この子も触角に汗をかいているのかな(^▽^)
ルリチュウレンジの成虫は瑠璃色でキレイなのですが
幼虫はツツジなどを丸裸にして枯死さすこともあるそうです。
こちらも青くてキレイなマルバツユクサですが、難防除雑草なんだそうです…
ヒルガオも農作物に害を与えるそうです。
散歩で出合うのを楽しみしている、ツユクサもヒルガオも農家に人には…
かばひくるる君が傍へにあはあはとひるがほのごと明りてゐたり 河野裕子
この一首によって、ひるがおは若い女性の健康な恋を表現する花として定着したといえる。
(『岩波現代短歌辞典(書籍版)』岡井 隆 監修 岩波書店 1999年 )
ぽつぽつと餌をついばむ片足の鳩は地面を摑まえて立つ
(『歌集 空を鳴らして』山本夏子 現代短歌社 2017年)
大きな木なんだけど根ごと倒れています。
そこにはビニル製の袋(赤矢印)が見られました。
このあたりは戦後、低湿地で蓮根等が栽培されるていました。
その後、廃棄物埋立処分が始まり、ごみのほか地下鉄工事や
道路・建築工事の掘削残土も利用した造成が行われていました。
1972(昭和47)年からは整備工事に着手して公園整備がすすめられました。
(「鶴見緑地再生・魅力向上計画 (素案)2018年5月大阪市」より)
昆虫の眼(め)はどのように世界を見ているのか
昆虫の複眼は、小さな眼(小眼 しょうがん)の集合体だ。
小眼は少ないもので数百個、多いものでは2万個以上もある。
昆虫はこれらの眼を使って、どのように世界を見ているのだろう。
トンボのように、頭部全体が複眼におおわれていて、
ほぼ全周をカバーする視野をもつ昆虫も少なくない。
とはいえ、複眼全体の視力が同じというわけではなく、
小眼が集中している前方は視力がよい。
カマキリなどでは、ここが黒い点のように見える。
この視力のよい部分でも、人間の視力とくらべると、
かなり劣っているが、動くものに対しての視力は、非常によい。
昆虫は、人間と異なる色の世界に生きているらしい。
昆虫の可視光線の幅は、人間よりもはるかに広く、紫外線も感じられるのである。
ミツバチやアリの仲間では、偏光(へんこう)も見ることができるので、
くもりの日でも太陽の位置を確認し、それを目標に行動することができる。
(『大自然のふしぎ 増補改訂 昆虫の生態図鑑』
岡島秀治監修 学研教育出版 2010年)
コシキブ(別名:コムラサキ シソ科)
小式部内侍(こしきぶのないし)
大江山(おほえやま)いく野の道の遠(とほ)ければ
まだふみも見ず天(あま)の橋立(はしだて)
大江山や生野を越えて行く、
母のいる丹後ははるか
遠いところです。
その名勝天の橋立も、
母からの手紙も、もちろん
見てなどおりません。
小式部内侍(?~1025)橘道貞(みちさだ)と和泉式部の子。
25歳ほどで夭逝(ようせい)した。
藤原定頼(さだより)に、丹後にいる母親の和泉式部から、
歌合で詠む歌を手紙で教わっているのでは、と戯れられた時、
即座に詠んで、濡れ衣を晴らした歌。
「生野」に「行く」を、「踏み」に「文」を掛けており、
「踏み」は「橋」の縁語である。
丹後にちなんだ地名を華麗に詠み込んだ歌を、
即興で作る能力を示すことで、疑いを晴らしたのである。
(『絵でよむ百人一首』渡辺泰明 朝日出版 2014年)
東西に ほどこす内に ふく北る
神も佛も 南なりけり
東西南北の四字を組み入れし歌。
「北る」は「来る」であり、「南」は「皆身」である。
(『木喰上人』柳宗悦 講談社文芸文庫 2018年)
巻第八(秋の相聞) 1621
巫部麻蘇娘子(かむなぎべのまそをとめ)の歌一首
我(わ)がやどの萩花咲(はなさ)けり見に来(き)ませいま二日(ふつか)だみあらば散りなむ
我が家の庭の萩は花が咲いています。
見においで下さい。
あと二日ほどしたら散ってしまうでしょう。
▽作者の「巫部麻蘇娘子」は、先に家持に贈った歌が見えた(1562)。
ここも同じく家持への贈歌であろう。
(『万葉集(二)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2013年)
17日に楽しみにしている番組があります。
ひとモノガタリ「90歳“自撮り”おばあちゃんの夏」
アサヒカメラ 2018年9月号の特集「この女性写真家がすごい!」を読んでビックリしました。
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m