2020年5月23日土曜日

夾竹桃が咲き出すと…

今朝、顔見知りの方に挨拶すると、「オアツウゴザイマス」と返ってきました。
キョウチクトウが咲き出すと、暑さも本格的になるような気がする(^-^;

週末は各地夏日に 南部は土曜ぐずつく」(えりの気象日記 5月22日)
遠くから見るとなんか実がなっているのかなと思ったら虫こぶ
一枚の葉にひとつの虫こぶはよく見るけど
こんなに密集しているのは初めて(*_*)
虫こぶの世界にはソーシャルディスタンスという概念はないのかな?

文科省、マニュアル「学校の新しい生活様式」を通知〟(朝日新聞)
の中に身体的距離として

1メートルを目安に学級内で最大限間隔をとる
できるだけ2メートル程度(最低1メートル)


とあるのだけど、現在の1学級の児童・生徒数は
小中学校は40人(上限)、高校は40人(標準)になっている。
この人数でソーシャルディスタンスを取ることができるのだろうか?
分散登校を続けるしかないのだろうか?
9月入学が話題になっているけど、
諸外国に比べて教室に多人数を詰め込んでいる
子どもの数を少なくする方が先だと思う。

学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル~「学校の新しい生活様式」~〟(文科省 Pdf)

学級編制及び教職員定数に関する資料」(文科省 Pdf)
中沢けいさんのTwitter

本日の読売新聞1面~2面に稲田検事総長が辞めればこんなことにはなってなかったと官邸方面がぼやいているという趣旨の記事が載っている。
辞めなかった稲田が悪い。
次善の策で黒川定年延長は法務省が持ってきた案だと。
官邸周辺はなにもかにも役所と役人のせいにしたいのがありありと浮かぶ記事。


「検事総長が辞めていれば」…泥沼にはまった官邸、政府高官恨み節〟(読売新聞)
田村智子さんのTwitter

黒川氏の辞任、責任は私にあると言う安倍総理、どう責任をとるのかと問われても答弁できない。
森法務大臣が進退伺いをすると慰留したという。
このまま幕引きはできない。
予算委員会に応じてもらおう。

一水会のTwitterには、

辞意をはっきりと示した森法相を毒を食らわば皿までと慰留し、逮捕間近と囁かれる河井案里議員には選挙資金1億5千万円。
いまだほとんどの地域に配布されていないマスクになぜか466億円かかり、新薬開発の追加予算は25億円。
金と人の使い方が迷走しているのは、安倍首相に気概も政治哲学もないからだ。


最近、共産党(田村智子さんなど)や一水会のTwitterに共感することが多いな…
絶版になっている本ですが、
杉山平一さんの『詩のこころ・美のかたち』の「はじめに」を転記したいと思います。
  はじめに

 黒柳徹子という俳優が、海外旅行したとき、飛行機のなかでスチュアーデスを呼ぼうと思って手招きをしたそうである。
二度三度、手を挙げて、手のひらを下に指をまげるのに、彼女は気にもとめる様子もない。
 スチュアーデスが歩き出して横にさしかかったので、もう一度、目の前で手招きをしてみた。
すると、彼女も、手をかるく挙げて、声ひくくバイバイといいながら、しかし不審そうな顔をして行ってしまった。
 そのとき黒柳さんは、ハタと思い当った。
西欧では、呼ぶとき、手のひらを上にして、指を上に向けて招くのではないか、黒柳さんは早速、手のひらを裏がえして、指を上から曲げてみた。
スチュアーデスは、スーッとやってきた、というのである。
(『詩のこころ・美のかたち』杉山平一 講談社現代新書 昭和55年)
 こういう風俗やしぐさのちがいは、よくあることで、なんでもなく見えるが、たとえばこの手招きという、上から下へという動作が、日本の華厳の滝とか那智の滝とか、滝を美しく名所にかぞえる美的観賞の態度につながっており、下から上へ招くという手の指の動作が、下から上へふき上げる噴水を、美しいとして喜ぶ態度につながっている。
 神の前で、顔を地に俯せる人びと、天にまします神にむかって、手を上へひろげ、首を上へさしのべる民族がいる。
 日本では裾(すそ)模様という、着物の下側にだけ絵模様をかくものがあり、襖(ふすま)の下側にだけ図柄を配するものがあるように、絶えず視線を下に沈ませようとする美意識は、手招きを下側にする動作と無関係ではあるまい。
建築の神代雄一郎氏はこれを上昇意識と下降感覚といっている。
 建物の瓦屋根は下へ流れて、軒をおさえるようであり、塔でさえも、二重三重に下へ押えつけるようにして立つ。
西欧建築の塔のように、すくすくと天を目指してつき上げてゆく趣きはない。
 下降して横にひろがる裾模様的なうごきは、そのまま「舞い」のかたちであり、「舞い」が踏みしめ踏みしめうごくのに、西欧の舞踊は、絶えず上へ跳躍するのである。
 下へおりて、這(は)うように、横へ横へとながれてゆくのは、物語のかたちにも見られる。
『源氏物語』以来、谷崎潤一郎の長編『細雪』のごときも、春、夏、秋、冬という季節の移りゆきと、主人公の何度も失敗する「見合い」の繰返しによって進行してゆく。
独立した短篇を横につないだ長編も珍しくない。
 それは、我が国美術に特徴的な絵巻物の展開を思わせる。
西欧の長編文学は、伏線と伏線が嚙み合い、からみ合って構築されてゆく。
 音楽もまた同様に、シムフォニーは構築され、日本音楽は、一本調子のままで変化し、のびてゆく。
 人種的にも、平面的な顔のつくりと、立体彫刻的な顔面からも、それは連想され、日本の絵が平面的なのに、西欧の絵画に早く遠近法が発明されたのは極めて自然のように感じられる。
 農耕生活が、身体にかぶるような着物を生み、狩猟生活が、飛び廻るのに容易な、身体にぴったりの活動的な洋服を生んだと考えられる。
とすると、多少の肢体の大きさにかかわりのない着物というものの融通あいまいの構造が、右左の違いをさして問題にせぬ下駄という履きものの融通性、小も大もかねる風呂敷の融通性が、そこに生れ、寸法があわねばはけぬ靴や、鞄の窮屈と極めて対照的である。
 これが思考のあいまいと、思想の朦朧(もうろう)を生む原因なのか、結果なのか、たちまち取り払われる襖や障子は、温湿の気候をしのぐ知恵からきていて、それが、思想のあいまい、無差別を喜ぶ気質を生んだのかもしれないが、部屋の区別と、扉のロックは、たしかに、差別と合理の精神から生み出されたものであろう。
 谷崎潤一郎は、その『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』で、このあいまい「朦朧」を、日本人の喜ぶ美意識として指摘したが、合理、あからさまを嫌う気持は、空気が乾燥してカラリとした晴朗の世界ではく、靄(もや)と霧と雨と雪の、湿潤の空気に包まれ育ったものの気持である。
桜の花の、パステルカラーと、すだれや障子をへだてた光線に、安らぎと喜びをおぼえるのである。
 言葉の冒頭に肯定のイエスと否定のノーをもってくる西欧の明晰な感情表現に、日本人は戸惑いをおぼえる。
どこから、こういう文脈語脈がきたのかは明確ではないが、否定や肯定という断言を文脈の最後にもってくる表現を、日本人は最も快く思って作り上げてきた。
 古典を読んだドナルド・キーン氏は、日本語の文章の終りは、いつのまにか「けむりのごとく消えてゆく」といっている。
現代語でも、大阪では、最後の肯定否定すら消してしまって、「行きま」と、アクセントだけで肯定をあらわしたりする。
東北では、一語だけで、語ってしまうことがある。
 あからさまであることは野暮で、耐えがたいのである。
「さび」というのは、あからさまへのヴェール、「しぶい」というのは、露骨や野生への抑制ということを基本にしての概念ではないかと、白洲正子氏もいっている。
 比嘉正範氏は、日本語では文を完全に言いきらずに接続助詞の「が」か「けど」、「けれども」で終えるのが普通である、という。
「先生、皆が待っているんですけれど」といわれると、先生は「よしいますぐ行く」といわなければならない。
比嘉氏は、このような、一人の言葉の結論を、相手が、下の句のように補うのを、「カルタ式話し方」「百人一首的話法」と呼んでいる。
 若い人に限らないが、一般に「そう思うのです」といい切ってしまえばいいのに、「そう思うのですけれども」と、つなげてゆく。
いつでも、何か相手に答えをゆだねた話し方は、いかにも相手に甘え、よりかかってゆくような感じで、日本人の「甘えの構造」というものと、無関係ではあるまい。
 他面、それは、しかし、明確な裁断をきらう、それを避けようとする気質からくるのである。
 百人一首のように、答えを相手に出させる遊び、「連歌」などのつながり遊びなども、日本人の自然のダイヤローグの形式で、つながって行ってしまうのである。
 漂流したロビンソンが、島に漂着するやいなや、ただちに小屋を建てはじめ、土を耕して生活を構築するのに対し、鬼界島に流された我が国の俊寛僧都が、同志のなかで自分だけが赦免されないと知って、世を呪い、わが身を嘆き悲しみつづけて果てるのは、いかにも、西欧の理知性合理性と日本の情緒性非合理性をあらわしている。
 この俊寛の情緒性こそが日本人に喜ばれ、多くの小説・戯曲の題材になっている。
俊寛が、島の女をめとり、たくさんの子を生み育て生活を建てた、とする菊池寛の『俊寛』は、日本人の読者には喜ばれなかった。
 ロビンソンの粘りづよさ、辛抱づよさにまったく反対の、俊寛の気の短い情緒的性格は、日本の風土によって育てられたものが大きく影響しているようである。
 日本列島のように、真中に山脈の背筋をもつ細長い島では、川はすぐ両側の海へ流れ込む急流となり、気質を短気にしてしまうようである。
 たとえば、ラグビーやテニスやゴルフなど西欧のスポーツに熱狂する一方で、江戸時代のちょん髷(まげ)をつけ、真裸にフンドシをしめ、烏帽子(えぼし)姿の行司がハッケヨイと声をかける相撲のようなアナクロニズムの甚だしいものが喜ばれているのは、おかしいことではないだろうか。
これは、畳と椅子、着物と洋服を並行して用いるわが国の文化の二重構造のあらわれであるとはいえ、本質的に、これから離れないのは、その一本勝負の、瞬間の短い勝負感にある。
いまなお、「国技」の名が残るのはそのためではあるまいか。
「こければ負け」、これほど日本人にぴったりのスポーツはないのである。
転んでもなお、起き上がってくるレスリングのごときは、日本人にとっては、なんとなく「汚ない」のである。
 勝負が九回の裏まであり、さらに延長戦まであるという、しつこい粘りのある実質的な勝ち負けは、日本人の勝負感とはちがっている。
外交など、一転二転三転する交渉は苦手で、すぐ堪忍袋の緒が切れるので、ねばり強い中国との交渉には、とくに芳沢謙吉という人が専門に辛抱づよく当り、芳沢外交などと呼ばれた。
太平洋戦争でも、真珠湾攻撃で、心理的に勝負あった、と思う気持がなかったとはいえない。
 実質よりも、感覚的な感じ、見た目などを尊ぶ形式尊重性は、至るところに見られる。
 料理などを見ると、それはすぐわかる。
 実質的な栄養とか内容よりも、皿や容器の模様や図柄に配する、刺身の赤や白に、口には入れない緑の葉を取合わせたり、寿司の御飯の白に、海苔の黒、たまごの黄色、紅しょうがなどの配置は、料理にとって重要である。
西欧料理は、美味しいが、見てくれがまことに不様(ぶざま)なものが尠くない。
 見た目の形式美が大切にされるのは「切腹」という自殺形式においても感じられる。
実質的には死ねないのに、かたちを優先して、演劇などの「見せる」儀式にさえなる。
 体裁は、生きる上においてはなはだ重要事であり、きたなく生きるより、美しく死ぬという「玉砕するとも瓦全(がぜん)を恥づ」という言葉にあこがれ酔うところがある。
 ルース・ベネディクトが、日本を「恥の文化」と規定したのも、この体裁感の強さに驚いたからである。
 大戦後、日本中が荒れ、人々に恥も外聞もないようは振舞が目立ったとき、太宰治は、河盛好蔵にあてた手紙に、「文化という文字に、はじらいという振がなをつけては如何でしょう」といっている。
 はじらいが、日本では、文化の核なのである。
退却を転進といい、敗戦を終戦といい、占領軍を進駐軍と呼ぶのが、日本の形式性の美学であり、理知に優先する情緒性なのである。
 芸術は一つの生きざまである。
それは表現・表出だからである。
生きざまは、その表現・表出によって、つまり芸術によって知ることができる。
 我々の何気ない動作も、それが芸術の根源につながる。
(『詩のこころ・美のかたち』杉山平一 講談社現代新書 昭和55年)
今朝の父の一枚です(^^)v
今日もツバメの撮影にチャレンジしていましたp(^^)q

ここ数日、奄美の方で地震があるのですが、
父の話では、硫黄鳥島では今でも火山活動をしているそうです。
戦時末期、硫黄鳥島の方を見ていると、海が真っ黒になるほど戦艦が見えたそうです。
大本営発表を信じていたので日本軍の戦艦だと思っていたら、
徳之島まで地響きがするほど沖縄に向って艦砲射撃が始まったと話していました。
その鉄の嵐の下を母が逃げまどっていたんだな…
母は、飛んでくる砲弾の空気を裂く音でどこに落ちるか分かるほどだった。

奄美地方で震度4」(鹿児島 NHK)

「硫黄鳥島」上空に大規模噴気〟(奄美新聞 2019年7月23日)

硫黄鳥島 有史以降の火山活動」(気象庁)

沖縄戦」(戦争証言アーカイブス NHK)

那覇市 亀甲墓での記憶」(戦争証言アーカイブス NHK)