している。
しかし根本は《賤》の身分です。
三國 先ほどの話に出ました岩戸伝説、あのアメノウズメノミコトの有名なストリップまがいの踊りですが、天岩戸(あまのいわと)における「神懸(がか)り」のワザオギですね。
 神懸りとは、一般的には神霊が心身に乗り移ることを言うのですが、これも明らかにシャーマニズムですね。
手に茅纏之矛(ちまきのほこ)を持って、天岩戸の前で「巧作俳優(たくみにわざおぎす)」とあります。
 これを見ましても、縄文・弥生時代からの土着文化が、この古墳時代後期の頃かと思われる時代でも、厳然とまだ生きていた。
それをうまくヤマト王朝の有識者が操作して、古代以降の王朝文化の中に取り込んでいったんではないかと思うんですけれど……。

沖浦 その通りですね。ただそれがいつ頃だったのかは、特定できませんが……。
『記』『紀』が編集されたのは七世紀後半からの天武天皇の時代ですね。
全国に残っている神話や伝説を全部集めて、それを朝廷に都合のいいように編集したわけです。
だから記紀神話には、各地方で伝えられていたいろんな伝承や説話がナマのままで残っている部分があるんです。
三國 朝廷が総力を挙げて編集していますからね。
その編集の視点というのは、やはり万世一系の天皇信仰を確立するためなんでしょう。

沖浦 ええ、だけど、万世一系というの全くの仮構で、「神武天皇以来――」なんて言っていますが、神武なんて全く実在しない、伝説にすぎませんよ。
神武実在説を唱えた学者も、戦前には少数ですがいましたが、今は古代史学者でも一人もいませんね。

三國 天皇の皇統譜を作成することに編集の重点がおかれているんだけれど、データに乏しいから各地から取材した。
その過程で縄文系や弥生系の古い文化資料も取り交ぜてしまった。

沖浦 そういうことですね。
三國 それで、芸能史から見ましても、ヤマト王朝としては、各地方に古くからある芸能を、どうやって何のために演出するかという、新しい課題が生まれたんでしょうね。

沖浦 そういうようにして、芸能の役割というものが、しだいに国家政策の枠(わく)の中に囲(かこ)い込まれていくわけです。
そして、中国から入ってきた律令制にもとづいて、芸能者を「遊民」とみる思想がしだいに広がっていくんですね。
三國 「遊芸」民というコトバそのものが問題ですね。
芸能民を「遊民」として卑賎視する思想は、農耕を社会的生産の中心として、その上に専制君主制を成立させた農本主義とも深くからんでいますね。

沖浦 そういうことです。先に見ました韓非の法家思想では、「商工遊食之民」は、直接生産に従事しないが故に卑しい職業とされていました。
律令制では、その考え方が採用され、芸能民は直接的に何も生産しない「百工技巧」「遊食之民」である――したがって《賤》であるとみなされるようになったいったのです。
三國 結論的に言えば、芸能民が広い意味では《賤》であるという観念は、すでに古代において確立されていたと考えてよいわけですね。

沖浦 はっきりそう言えますね。
「芸能と差別」の深層 三國連太郎・沖浦和光対談』ちくま文庫 2005年)
今朝の父の一枚です(^^)v
親子のスズメがヒョコッと顔を出してました。
昨日、父は内科を受診してた後、薬局で薬を待つ間テレビを見ていると
台風1号が発生したことを知りました。
近畿に近づく18日頃に伯母の3回忌に参列するために徳之島へ出発する予定でした。
COVID-19 がなくても台風の接近でどうなっていたか分からないなと話していました。

14日も黄砂飛来か 台風1号発生」(えりの気象日記 5月13日)


差別的なリプをされている方の多くが、嫌中・嫌韓ではないかと思います。
『「芸能と差別」の深層』を転記しながら思ったのは、
その方たちは、荀子や韓非の思想、つまり中国の思想に固まっているのではないでしょうか。
韓非を取り入れた秦の始皇帝と100分de名著「貞観政要」で紹介された唐の太宗・李世民の違い。
このままでは、日本は秦と同じ運命をたどりそうだなと思ってしまう。
私も五蠹の中に入る害虫だと思います。
三國さんや沖浦さんのようにこれからもグタグタと言いたいことを書いていきます(^_-)-☆