盆花がまだ咲いていると、父が驚いていました。
花言葉は、「悲哀・慈悲」
樹木希林さんがお亡くなりになりましたね。
最後まで現役で活躍されていました。
ご冥福をお祈りします。
10月に見たいと思っていた映画「日日是好日」
内田也哉子さんの「キミとどたばた 喜びを自分で見つけていく」(朝日新聞)の中で
樹木希林さんから贈られた言葉が書かれていました。
(…略…)
母(樹木希林さん)からは
「自分の人生として、なにか喜びをもって向き合えるものを探していった方がいいよ」
と言われています。
仕事に限らず、編み物でもなんでもいい。
「人に依存するのではなく、自分で喜びをみつけていけることはとても大事。
その手段を見つけていけるといいね」
と日頃から言われます。
一番危ういのは「自分はこんなにやったのに」という感覚。
一生懸命すればするほど、そう思いがち。
でもこれも母の教えですが、
「自分がやりたいからやる、という心構えでいなさい。
やってあげるなんて、おこがましい。
そうしていれば、むなしくならないはず」と。
(…略…)
母は2013年にがんを公表し治療も続けています。
転移もしたので、すぐ自分で覚悟を決め、終活も進めています。
まだ元気でいてくれることは奇跡です。
母がこうしたい、ということは私たち夫婦も子どもたちも尊重しています。
延命はしない。昔は死も日常にあったように家で死にたい。
できるなら、それもかなえたい。
時々、さくさくと墓や葬儀のことを決めていく母に、心がついていかない時もあります。
さみしいです。
でも、こういう姿を、子どもたちも身近で見ている。
死生観を育むことになるので、とても貴重なこと。
一緒に住むことを提案した母の意図を深く理解できるようになりましたし、ありがたいなと思います。
(聞き手・山内深紗子 2018年9月8日朝刊)
まだ咲いていたんだ…
あぢさゐに真向きてひとに応へをり
(『橋本多佳子全句集』角川ソフィア文庫 2018年)
都会で売られるキノコの種類はごく限られるが、
山村で食用にされるものはすこぶる多い。
毒キノコの中でとくに恐ろしいものは10種類ぐらいであるというが、
毒キノコを見分ける一般的な原則はない。
俗にいわれている識別法を信ずるのは危険である。
長年キノコを食べ続けてきた山の人でもしばしば誤る。
キノコを好んで食べるのは世界共通だが
珍重するキノコの種類は国によって変わるようだ。
マツタケの香りは欧米では評価されない。
中国で珍味とするキヌガサタケは
網状の白いマントをつけた奇妙な形のもので竹藪に生える。
竹蓀といって乾物にしスープなどに用いるが、
生のものは悪臭があり日本ではあまり食べない。
嚢子菌のアミガサタケは欧米では珍重され、
日本では信州で食べるというが一般的ではない。
しかし乾物が輸入され、フランス料理の材料に用いられる。
(遠藤善之)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫1988年)
なむあみだ 妙法れんげに のりたくば
しをみそなしに くふかひのあじ
「食う味」と「空海の阿字」とかけたのである。
この句を彼は好んだと見える。
(『木喰上人』柳宗悦 講談社文芸文庫 2018年)
日美旅「第76回 新潟・中越地方へ "木喰さん"と出会う旅」
表面にぼつぼつのある集合果
多数の花から1個の集合果ができる。
表面の蜂の巣模様は個々の花の境界、突起は雌しべの残存だ。
ユーラシア産のヤマボウシ類は集合果を作る。
この地域には赤い色を識別するニホンザルの仲間がかつて広く分布していた。
赤く色づく実
秋の山の楽しみは、おいしい出会い。
中でもヤマボウシは最高だ。
赤く色づいて柔らかく熟れた時が食べ頃。
熟した実は樹上にそれほど長くはととまらず、ぽたぽたと地面に落ちてくる。
あとは山の動物の競争だ。
(『野に咲く花の生態図鑑』多田多恵子 河出書房新社 2012年)
旧約聖書によれば、ノアは大洪水の時にあらゆる生物を集めて方舟に乗せ、
やがて雨が上がり水がひいていくのを見てハトを放った。
そのハトがオリーブの枝をくわえて帰還したことにより陸地が近いことを知るのである。
ところが、ハトを放つより前に、実はカラスを放っている。
しかし、カラスはついに方舟に帰ることはなかった。
では、いったいカラスはどこに行ってしまったのであろうか。
途中で浮き木に止まり腐肉を食べていたという説もあるが、
太陽に向かって帰ってしまったという説もある。
加藤秀俊氏(1976)によれば、カラスはもともと日の神アポロンの鳥であり、
旧約聖書の中では、カラスは雨を予知する晴天の鳥、太陽の鳥ということになっている。
「カラスの色が真黒なのは、それが太陽の黒点から抜け出したものだから」という俗信も、
世界中に広がっているらしい。
(『カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応能力』唐沢孝一 中公文庫 2003年)
今朝の父の一枚です(^-^)
雲の形が面白かったと話していました。
空ゆくは青き蝸牛ぞ身にかたくまとひし殻のかがやきそめぬ 斎藤すみ子
作者は、いま、空を這(は)う青いかたつむりを見ている。
するとその巨(おお)きなかたつむりの殻がかがやきはじめたのである。
蝸牛に、しいて寓意(ぐうい)を求める必要はない。
ただ青いかたつむりのイメージを思えばよい。
作者のこころは、すこしはればれとして来ているようでもある。
また、あたらしい愛を得、そして、それを失って、秋、ざくろの実の割れるのを仰ぐとき、
おきふしのわれの流離に緋は輝りて柘榴割れたり哭かざらめやも 斎藤すみ子
(『歌のかけ橋』岡井 隆 六法出版社 昭和58年)