「吉」が降り注ぐより、冷たい雨が降り続いていたうえに
「非常に激しい雨(51mm/h)の予報」まで届いたので
耳鼻科を受診しただけで家にいました。
午後から図書室でブログの記事用の資料を転記していました。
(2012年9月7日)
今日は、母の月命日です。母と一緒に歩いた山のエリアが早く再開されるといいのですが…
父が「(山のエリアに入れないと)つまらないしな…」と呟いていました。
蕪村の俳詩を転記します。
北寿老仙(ほくじゅろうせん)をいたむ
君朝(あした)に去(い)ぬ。ゆふべの心千々(ちぢ)に
何(なん)ぞはるかなる。
君を思ふて岡(おか)の辺(べ)に行きつ遊ぶ。
岡の辺なんぞかくかなしき。
たんぽぽの黄(き)に、なづなの白う咲きたる、
見る人ぞなき。
雉子(きぎす)のあるか、ひたなきに鳴くを聞けば、
友ありき。河(かわ)をへだてて住みにき。
へげのけぶりのはと打ち散れば、西吹く風の
はげしくて、小竹原(おざさはら)、ますげ原(はら)
のがるべきかたぞなき。
友ありき。河(かわ)をへだてて住みにき。けふは
ほろろともなかぬ。
君あしたに去(い)ぬ。ゆふべの心千々に
何ぞはるかなる。
我が庵(いお)のあみだ仏(ぶつ) ともし火もものせず、
花も参(まい)らせず、すごすごとたたずめる
今宵(こよい)は ことにたふとき
(現代語訳)
早見晋我(はやみしんが)の死去を悲しむ詩
あなたは今朝(けさ)亡くなられた。
この夕方、私の心は悲しみのため千々に思いみだれている。
あなたとなんと、へだたってしまったことか。
あなたのことをしのび、自分の心をなぐさめようと、
しずかに岡のあたりをひとり逍遙(しょうよう)する。
岡の辺は、どうして、こうも悲しいのだろうか。
春のこと、おりから、たんぽぽは黄色に、
なずなは白く花を咲かせているが、それを見るあなたはもういない。
それはきじだろう、そのきじが友を呼びひたすらに鳴くのを聞くと、私には友がいたのだ。
そして、川をへだてて住んでいたのだ。
火葬の煙が細く立ちのぼり、ぱっと風に吹き散る。
その西方浄土(さいほうじょうど)に吹く風ははげしくて、あの世へ通ずる、
小竹(おざさ)やすげの原っぱには、あなたがかくれとどまるところとてない。
私には友人があったのだ。
川をへだてて住んでいたのだ。
それがきょうはどうだ、きじが友を呼ぶように呼ぶこともできぬというのだ。
あなたは今朝去ってしまわれた。
今宵の私の心は、めちゃめちゃに思いくだけてしまっている
――ああ、なんてあなたは遠いんだ。
私の庵(いおり)の阿弥陀仏。
お燈明(とうみょう)もせず、花もそなえずに、ぽつねんとたたずんでおわす。
その阿弥陀仏が、今宵はとくに尊(とうと)い。
(「きじ」に脇点「、、」)
これは、下総(しもうさ)の国結城(ゆうき)の晋我(しんが)が亡くなったとき、
蕪村が作った詩です。
もし、蕪村の作と知らなかったら、
とても江戸期のものだといいあてられないほど新鮮です。
明治になると、島崎藤村らによって新体詩(しんたいし)が作られるようになりますが、
この新体詩の歴史はすでに蕪村にはじまっていたのです。
俳句ではありませんが、たいへんすぐれた作品なのであげました。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
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