2018年9月14日金曜日

降ったり止んだりの天気でした

今朝も秋雨前線が居座っていて急に雨が降り出したりしました。
秋の天気は?」(動画)

公園の管理事務所裏毒茸
(『俳句で綴る変哲半生記』小沢昭一 岩波書店 2012年)
子ども等よ昼顔咲キぬ瓜むかん

(…略…)
 芭蕉庵の辺りに集まって遊んでいる子供たちに呼びかけた形である。
ちょうど到来物のまくわ瓜が水に冷やしてあるから御馳走してあげよう、
みんな家においで、と呼び入れているところ。
それを、折しも昼顔が咲く真昼時分だから瓜をむこと言ったのだが、言葉の綾である。
言葉がそのまま句になったような無邪気な句だが、やはり中七に言外の心持が添えられ、
無邪気な童心ばかりとも言えないだろう。
(『芭蕉全発句』山本健吉 講談社学術文庫 2012年)
ハシボソガラスが雨に濡れて佇んでいました(^。^)
一方、ハトは雨宿りをしていました(^▽^)
アメリカは広いので避難できるけど
フィリンピンや香港は逃げたくても逃げられないですよね…
「『スーパー台風』に匹敵」フィリピンに接近の台風22号
  佛法に こりかたまるも いらぬもの 
       みだめにきけば うそのかたまり

「みだめ」は「弥陀奴」である。
誤った固執に信仰を裏切るものが如何に多いであろう。
(『木喰上人』柳宗悦 講談社文芸文庫 2018年)
楽しみしている番組があります(^-^)
日曜美術館「微笑む仏~柳宗悦が見いだした木喰仏~
  (Eテレ9月16日午前9時~、再放送9月23日午後8時~)
発病前は、猪名川町に木喰仏を訪ねたことがあります。
  十団子(とおだんご)も、小粒になりぬ。秋の風  許六(きょりく)

  宇津(うつ)の峠を吹きこす秋の風。
  世間も人も、せちがらく行きあう峠。
  名物の十団子も、小粒になる不景気。

 秋の風(季題、秋)は、秋に吹く風のことですが、
葉を散らしやがて寒さをさそう秋風は、
そのことばに、さびしい、身のしまるような気分をふくんでいます。
十団子は駿河(するが)の国(静岡県)の東海道宇津の山の名物で、
だんごを十個ずつ糸につないで売っていたものだといいます。
この句を、人事(じんじ)に関係なく解釈してみますと、
宇津の山の峠の茶屋に腰をおろしていると、
秋の晴れた日ざしに、さばさばと乾燥した風が吹きぬけていく。
見ると十団子もその秋風にひからびて、
水分をうしない小つぶになってしまっている。
その秋の風よ、という意味になります。
しかし、秋風には、秋という季節に吹く風のほかに、
男女のあいだがらでその仲があきられてきたようす、
自然界がきびしくなってきて、心にさびしさを感じる意味、それから、
世の中が住みにくくなってきたこのごろの風潮、といった意味が連想されるのです。
すると、作者は前にいちど、宇津の山を通過して十団子を食べた経験があって、
そのときよりも十団子がだいぶ小ぶりになった。
こんな山里にさえ、せちがらいこの世の風が吹くのか、
おりしも秋の風が吹く、ということになります。
このした理屈っぽい内容を読者はこのんで、この句を有名なものにしました。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
宇津の山は、『伊勢物語』に、京に住みずらくなった男が、
東下(あずまくだ)りのとちゅう、ここで修行者にあい、
駿河なる うつの山べのうつつにも 夢にも、人にあはぬなりけり>と
京にのこした妻のもとへ歌をことづけて以来、文学のうえでは、
かならず人に会う約束になっている場所です。
同門の其角(きかく)にも、
いそがしや。万才(まんざい)にあふうつの山>という句があって、
意味は、年の瀬のあわただしいときに、宇津の山にさしかかると、
正月の「ことほぎ」に江戸へむかう万才にあった。
なるほど宇津の山であるという句です。
十団子の句はそうした伝来のものをたちきっているところに価値があります。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
森川許六(1656ー1715年)は、近江の彦根藩士で、絵画や漢詩もじょうずでした。
芭蕉の弟子になったのは、元禄5年(1692年)のことですが、
それ以前から芭蕉をしたい、その初対面に、
二十日間も苦吟(くぎん)した<十団子>の句を披露したところ、
芭蕉が<しをりあり>と評したといい、
また、<今、わが腸(はらわた)は見ぬかれたり>と驚嘆したと伝えられています。
しかし、俳諧の実作よりも、俳論にすぐれた人でした。
芭蕉の死後は、<血脈(けつみゃく)>ということをさかんにいって、
だんだんはなれていく同門の者を批判しています。
血脈とは、自分がうけついだ芭蕉の神髄といほどの意味です。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
もう一句。

  苗代(なわしろ)の水に散り浮く。桜かな

 ひからびた苗代(季題 春)の田に水がいれられて、春の日にぬるんでいる。
その水に吹き散ってきた桜の花びらが、うかんでいる。
のんびりした春の田園。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)

しをり【撓り】
「寂(さ)び」「細(ほそ)み」と並んで、蕉風誹諧の根本理念の一。
対象に対する作者の繊細な感情が、余情となってにじみ出た姿。
(『岩波古語辞典(旧版)』大野晋他編 岩波書店 1974年)
山のエリアに生えていたコムラサキはいつの間にか伐採されたけど
こんな所にも植えられていたんだな…

(ムラサキシキブの)仲間のコムラサキもよく庭に植えられています。
同じく平安の女流歌人の小式部内侍にちなんで「小式部」とも呼ばれ、
弓なりに枝垂れた細い枝の上面に紫色の実が凝集してつくのが特徴です。
以前はクマツヅラ科でしたが、
DNAに基づく最新の分類体系では(ムラサキシキブと)ともにシソ科のメンバーになりました。
・枝ぶりは整然としています。 
(『実とタネキャラクター図鑑』多田多恵子 誠文堂新光社 2017年)
大変な仕事だと思います!

今日のニュースで気になったのが「がんの痛みも緩和 新化合物開発
30年ほど前、友達が入院していたときに癌が骨髄に転院した患者さんがいて
モルヒネを注射しても30分ほどしか効果がなく
その後は、阿鼻叫喚といってもいいほど苦しんでおられた。
その方は、痛みから心不全を起こして亡くなられました。
当時は、緩和ケアという選択肢はなかったので気の毒でした。

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