2018年9月22日土曜日

本降りになったけど…


初めは小雨だったのに大雨になりました。
公園の駐車場でしばらく様子を見ていたら小降りになったので出かけました。
ハシボソガラスが毒キノコを食べているとビックリしたのですが
他の場所に行った時に見に行くとラップに包まれた御飯でした。
ちなみに左側のカラスは周りを警戒する役目だったようで
後で、交代していました(^。^)

人出の多い日曜や祝日、あるいはサクラの季節などになると、
都内の公園では夥(おびただ)しい量の残飯が捨てられ、
屑籠に溢れて山盛りにされている光景をよくみかける。
これをカラスが引きずり出し、食い散らかし、公園内はゴミだらけになってしまう。
カラスはけしからん存在である、公園から追い出してしまえという議論をよく耳にする。
カラスに罪を着せながら、飲み食いの場として公園を汚している人のほうを
そのまま放置しておいたのでは、身勝手というものであろう。
(『カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応能力』唐沢孝一 中公文庫 2003年)
  君の眼に見られているとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る  安藤美保

 好きな人から見つめられるときの、何かに包まれるようなやすらぎと、
女性としての緊張と、くすぐったいような恥ずかしさと、そして限りない嬉しさと……。
さまざまな感覚がからだを駆け抜け、作者は感じた。
今、自分は水の粒子に還っていくようだと。
 水の粒子、とは、どんな感じだろうか。
透明、無垢(むく)、純粋の三語を私はまず思い浮かべた。
恋は、人の心をそのように美しくしてくれるもの(時にそうでないこともあるけれど。)
若い女性の初々しい感覚が、まぶしい。
 還の字は、もとへもどるということ。
人間のからだは六0パーセント水からできているというが、
そういう物理的なことではなく、もっと感覚的に、遥かな時間を遡(さかのぼ)って、
自分が自分の形をとる以前の何かに分解してゆくような感じを、
この文字は示しているのだろう。
それは、地球に生命をもたらした、一番初めの水素と酸素の結ぶつき、かもしれない。
(『あなたと読む恋の歌 百首』俵 万智 朝日文庫 2001年)
作者は、1991年の夏、不慮の事故で亡くなった。
二十四歳、若手歌人のホープだった。
一年後に出版された『水の粒子』は、
遺歌集と呼ぶには痛々しいほど、若さと可能性とに満ちている。
ずっと同じ短歌の会で勉強していた私にとって、
妹のような存在だった彼女の歌集を、
そのような形で手にするのは大変つらいことだった。
しかし、少し時間のたった今、私がこの歌集に感じた素晴らしさは、
感傷や友情のフィルターによるものではなかったことが、よりはっきりと感じられる。
(『あなたと読む恋の歌 百首』俵 万智 朝日文庫 2001年)
白抜きの文字のごとあれしんしんと新緑をゆく我のこれから

ずいずいと悲しみくれば一匹のとんぼのように本屋に入る

そこだけは人の歩みを輝かせきんもくせいの花踏まれゆく

 透明なのに手触りがある、不思議な読後感だ。
そういえば

寒天質に閉じこめられた吾(あ)を包み駅ビル四階喫茶室光る

という一首もあった。
まさに寒天のような、柔らかで感じやすい心を震わせて、
彼女は歌を詠んでいたのだろう。
(『あなたと読む恋の歌 百首』俵 万智 朝日文庫 2001年)
全体のなかでは恋の歌は、そう多くない。
もし、という言葉は空(むな)しいけれど、身を焦がすような恋を彼女が得たら、
どんな歌が生れただろうと思わずにはいられない。
見つめられただけで、こんな素敵な歌ができたのだから。
  あんどう・みほ 1967―91年。東京都生まれ。
    「心の花」所属。歌集に『水の粒子』。
     大学院在学中、比良山中で転落死。
(『あなたと読む恋の歌 百首』俵 万智 朝日文庫 2001年)

安藤さんが亡くなったのは比良山中と書かれていたので検索しました。
kazeも学生時代よく友だちと一緒に四季を通じて登っていました。
素晴らしい山ですが、遭難や転落事故、落石事故などが多い山です。

安藤美保」(文学者掃苔(そうたい)録)
昨日、府立中之島図書館に調べに行ったきっかけは、銀杏のことを検索すると
与謝蕪村の描いた「妖怪絵巻」があることを知ったのです(^_-)
(『蕪村妖怪繪卷』北田紫水文庫 1928年より)

鎌倉若宮八幡
いてうの木のはけ(化け)

○鎌倉若宮八幡 鶴岡八幡宮若宮(下宮)。
(『蕪村全集 第四巻 俳詩・俳文』尾形仂他校注 講談社 1994年)

いちょうの木の化け物については説明がなかったので
銀杏かなと勝手に思っています(^^ )
(この画像はギンナンではありません(^_-)…)

妖怪絵巻(宝暦4~7年)
 巻子本、一巻。
宝暦4年春・夏のころから同7年9月まで丹後宮津に滞在していた折の作品である。
もと蕪村が身を寄せていた宮津の見性寺の欄間に張られていたものを、
同地の宗匠黒田芝英が譲り受け、
さらに乾猷平の斡旋によって北田紫水文庫に収められたもの。
昭和3年1月に同文庫から複製が刊行されている。
 落款はないが、筆跡より判じ、丹後時代の蕪村の真蹟と断じて誤りるまい。
今、底本は右の複製本によった。
 内容は
(一)榊原の家臣稲葉六郎大夫と猫又、
(二)小笠原何がし家における林一角法師と数多くの赤子、
(三)京帷子が辻のぬっぽり坊主、
(四)出羽の国横手の城下虵の崎の橋のうぶめの化け物と
   佐竹家の家臣関口五郎大夫がされに力を授かったこと、
(五)鎌倉若宮八幡の公孫樹の化け物、
(六)遠州見付の宿の夜なきばば、
(七)山城駒のわたりの真桑瓜の化け物と大阪木津の西瓜の化け物、
の七題の妖怪図より成り、図の間に短文が挿入されている。
単に題目だけを記したものもあるが、
後続の文の散佚したまま表装された可能性もないではない。
 蕪村が関東・奥州巡遊時代に見聞したものに近畿圏の話題を加えて成ったものである。
(『蕪村全集 第四巻 俳詩・俳文』尾形仂他校注 講談社 1994年)
今朝の父の一枚です。
コサギが飛んで行くのを撮していました(^_^)v

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