風が吹いていてもなんかなまぬるい風のような…
まだ遠く離れた台風10号から吹いてくるのかな?
遠く離れていても水難事故が発生しています。
「台風10号で高波 各地で海の事故相次ぐ」
「野分」は秋の暴風を表す季語で
「二百十日」は、9月1日なので紹介するのは早過ぎますが(^^ゞ
『基本季語五〇〇選』より「野分」を転記しますφ(..)
野分(のわき)
野わけ・野分雲(のわきぐも)・野分だつ・野分跡(のわきあと)・野分晴(のわきばれ)
秋の暴風で、草木を吹き分けるという意味で名付けたと言う。
主として台風をさす。
野分らしい風が吹くことを「野分だつ」という。
また野分跡はからりと晴れて、安堵(あんど)とともに爽涼(そうりょう)を覚える。
昔の人は台風を予測することは出来なかったから、秋の突風(とっぷ)と感じていた。
もっとも舟乗りや漁師は、台風の性質について、なかなかこまかい観測をしていた。
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
「やまじ」とは、台風あるいは台風期の局地的な低気圧に伴う南寄りの暴風だが、「やまじがわし」とは、台風の接近とともに風向きが時計まわりに回転することを意味した。
長崎県では「おっしゃな」という風の名があり、「押しあなじ」つまりあなじの押しかえしという意味で、風向きは東南から南西とまわって収まり、風の王として昔から恐れられていた。
野分とはどういう意味か。
野の草を吹き分ける意味に取っているが、もう一つ落ちつかない。
「野分だつ」ともいう。
台風そのものも、今日で言えば台風がそれたその余波程度の風も、ともに野分である。
古くはおおかた「のわき」と言っている。
「浅茅原野わきにあへる露よりもなほありがたき身をいかにせむ」(『相模集』)。
野分の名描写として、『枕草子』と『源氏物語』が知られている。
「野分のまたの日こそ、いみじうあはれに、をかしけれ。立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などの乱れたるに、前栽(せんざい)どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝なども吹き折られたるが、萩、女郎花(をみなへし)などの上に、横ろばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね」(『枕草子』188段)、
「野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だに、あなわりなと思ひ騒がるるを、まして、草むらの露の玉の緒乱るるままに、御心まどひもしぬべくおぼしたり。おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそ欲しげなりけれ。暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいじみと、花の上をおぼし嘆く」(『源氏物語』野分巻)。
野分、また野分の風は、当時の貴族の雅語であったが、その前に常民(じょうみん)の生活語としての前時代があっただろう。
柳田国男は、主として稲のみのるころ、外洋から来るありがたくない強風として、今日各地の方言に使われている「わいだ」「あいざ」「あいだかぜ」「うえだ」などと、上代の雅語「のわき」との間につながりがないかと想像し、「わき」という古代語に、おそろしい強風という意味が含まれていなかったかという。
だが野の草木を吹き分くる風という語感は、古くから感じられていて、
許六は「俊成卿、野分の題に草木の上をむすぶを本意といへり」(『篇突(へんつき)』と言っている。
「荻の葉にかはりし風の秋のこゑやがて野分のつゆくだくなり」定家(『六百番歌合』)、
「かりにさす庵までこそなびきけれのわきにたへぬ小野の篠原」家隆(同)などは、そのような本意によって詠んでいる歌である。
今日、台風の語が一般化したからは、「野分」といえば若干風雅めくのは致し方ない。
だが台風というより野分の方が意味範囲が広く、台風がそれた時も野分の風が吹き荒れる程度のことはある。
それに、台風と言えばほとんど雨を伴うが、野分の場合は風だけが通過した場合、今日「風台風」といわれる現象も、含ませてよいだろう。
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)