2018年9月20日木曜日

雨になったけど…

小雨だったので出かけましたが、次第に本降りになりました。
カナメモチの生垣よりも高く伸びているのは
先日「ひかえめな人」と紹介した野草なんです(^^ )
サイトの説明を見ていると草丈は1~2mとなっているのだけど…
後ろに見えている野草の花言葉「生命力」はなるほどと思います。
幹が折れてしまっている。
近寄ってみると顔が見えた…
旅はもとより彼にとってこの上ない修行であった。
修行に非ざる巡礼はあらぬ。
彼は長い遍歴の間に於いて、観察し反省し、思案し悟得した。
人情が何ものであるか、人生が何を語るか、又仏の愛が何を示すか、
是等のことを日々の生活から、じかに学んだ。
苦しきこと、腹立たしきこと、彼も幾度かそれを経験したであろう。
彼の風貌や彼の言葉や又信仰は多くの者の嘲りともなったであろう。
彼はよく堪え忍んだ。
そして人々にも「堪忍」の教えを説いた。
赦せよ、忍べよ、とがめるな、審くな、
この単純な教えも、彼の長い旅から得た貴い体験である。
この心を彼は屢々歌に托した。

  長たびや 心の鬼はせむるとも
       たゝかんにんが ろせんなりけり
(『木喰上人』柳宗悦 講談社文芸文庫 2018年)
どんぐりのポトリと落ちて帰(かえ)るかな
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)
拾った人が置いてくれているのだけど
気がつかないのかな?昨日も置いてあった…
  とおいけしき

どんなにひどい げんじつも
とおくから みると
とおい けしきだ

てん
てんと
ちらばる
いのちも みえる
とおい けしきだ

てん
てんと
シミに
しか みえない
とおい けしきだ

どんなにひどい げんじつも…
(『まど・みちお 人生処方詩集』詩と絵:まど・みちお
         選詩:市河紀子 平凡社 2012年)
蝸牛(ででむし)のかくれ顔なる葉うら哉

▼蝸牛が身を隠したつもりになって樹木の葉裏を這っている。
(『蕪村全集 第一巻 発句』尾形仂・森田蘭 講談社 1992年)
   萩の喪
 明日が重陽という九月八日、京都に住む歌の友のKさんから便りがとどいた。
 Kさんは新しく歌誌を興したばかりだが、
彼はその片腕ともたのむ同行の人をついこのあいだ亡くしてしまった。
二人は京都の療養所でいわゆる療友で、
どちらも私がその主治医だったといういわく因縁がある。
 便りは私の悔やみたいする礼状だった。

 「小生宅の前を流れる紙屋川の岸に萩の花が咲き始めました。
  ちょうど去年の今頃、歌誌発行の準備を始めましたし、
  ずっと昔、小生が療養所に入所したのもこの萩が咲き始めた頃でした。
  そしていま、その萩の花にむかって瞑目し、暗涙を呑(の)んでいます。」

 療友には戦友と同じく長い期間生死をともにすることからくる一種言いがたい親しみの感情がある。
Kさんは年来の心の友をうしなったことで落胆し、
新誌の有力な同行者をうしなったことで二重に落胆していた。
その友の嘆きに、萩の花が添っている。
(『花に逢う 歳月のうた』上田三四二 平凡社 1983年)
私は迢空(ちょうくう)の歌を思い出した。

  夜目しろく、萩が花散る道ふめば、かの子は 母の喪にゆきにけり

「かの子」というのは教え子で、今宮中学校に教鞭をとっていたころの作である。
このやさしい呼び方に相聞の気息がある。
(『花に逢う 歳月のうた』上田三四二 平凡社 1983年)
私はまた、自作の歌を思い出した。

  秋萩のしきてこぼるる汀(みぎは)にはうろくづのゐて納骨の今日

 岳父の死を悼んだもので、はや十年のむかしになる。
萩は泉水の岸にこぼれ、水の上にも散った。
池には鯉がいた。
(『花に逢う 歳月のうた』上田三四二 平凡社 1983年)

うろくづ【鱗】
うろこ。転じて、魚。→いろくづ
(『岩波古語辞典(旧版)』大野晋他編 岩波書店 1974年)
友の便りから思い出したのは、短歌だけではなかった。
たまたま、その日、朝日新聞の「天声人語」に私は次のような文章を読んでいた。
それにまず思いがいったのだった。

  「中里恒子の短篇『残月』は、不意に訪れた客が会話の最中に不意に死ぬ話である。
  『あなたのところの萩は見事だね、萩見しようぢやないの』
  『ええ、いちめんの白萩が……そして紅の萩も枝がしなふほど……』
  『萩がしだれて風が吹いて、秋のつめたい風が吹いて……風趣があるね』
  そんな会話をかわすうちに、
  年配の男性と思える『そのひと』すうっと呼吸がとまって大往生をとげる。
  萩の花につつまれながら、萩の花となって地に散り、土に還る、
  そういう形の死への渇望を呼びおこすようなものが、萩のたたずまいにはある。」
(『花に逢う 歳月のうた』上田三四二 平凡社 1983年)
『万葉集』に萩の歌は梅を抜いて百四十一首と第一位を占める。
単なる日本人の好尚という美的範囲を越えて、
そこにはなにか、宗教的、呪術的な意味があったのかもしれない。
(『花に逢う 歳月のうた』上田三四二 平凡社 1983年)
サギは魚を食べることが多いとはいえ、「魚だから」食べるわけではなく、
食えそうなものは何でも利用します。
場合によっては小鳥やネズミをパクッとくわえて食べてしまいますし、
アオサギがウサギを丸飲みしている写真も、見たことがあります。
冬の水田のあぜ道にアオサギが突っ立っていることがしばしばあり、
いったい何をしているのかと思っていたのですが、哺乳類の研究者に
「あれはネズミが穴から出てくるの待っているんだ」と言われたことがありました。
(『鳥類学者の目のツケドコロ』松原始 ベレ出版 2018年)

○ ○ ○ ○

夕食はいつものように外食です(^。^)
注文した品が届く間に書店に行って、この前から気になっていた本を購入しました。
30年前の僕の考えには「障害を乗り越える(克服する)」、
「みんな仲よし」という言葉がありました。
それもありだと思います。
心臓の機能障碍となった今は、障碍とどうつき合っていけるかを考えていますし
また、若い人たちを見ていると人との関わりが難しい時代だなと思っています。
そんな生きづらい時代に10年前の書かれた本が再び注目を集めています。
本の帯に書かれていた文章を転記します。
後日、読了後に感想等を書けたらいいなと思っています。

 私は『友だち幻想』著者・菅野仁の妻、順子と申します。
 この度、著書『友だち幻想』が再注目され、大変嬉しく思っております。
この反響を受け「研究者として一石を投じる布石になる覚悟!」というような文が
主人の院生時代のノートに書き留めてあったことを思い出していました。
 主人が『友だち幻想』を書こうと思ったきっかけの一つに
当時小学生だった長女が学校で友人関係に悩んでいたことがあります。
親として子供が暗く悩む姿を見るのは本当に辛いもので、
夫婦で朝まで話し合ったことも度々でした。
また、学生たちからの聞き取りやレポートから
同じような悩みを抱えている学生が多いことを知ったのもきっかけになりました。
 この本は、彼が専門とする社会学者ゲオルク・ジンメルが説いていた論をクロスさせ
「実存の社会学」として現代ならどう捉えなおすのかと研究者として思考し、
教育者そして子を想う父親の視点から書かれたものになっていると思います。
 偶然にも主人が逝去してから五カ月後に長女が心臓による突然死で亡くなっております。
もしかしたら私は『友だち幻想』を皆様に伝え届けるメッセンジャーという運命だったのかも知れません。
 ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
            菅野順子
(『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える』菅野仁
           ちくまプリマ―新書 2008年)

「友だち幻想」特設ページ

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    今日は、このしとしと雨が秋の雨!
    少し肌寒さを感じる秋雨にぴったりでした。(^-^;

    >私は『友だち幻想』著者・菅野仁の妻、順子と申します。
    テレビ、新聞で紹介されていたのを聞き、読んだだけですが。。。
    >「みんな仲良く」は幻想です。
    そうかも知れないと、思います。

    返信削除
    返信
    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/
      今までの雨と違って肌寒さを感じますね。
      まだ、暑さが戻るときもあるでしょうが
      やはり季節は進んでいるなと思います。

      『友だち幻想』は娘さんのために
      ご夫婦での話し合ったことが元になっているなと読んでいて実感します。
      中学生や高校生のために書かれた本ですが、
      親や教師が読むべきだと思います。
      低学年の間は、みんな仲よくでもいいのかもしれませんが
      3、4年生くらいになるとこの本に書かれているように
      「並存」することが必要になってくるのだろうなと思います。

      削除

申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m