2019年8月6日火曜日

曇り空だけど…

台風の直撃は免れましたが
湿った風が吹いていました。
あの日は、晴れていました。
広島の路面電車 8月6日を乗り越えて」(動画)

広島 平和記念式典 核兵器ない世界の実現にリーダーシップを
先日放送された「映画『この世界の片隅に』」の
テーマ曲「悲しくてやりきれない」を作詞したサトウハチローの弟、
節さんは広島で被爆、亡くなっています。
若松英輔さんのツイート(8月6日)に

今日は、原民喜の言葉を読んで過ごします。
彼が亡き者たちからの言葉を受けとめたのに習って、
せめて民喜が言葉に出来なかったものを感じ直してみたいと思います。
言葉を読む、それは学びに留まらず、ときに哀悼の営みにもなるのです。


定本原民喜全集』よりいくつか転記したいと思いますφ(..)
   碑 銘

遠き日の石に刻み
    砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
(『定本原民喜全集Ⅲ』青土社 1978年)

この詩は平和記念公園内に詩碑として設置されています。
最初、広島城跡に設置されていた時
石投げの的になっていたこともあるそうです。
   家なき子のクリスマス

主よ、あはれみ給へ 家なき子のクリスマスを
今 家のない子はもはや明日も家はないでせう そして
今 家のある子らも明日は家なき子となるでせう
あはれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き
破滅の一歩手前で立ちどまることを知りません
明日 ふたたび火は空より降りそそぎ
明日 ふたたび人は灼かれて死ぬでせう
いづこの国も いづこの都市も ことごとく滅びるまで
悲惨はつづき繰り返すでせう
あはれみ給へ あはれみ給へ 破滅近き日の
その兆に満ち満てるクリスマスの夜のおもひを
   風 景

水のなかに火が燃え
夕靄のしめりのなかに火が燃え
枯木のなかに火が燃え
歩いてゆく星が一つ
   焼ケタ樹木ハ

焼ケタ樹木ハ マダ
マダ痙攣ノアトヲトドメ
空ヲ ヒツカカウトシテヰル
アノ日 トツゼン
空ニ マヒアガツタ
竜巻ノナカノ火箭
ミドリイロノ空ニ樹ハトビチツタ
ヨドホシ 街ハモエテヰタガ
河岸ノ樹モキラキラ
火ノ玉ヲカカゲテヰタ
   火ノナカデ 電柱ハ

火ノナカデ 
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ
蠟燭ノヤウニ
モエアガリ トロケ
赤イ一ツノ蕊ノヤウニ
ムカフ岸ノ火ノナカデ
ケサカラ ツギツギニ
ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ
サケンデユク 火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ
  愛について
 むかし西洋のある画家が王様から天使の絵を描くことを吩つかつた。
公園をあちこちさまよひ歩いてゐるうち、ふと一人の可憐な子供の姿が眼にとまつたので、早速それをモデルにして描いた。
その純粋な美しさは忽ち人々の称賛するところとなつた。
絵は長らく宮殿に保存された。
(『定本原民喜全集Ⅱ』青土社 1978年)
年久しくして、その画家は王様から悪魔の絵を描けと吩つかつた。
牢獄を巡り歩いて、凶悪の相を求め漸くそのモデルになるものを把んだ。
こんどの絵は天使の絵にも増して真に迫り、彼は再び絶讃された。
モデルにいくぶんの謝意を表するつもりで、その囚人をともなひ宮殿の画廊へつれて行つた。
「君のお蔭で悪魔の絵も成功した。見てくれ給へ、これが僕が昔描いた天使の絵なのだが」
 画家の指ざす方向にその囚人が眼を凝らすと、その肩が大きく波打ち、やがて顔はうなだれて両手で掩はれてしまつた。
「これは、この絵は私なのだ」
 囚人は嗚咽の底からかう呟いた。

  これは私が少年の日に死んで行つた姉からきかされた話であつた。
何気なく語る姉の言葉がふしぎな感動となつて少年の胸にのこつたのは、死んでゆく人の言葉であつたためであろうか。
私には姉がその弟の全生涯にまで影響するやうな微妙な魂の瞬間を把へたことがおそろしくてならない。
おそろしいのはあの頃のことが今でも初初しく立返つて来ることだ。
私も顔を掩つて、「この絵は私なのだ」と泣きたくなることがある。
するとあの話をきいた時の病室の姉の姿がすつきりと見えてくる。
美しい姉は私に泣けと云つてゐるのではない。
いつもその顔は私を泣くところから起ちあがらせるしなやかな力なのである。
(『定本原民喜全集Ⅱ』青土社 1978年)