2020年5月21日木曜日

タイサンボクも咲き出した。

今朝は、雲が多く風もひんやりしていました。
タイサンボクが咲いているかなぁと見上げると
雲の間から青空が見えて白い花が浮かんでいました。

21日は日中ひんやり 羽織るものがあったほうがよさそう」(えりの気象日記 5月20日)
  くも

 空が青いから白をえらんだのです


Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。
そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰(せき)を切ったように語りだしたのです。
「今年でおかあさんの七回忌です。
おかあさんは病院で
『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』
とぼくにいってくれました。
それが、最期(さいご)の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
ぼくは、小さかったから、何もできなくて……」
Aくんがそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げて、次々に語りだしました。
「この詩を書いたことが、Aくんの親孝行やと思いました」
「ぼくは、おかあさんを知りません。でも、この詩を読んで、空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」
と言った子は、そのままおいおいと泣きだしました。
自分の詩が、みんなに届き、心を揺さぶったことを感じたAくん。
いつにない、はればれとした表情をしていました。

たった一行に込められた思いの深さ。
そこからつながる心の輪。
「詩」によって開かれた心の扉に、目を開かれる思いがしました。
(『空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集―』寮美千子編 新潮文庫 2011年)
  桑の実
くろく熟(う)れし桑の実われの手に置きて疎開の日日を君は語らす(昭和55年)

(『皇后陛下御歌集 瀬音』大東出版社 2007年)
朝日新聞朝刊に
コロナ追悼、分け隔てなく 市民も実名、感染者差別せぬ国民意識 イタリア紙
記事を読んでいて、イタリアの人々は、ココロウイルスに感染・発症していないのだと思った。
一方、日本では、5月19日の記事で紹介したメイプルさんのTwitterにあるように
医療従事者や店員、配送業者などへのひどい差別の言動がある。
無料会員でも全文読めるのでアクセスして欲しいな!

少し、抜粋しますφ(..)

 犠牲者の実名報道が広く受け入れられる背景には、感染により差別を受けたり、批判されたりしない文化があるとみられる。
北部の地方都市で2月下旬、中国に渡航歴のないイタリア人男性らの集団感染が初確認されたが、この男性が訪れた場所が詳細に報じられたものの、訪問先や男性の勤務先が差別や中傷を受けることはなかった。
 むしろこの「第1号患者」の男性が集中治療室から出た時や、退院、男性の妻の出産といったニュースが、感染収束が見えない中での明るい話題となった。

麻雀の報道を見聞きして、学生時代のことを思い出した(^^ゞ
友だちの下宿で、催促なしの出世払いで夜中に麻雀をしていました。
半荘(はんちゃん)が終るたびに勝った者が
負けてしょんぼりしている者の周りを
喜びの鬨(とき)の声を上げながら踊るように回っていました。
そんなふうに騒いでいる時に突然、部屋の戸を叩く音がしました。
仲間が戸を開けた時に、彼が直立不動…
なんと戸を叩いたのは、警察官でした。
近所の人から賭け麻雀をしているとの通報があったそうです。
ところが、テーブルの上には、1円たりともお金が置かれていませんでした。
貧乏学生の私たちは、空想の世界で儲けた損したと喜び、嘆き、騒いでいたのです(^-^;
警察官にしばらくの間、近所迷惑でこってり油を搾られましたが、賭博罪で捕まることはありませんでした。
出世していないので、学生時代に負けた多額の借金は払っていません(^_-)-☆
5年~10年で借金の時効が成立するようです(消滅時効)。
ちなみに蛭子能収さんは1998年11月に、麻雀店で麻雀賭博の現行犯で逮捕されています(Wikipedia)
賭博罪ではありませんが、赤瀬川原平さんは「千円札裁判」で有罪になっています。
昨日、遠藤賢司さんのカレーライスを紹介したので赤瀬川原平さんの「インド人もびっくり」を転記しますφ(..)
インド人もびっくり  赤瀬川原平

 今日の夕食はカレーライスだった。
自宅のカレーライスである。
 最近は外であまりカレーライスを食べたことがない。
レストランで何か食べようとメニューを見ながら、カレーライスは除外される。
カレーなんていつでも食べられるではないか、と思うのである。
せっかく外で何か食べるんだから、もっと何かちゃんとしたものを食べようと思うである。
(『アンソロジー カレーライス!! 大盛り』杉田淳子編 ちくま文庫 2018年)
 ちゃんとしたもの。
 カレーライスというのは可哀相だ。
ちゃんとしてないみたいに思われているのだから。
 本当はそうではない。
カレーライスはもっとも安全な食品なのである。
麻雀でいうと安全パイだ。
はじめてのレストランで様子のわからぬときにカレーライスを注文すれば、そう大きくはずれる、つまりそれほどマズイということはないものである。
メニューを見ながら何にしようかと迷って決断のつかぬときは、カレーライスにしておくのがまず無難であり、間違いがない。
 というところがカレーライスの悲哀なのだった。
間違いがないものだから、まず最初に除外される。
いつでも食べられるんだから、何もいま食べることはない、と思われてしまうのである。
ああ可哀相なカレーライス。
 で今日の夕食はカレーライスだった。
自宅のカレーライスというのはある安定した間隔をもって食卓にのぼる。
十日に一回とか、月に一回とか。
 これも安全パイだからこそそうなのであるが、自宅のカレーライスの場合はそういう食べられ方が自然であり、そこが外でのカレーライスと違うところだ。
 味も違う。
味はもちろんレストンによっても違うのだけど、うちには子供がいるのだ。
今度中学一年生。
もう大人に近いのだけど、やはり電車に乗るときはまだ子供料金であり、カレーライスはあまり辛いのが食べられない。
これが問題である。
子供のうちにあまり辛いのを食べるとバカになるというが、あれは本当に正しい理論なのだろうか。
 私は前述のように外食ではあまりカレーライスを選ばないので、それを食べるときはだいたい自宅ということになる。
ところが子供がいるので、ピリッと辛いのを食べることができない。
このことを考えるだけでも、子供というのは早く大人になって家を出ていくべきである。
家の中でいつまでも甘いカレーライスを食べていていいのか。
 まだ中学の一年生だからやむを得ないが、しかしあと三年ぐらいガマンして、高校ぐらいになればピリッと辛いカレーライスにしたいと思う。
もう高校になれば脳ミソも固まって、新たにバカになるということもできないだろう。
 しかし私の子供のころは、カレーライスといえばピリピリと辛かった。
その辛さはもう逃れられぬものだと思い諦め、食卓には必ずコップに水を用意して、その冷たさで口の中をなだめながらフーフーと熱いのを頬張っていた。
それが本当のカレーライスというものではなかったのか。
 なんて正義を叫ぼうというわけではないのだけど、今日の夕食はカレーライスだった。
ひとつ不思議なのは、ジャガ芋が入っていないとこである。
トロリと溶けたルウの中に、肉や人参や玉ねぎといったものは散見するが、期待のジャガ芋というものが見当らない。
 これはニョーボーの作品である。
ニョーボーはジャガ芋が好きではない。
しかし自分が嫌いだからといってジャガ芋をカレーに入れないということが許されていいものだろうか。
 というような家庭料理に対する不満は、全国のご家庭の男女諸君も互いに持ちつ持たれるしていることだろう。
 かくいう私はジャガ芋、とりわけカレーライスの中のジャガ芋が好きなのだ。
ここに家庭悲劇の発生する毒の種が、あのジャガ芋の芽のように埋め込まれているのであるが、あれは青酸が含まれているので必ず包丁の角のところでグリッと抉り取っておく必要がある。
 いや、そのあたりの常識問題はともかく、カレーライスの中のジャガ芋の好きな人は、やはり戦後の食糧難を生き抜いてきた人々だろう。
ジャガ芋の味もさることながら、あのゴロリとしたボリュームが何とも心強く感じられるのだ。
 それと同じ原理なのか、あのころのカレーライスにはごってりとメリケン粉が入っていた。
最近ではシャブシャブ状でライスの中にしみ通るほどの水っぽカレールウがナウイというか、ポストモダンというか、ハウスマヌカンというか、何だか信奉されているみたいだけど、まあそれもいいだろう。
でも昔のカレーライスというのは粘土みたいに固かったのだ。
 これは誇張ではなくて、半分残したカレールウを明くる日鍋の蓋を取ってみると、もう糊(のり)というか味噌というか、酷(むご)いときは全体が玄米パンみたいな固まりになっていたものである。
それほどメリケン粉が混入してほとんどそれが本体となっており、そのことが豊かさの象徴とされた。
 とにかくお腹いっぱいという第一目的を絶対に外すことはできなかったのである。
 そして辛かった。
いまみたいにバーモントカレーとかいろいろ加工されて、しかも辛さの表示1とか2とかあるのを選べるわけではなくて、すべてを素材から調理した上で缶入りのカレー粉をどどっと入れるのである。
せっかくカレーライスを食べるのに辛くしないという理由がなかった。
つまり家庭でカレーライスを食べるというときには何か意気込みがあり、それは祝祭であったのである。
 まったく日本人というのは、異文化を引き入れて神に祭り上げるのがうまい。
 前に新幹線に乗ってカレーライスを食べたことがあった。
ビュッフェに行くと、これはもう忙しいんだからカレーライスでもいいのだと自然に思う。
それが臨時的な場所のレストランだからだろうか。
だからといって注文されるカレーライスの立場がまた可哀相なのではあるが、しかしその場所でのカレーライスは、気持のムリなく注文できる。
 でカレーライスを頼んで、そういう場所だから当然混んでいてテーブルは相席だけど、頼んでからやれやれとホッとして前を見ると、テーブルの向かいはインド人がいたのだ。
 このときは恥ずかしかったね。
しまった、と思った。
別に悪いことはしていなのだけど、消え入りたいくらいだった。
片足のない人の前で、
「足……」
 と言ってしまったようなものである。
やがてカレーライスが運ばれてきて、私はふつうにスプーンで掬(すく)いながら食べたのだけど、何だか顔が真っ赤になった。
カレーライスが足みたいになって喉につっかえてしまう。
だからそのインド人が私のカレーライスの、とくにラッキョ―と福神漬をみていたかどうか、それはわからない。
まったく自意識過剰の話であるが。
(『少年と空腹』中公文庫より)

(『アンソロジー カレーライス!! 大盛り』杉田淳子編 ちくま文庫 2018年)
今朝の父の一枚です(^^)v
父もタイサンボクを写していました。
咲くのを今か今かと待っていました。
母との思い出がある。

今朝のニュースの中でアルコール消毒液への過敏症のある方の悩みが紹介されていました。
来週、父は歯科受診ですが、受付に消毒液があり、過敏症の方は相談してくださいと案内が書かれています。
妹が皮膚科を受診すると、手洗いや消毒液で子どもの手荒れが増えているようです。
(父の歯科受診の日は、更新を休みます)