2019年8月31日土曜日

8月も終わり…

今日で8月も終わりです
秋らしさを少しだけ感じるのだけど
やはり蒸し暑い…(・_・;)
今朝のNHK「おはよう日本」にのんさんが登場しました。
インタビューの後半で

生き辛さを感じている子どもたちや若者に
のんさんからのメッセージとしてこんなことを話してくれました。
(正確に聞き取れていませんm(__)m…)

生きづらさみたいなものは
人それぞれかもしれない
自分の一番大事な部分に
自信を持つことがすごく大事かなと思いますね。


自分を信じることとか
〝この部分がある〟ことによって
面白くできるとか
明るくできるとか
そういう部分に自信を持つ
〝自分の中にあるんだ〟ということに気付く


自分が生きていることに自信を持つ
わからなくなったときは
〝自分は生きている〟ということを
誇らしげに思い
調子に乗っちゃえばいいじゃないかなと思いますね。

インタビューに答える姿を見ていると
一言一言懸命に考えながら話しているのが伝わってきました。
僕には吉永小百合さんの姿がダブってしまった(^^ゞ

今まで、テレビなどで姿を見ることが出来なかったのですが
斎藤環さんのツィター(2019年8月5日)に

むしろテレビの外にいてくれたおかげで
維持され磨かれる何ものかがあることを教えてくれている気がしてきた。


本当にそうだなと思いますね。
あまちゃん」の後、テレビに出続けていると
消耗品のようにボロボロになるまでこき使われていたと思います。
(朝ドラは見ていないのですが(^_-)-☆)
8月31日
 石川啄木が「時代閉塞(へいそく)の現状」を書いた。
      1910(明治43)年

 朝日新聞社の校正係をしてどん底生活をやっと支えていた25歳の啄木は、
8月の下旬に「時代閉塞の現状」をいう論文を書いていた
(これは死後発見され、日付が確定できないが、重要なのでここに入れることにした)。
彼はそのなかでこう主張した。
現在の日本は「強権」の力が社会の隅々まで行きわたり、青年をとりまく状況は固定してしまった。
青年は理想を失い元禄時代を懐(なつか)しんだり、遊びで気をまぎらわせたりしている。
しかし、それではいけない。
根本的な問題は、国家の利益と個人の利益が矛盾するにいたった点にある。
だから現状を打ち破るためには、「強権」となった国家を「敵」とし、
それと格闘して何が本当に自分たちにとって「必要」なのかを全精神を傾けて考えぬかなければならないのだと。
この年、大逆事件(たいぎゃくじけん)の検挙があり、韓国が日本に併合された。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二 1979年)
時代閉塞の現状を奈何(いか)にせむ秋に入りてことに斯(か)く思ふかな

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
(1910年)8月22日、韓国が日本に併合された事実を詠んでいる。
(『日本の詩歌5 石川啄木』中公文庫 1974年)

「時代閉塞の現状」は、
時代閉塞の現状・ 食うべき詩』(岩波文庫)で読むことができます。
京都の伝説「恋塚寺」の続きを転記します(最終回)。
リンク先の本の定価が「0円」になっていますが
0円で購入できるのではありません(^_-)-☆
絶版になっているようです。
 それでもだれも戸を、開けてくれませんでした。
 「面目ないから、お目にかかれぬ」
 渡の声でした。
(『日本の伝説 1 京都の伝説
  駒敏郎、中川正文 角川書店 昭和51年)
 「いや、そなたの女房の首を切ったやつを、とっつかまえてきたのだ。開けておくれ」
 それでようやく、なかへ入れてくれたのでした。
 「そいつは、だれだ」
 渡があおざめた顔をあげました。
盛遠は、首のない袈裟の死骸のそばに衣の包みをおき、それから大刀を抜くと、渡に手渡そうとしました。
 「殺したのはわしだ。思う存分、切りきざんでくれ」
 渡は、そういう盛遠を、じっとみつめていましたが、はらはらと涙をこぼし、
 「おまえを切ったとて、死んだものは生き返ってはこない。それより、わしは出家して、袈裟の菩提(ぼだい)を弔う」
 盛遠の太刀を手にすると、もとどりから、ばさっと髪を切ってしまうのでした。
盛遠も渡のあとで、自分の髪を切ったのは、いうまでもありません。
 遠藤武者の盛遠は、出家したのち、文覚(もんがく)と名のりました。
神護寺(じんごじ)を再興したのも、この文覚ですが、出家しても、やっぱり荒々しく、荒法師文覚と呼ばれ、何度も流されたりして、波瀾(はらん)の多い一生を過ごしたようです。
 恋塚寺(こいづかでら)は、文覚が、自分で殺した袈裟をしのんで建てた寺だといわれています。
 なお袈裟が死んだあとで、死ぬまえに残した手紙のあとに、こんな辞世がつけられていたのです。

  露深き浅茅(あさじ)が原に迷う身に
    いとど暗路(やみじ)に入るぞ悲しき

 袈裟は死んだとき、かぞえ年で十六歳であったようです。
  芥川龍之介はこの物語を『袈裟と盛遠』として小説にしていますが、とりわけ袈裟の女としての心の揺れ動きを巧みに描いているようです。
また戦後この伝説は映画化され、カンヌでグランプリをとっています。
「地獄門」というのがそのタイトルですが、袈裟には京マチ子が扮し、冴え冴えとした美しい女性(にょしょう)として登場していたことが忘れられません。
(『日本の伝説 1 京都の伝説
  駒敏郎、中川正文 角川書店 昭和51年)
 今朝の父の一枚です(^^)v
のら猫ちゃんがお腹を空に向けてゴロンとしています(*´▽`*)