秋の感じがどこにもなく
まだまだ猛暑が続きそうですね(^-^;
チョウトンボもお尻を上げて「オベリスク姿勢」をとっていました。
「各地で猛暑 39度予想も 熱中症に厳重な警戒を」
(金ゴマ ゴマ科)
昨夜の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか?」の
後の方でこんな話が出ていました。
150年前のおやとい外国人の日記には、日本人は、
時間にルーズで時間を守るという感覚がないと嘆いている。
『長崎海軍伝習所の日々 日本滞在記抄』
(リーダー・カッテンディーケ 著 水田信利 訳 東洋文庫26)
「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ。」
そんな日本人がいつから時間に几帳面になったのか
その大きな要因は、明治維新後
学校生活で定時の授業や
工場で働くようになり始業時間を守ることを
求められたことが大きいと話しておられた。
時計の時間に合わせて生活するようになったのは
せいぜい150年くらいしか経っていない。
人類の歴史の中では特殊なことをしている。
それまでの日本人は自分の体の感覚で過ごしていた。
秒刻み、分刻みで行動するのは人間には向いていない。
人間がもっている時間と
社会がみんなで一緒に合わせなきゃいけない時間を
どうやったら調和させられるか
現代社会は生き物としての人間に無理を強いている。
「時よ止まれ お前は美しい ゲーテ」
再放送はEテレで今夜:午前0時25分~
「セロ弾きのゴーシュ」の続きを転記しますφ(..)
それから六日目の晩でした。
金星音楽団の人たちは町の公会堂のホールの裏にある控室へみんなぱっと顔をほてらしてめいめい楽器をもって、ぞろぞろホールの舞台から引きあげて来ました。
首尾よく第六交響曲を仕上げたのです。
ホールでは拍手の音がまだ嵐のように鳴って居(お)ります。
楽長はポケットへ手をつっ込んで拍手なんかどうでもいいというようにのそのそみんなの間を歩きまわっていましたが、じつはどうして嬉しさでいっぱいなのでした。
みんなはたばこをくわえてマッチをすったり楽器をケースへ入れたりしました。
(『新編 銀河鉄道の夜』宮沢賢治 新潮文庫 平成元年)
ホールではまだぱちぱち手が鳴っています。
それどころではなくいよいよそれが高くなって何だかこわいような手がつけられるないような音になりました。
大きな白いリボンを胸につけた司会者がはいって来ました。
「アンコールをやっていますが、何かみじかいものでもきかせてやってくださいませんか。」
すると楽長がきっとなって答えました。
「いけませんな。こういう大物のあとへ何を出したってこっちの気の済むようには行くもんでないんです。」
「では楽長さん出て一寸挨拶して下さい。」
「だめだ。おい、ゴーシュ君、何か出て弾いてやってくれ。」
「わたしがですか。」ゴーシュは呆気(あっけ)にとられました。
「君だ、君だ。」ヴァイオリンの一番の人がいきなり顔をあげて云いました。
「さあ出て行きたまえ。」楽長が云いました。
みんなもセロをむりにゴーシュに持たせて扉(と)をあけるといきなり舞台へゴーシュを押し出してしまいました。
ゴーシュがその孔のあいたセロをもってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなはそら見ろというように一そうひどく手を叩きました。
わあと叫んだものもあるようでした。
「どこまでひとをばかにするんだ。よし見ていろ。印度(インド)の虎狩(とらがり)をひいてやるから。」ゴーシュはすっかり落ちついて舞台のまん中へ出ました。
それからあの猫の来たときのようにまるで怒った象のような勢(いきおい)で虎狩りを弾きました。
ところが聴衆はしんとなって一生けん命聞いています。
ゴーシュはどんどん弾きました。
猫が切ながってぱちぱち火花を出したところも過ぎました。
扉へからだを何べんもぶっつけた所も過ぎました。
曲が終るとゴーシュはもうみんなの方など見もせずにちょうどその猫のようにすばやくセロをもって楽屋へ遁(に)げ込みました。
すると楽屋では楽長はじめ仲間がみんな火事にでもあったあとのように眼をじっとしてひっそりとすわり込んでいます。
ゴーシュはやぶれかぶれだと思ってみんなの間をさっさとあるいて行って向うの長椅子(ながいす)へどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。
するとみんなが一ぺんに顔をこっちへ向けてゴーシュを見ましたがやはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。
「こんやは変な晩だなあ。」
ゴーシュは思いました。
ところが楽長は立って云いました。
「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いていたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」
仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云いました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうからな。」
楽長が向うで云っていました。
その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
そしてまた水をがぶがぶ呑(の)みました。
それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。
(【注解】より)
第六交響曲 賢治はベートーベンの交響曲を好んだが、特に第六番田園はお気に入りであった。
印度の虎狩
昭和6年4月25日付けの東京朝日新聞及び岩手日報に、ビクター・レコード5月新譜の広告があり、「印度へ虎狩りに」のレコード名がのっていた。
この曲の原題は「 Hunting Tigers out in “ Indiah ”( Yah )――」(印度へ虎狩りにですって)で Comedy Fox Trot' エヴァンズ作曲。男性歌手が独唱し、虎の吠声や鉄砲の音が入っている。この曲は当時流行したダンス・レコードのうちの一つという(佐藤泰平氏による)。コミカルで軽快なダンス曲である。
(『新編 銀河鉄道の夜』宮沢賢治 新潮文庫 平成元年)